21 感情を持った暗殺者『ソラ』
「咲夢さん! ……えっ?」
飛び起きれば、視界には椅子に座って落胆した様子を見せているルディアと、腕を組んでいる志堂のおっちゃんの姿があった。
……手が動く。
結果を聞くまでもなく、俺は攻略できなかったんだ。
「翔、無事か?」
「……ああ」
「翔くん、すまないねぇ。私が起こさせてもらったよ。咲夢の夢はまだ見れないけど、君の夢から様子……会話は聞いていたよ」
言うまでもなく、ルディアには全ての事情を理解されているようだ。
俺は黒い手に視界が覆われた後、そこで意識が途切れた。それは恐らく、ルディアが緊急で起こしたことで、俺の意識は夢と分断されたんだろう。
俺は痛む頭を押さえながら、隣で眠ったままの咲夢さんの顔を覗き込んだ。
起きる様子はない。間違いなく、俺は失敗したみたいだ。
自分に言い聞かせているのに、痛む頭が記憶を呼び起こそうとしているのか、視界がぼやける。
一つだけ、聞かないといけないものがあるよな。
「……どうして過去が……」
言葉が思いつかない。
ぼやくような言葉は、吸った息が頭から離れないように痛みを補う。
「翔、その感情は本物か?」
「聞いていいのかい? 翔くんはまだ――」
「翔は今、自分と戦っている。夢を研究するルディアさんなら、理解出来るでしょう?」
俺は二人が話している合間に糸を通すように、静かに頷いた。
志堂のおっちゃんは多分、俺が何を聞きたいのか理解している。
夢と記憶は、表と裏だ。
ルディアはベッドで座ったままの俺を横目に見て、ため息交じりで口を開いた。
「翔くん、君は最後に失敗した任務の依頼主は覚えているかい? 顔でもいい、名前でもいい」
首を振るしかなかった。
妄想を口にするなら簡単でも、面倒なことに、記憶は痛んだまま錆びついている。
その時、志堂のおっちゃんは続くように口を開いた。
「今から大事なことを言うぞ」
真剣な志堂のおっちゃんの言葉に、生唾を飲み込んだ。
「翔……いや『ソラ』としてお前が存在していた時に、お前はここに来たことがあるんだ」
「……ここに。……ああっ……」
頭が熱を生むほどに、痛い。
棘が肉に刺さってるのかってくらい、ぎゅっと締め付けてくる。
ソラ――組織に所属していた時代、俺が呼ばれていたコードネーム。
ソラとしての存在が潰えたのは、最後の依頼を失敗したのを機に、記憶として再起動されなかったからだ。
再起動された記憶が、離れない傷を抉り始める。
汚れた手はぼやけはじめ、何度も求めてしまった、何度も変わろうとしていた、あの時を呼び起こしてくるんだ。
「……ソラ……」
「志堂、あんた悪い奴だねぇ」
「感情がある証拠だ。今のこいつなら、問題はない」
感情に浸ることを、今の俺は許していなかった。
感情に浸れなかったんじゃない、思い出せなかったんだ……方法を、記憶を。
俺自身が、今の俺が離れていく感覚の中、痛みに目を閉じた。
ソラ――その名前で呼ばれていたのは他でもない、俺自身だ。組織の中でただ一人だけ、他の真似すらも許さない、追随すらも許さない、荒んだ愛情に刻んでいく存在であった者だから。
ソラとしての時代を失った記憶のピースを埋めていくように、記憶の本棚は、一冊の本を落としながら開き始めた。
脳裏に映るのは……紛れもない、この研究室の光景に、胸がある白髪の女の子の眠ったままの姿。
俺は息を呑んで、瞼をあげた。
ルディアと志堂のおっちゃんを視界に入れて、震える声を吐き出していた。
「最後の依頼主の名前。……それは、西風こと西園寺咲夢……今の俺の攻略対象だ」
志堂のおっちゃんは肩を竦め、俺から視線を逸らした。
そんなおっちゃんを無視して、ルディアは立ち上がり、ベッドの近くにあった椅子に腰をかけなおしている。
「……翔くん、君は、咲夢が捕らわれていたのを見たよねぇ?」
「ああ」
「あの捕らわれの咲夢こそが夢と現実をかけるもので、夢という結界……いわば領域に捕らわれてしまった悲劇の原点さ」
悲劇の原点にしてしまったのは、間違いなく俺の責任だ。
記憶を思い出したからこそ、ルディアの話を全て理解出来る。なぜ、咲夢さんとルディアが俺の過去や経歴を知っていたのか、今ならそれも。
「最後に失敗したのはほかでもない、俺の責任だ」
「翔くん、あまり自分を責めるもんじゃないよ」
攻略と称しているが、それは咲夢さんの心を開くことが出来ずに……いや、気づけなかった過去の俺が過ちを認めなかったから、今に至るんだ。
「……ルディア、咲夢さんは本物、本人の意志じゃないのか?」
眠りについたままの咲夢さんに視線を落として聞けば、ルディアは分かりやすく首を振っている。
「一時的だけどねぇ、仮面を外している時は自身の本能、咲夢自身が意識の隙間を縫って話しかけていたんだよ。咲夢は翔くんと同い年で、誰よりも懐いていたから仕方ないのかもねぇ」
念の為の確認を取ったが、事実は繋がった。
面倒なことに、俺は過去の時代から感情を失っていない暗殺者だったが……恋愛的な感情には疎かったんだ。まあ、失敗した理由はそこじゃないと、今でも思いたいけどな……。
仮面をつけていた時が夢々の言動……いや、咲夢さんの意識で言葉を口に出させていたくらいで、上品で凛とした口調は咲夢さん自身のものだ。
そしてあの甘えてくる仮面を外していた時の咲夢さんこそ、俺がよく知っている過去からの咲夢さんで間違いないな。
俺が頭で情報を整理していると、ルディアは一つ咳払いした。
「あとねぇ。咲夢には言ってないんだけどねぇ、盗聴器を咲夢の服に忍ばせていたんだよ。その時に翔くんは『英語で話さないでくれ』的なことを言っていたよねぇ?」
「ああ。英語で話されれば、俺はいつだってボディランゲージだからな」
「咲夢が話していたのは英語じゃなくて、夢物語……つまりは本来誰にも聞き取れない言語だよ。現に、そこの志堂さんも会話を聞いて首を傾げたからねぇ」
未だに目を逸らしている志堂のおっちゃんは、やっぱり一枚かんでいたらしい。
「でもねぇ、その言語は過去を意味するもので……救いをも意味しているんだよ。その意味が、分かるかい?」
ルディアの圧に、俺は拳を握り締めていた。
幾人も殺めてきたこの手に痛覚は無いと思っていたが、じっくりと痛みを脳へと伝えてくる。
感情を、制約を破ったつもりだったが……まだまだ甘いよな。
腕の傷跡は寝て治ってなかったようで、包帯を赤く染めてきたんだ。
痛いな。でも、気持ちは一つだけ理解できた気がした。
どうして咲夢さんだけに固執できたのか、咲夢さんだけの傍に居て、幸せだったのかを。
「改めて聞こうかねぇ。君はどうしたい?」
どうしたい?
その答えは既に決まっているのにわざわざ聞いてくるとか、ルディアはお人好しだな。
「さっきも言ったけどね、この依頼を諦めるのは簡単だよ。なんせ、夢だから証拠は私しか知らないし、財閥のお嬢様の咲夢だから余計にねぇ」
「諦める?」
俺はニヤリと笑みを浮かべて、瞳を鋭くした。
「俺の答えは、咲夢さんを助ける……いや、攻略してみせるさ」
ベッドに座ったままだから説得力は皆無だが、心意気は百点だろう。
横で今も眠っている咲夢さんの幸せを現実で見る……それが今の俺の願いで、雇用されたものとしての最後の任務だ。
夢の中での適合者は俺以外にいないし、俺以外に努めさせる気はない。
なんせ、咲夢さんを独り占めするチャンスだからな。
「ふーん、攻略ねぇ。その攻略は、翔くんにとって何を意味するんだろうねぇ」
「全部だ」
「そうかい。それじゃあ、本格的に褒美を検討しても美味しい話だねぇ」
ルディアがどこかズレた思考をしているのは今に始まったことじゃないんだよな。
ふと、俺はもう一人、本心を口にする相手の方に視線を移した。
それを理解していたのか――志堂のおっちゃんは俺の方を見てきていた。
「志堂のおっちゃん……俺の夢は、人々の幸せを望むことだから」
「知ってるさ。嬢ちゃんを攻略するんだろ? 駄弁ってないではよいけ。俺は部下が呼んでるから、もう行くからな」
「ナイフを持ってきてくれた奴に、ありがとう、って伝えておいてくれ」
「わあった」
志堂のおっちゃんは片手をあげ、部屋を後にして行った。
俺は傷が癒えるのを待つ暇もなく、もう一度ルディアに視線を送る。
「分かっているよ。今度はこっちからは手を出せないから、咲夢を、この子に夢を見せてあげてちょうだい」
「まかせてくれ」
俺は咲夢さんの夢ともう一度繋がるため、目を閉じたんだ。俺の手よりひと回りも小さくてか細い、大切な人の手を繋いで。
現実から持っていく、確かな気持ちを胸にして。




