20 欠けている夢に救いは無い
――ここは、何の変哲もない、俺の夢か。
俺は夢を認識できた。
できたって言うよりも、幽香や雑魚との戦いの傷が体を見たところないし、以前夢の中で動いた際の意識を割いている感覚に近いからだろう。
軽く宙から落ちて着地した俺は、周囲を見渡した。
見渡す限り、何もない、何も感じない、何も見えない……ただ、白い世界が広がるだけの俺の夢。
なんとなく動こうとした、その時だった。
「な、なんだ……!」
刹那、白い世界に亀裂が入る。
パリンと割れて、俺は露わになったどす黒い空間に落ちたんだ。
夢だから冷静に……そんなわけにもいかないか。
確信した、この落ちていく黒い空間こそ、今の咲夢さんが持つ夢の中だ!
面倒なことに、黒い空間のあちこちに大地の破片のような物質や、大地を切り取ったようなデコボコした地形が浮いている――まるで、破滅に向かう浮かぶ暗黒大陸。
言っちまえば、思念の集合体だ。
咲夢さんが人の夢と繋がる……否、人の夢、その中でも絶望や不安を多く集めてしまうのを考えれば、皮肉だがありえない話じゃない。
夢が人に希望を見せるものなら、夢が具現化する時は絶望をその目に焼き付けるってことか?
人は面倒なほど、矛盾した生き物だな……。
願いが叶った果ては、己の欲にまみれた、自己中心的な人を楽しませる……幸せを届ける事を忘れた、哀れなやつらだ。
別に俺も例外じゃないかもしれないが、この夢の世界は明らかに――欲にまみれた世界だと言い切れる。
俺は震える感情を抑えて、視界の悪い中で見えた地上に着地の姿勢をとる。
「おっと。ここがそうか。手や体の感覚、言語、の設定は問題なさそうだな」
以前は咲夢さんが俺の夢に入ってきたが、今度は俺が入った立場だ。だからこそ、体の感覚や、脳に浮かび上がらせた文字を打ち込む感覚が違わないかの確認も必須だろう。
実際、ゲームだってステージごとに天候や重力、滑りなどが事細かに設定されているものがあるんだからな。
面倒ごとの確認は済んだ。後は、咲夢さんを探して、夢を攻略するだけ……なら、ありがたいんだけどな。
俺は面倒ごとを避けたい意識に息を吐き、ゲームのように自分を操って、見えない奥地へと、足場がある限り進んでいく。
いくつかの大地を飛び越え、乗り継いで進んでいれば、一つの終着点のような場所――風が壁のように渦巻いている場所に出た。
そして俺は、一本の大きな鍾乳洞が足場になって直線状に続く終点で、驚くものを目にした。
「……咲夢、さん? どうしてだ……」
目を疑った。
その広がった先端に刺さった大きな十字架に、咲夢さんが括りつけられていたんだ。
両手足と腰が黒い何かに縛られながらも、白い上品なお嬢様のような服装に、後ろで三つ編みになっている白髪の彼女を見間違えるはずがない。
括られた咲夢さんは仮面をつけていなければ、意識を失っているのか、ぐったりとした様子で首が座ってなかった。
俺が近づこうと動いた、その時だった。
「この先には行かせません」
「誰だ!」
瞬時に後ろに飛び、俺は構えた。
構えた俺の視界に映ったものに、迷いが見えているのか?
「咲夢さんが、二人? いや、お前は偽物か。云うなら、夢の咲夢さん、夢々さんの方がしっくりくるな」
なぜ偽物と断定できるのか、俺自身も疑問だ。それでも、俺の勘が目の前の彼女は偽物だと言っている。
狐を模した白い仮面や、咲夢さんが着ているお嬢様のような白い服とは真逆の黒い服……それらを全て考慮しても、本物だとは断定できないんだ。
――咲夢さんなら、仮面をつけてれば夢の中でもくぐもった声だろうし、何しろ真逆なくらいに高圧的。
いくら夢の偽物……仮称『夢々』は、咲夢さんの全てを模倣してないみたいだな。
デバックがちゃんとされてないのは楽だと思うべきだろう。
その時、夢々の服の袖がなびいた。
瞬きする間もなく、夢々は俺の真正面に現れやがったんだ。
意識を割く暇も与えないとは、攻略には骨が折れそうだな。
次の瞬間、夢々が手を掴もうとしてきた。
「悪いが、そこをどけ」
俺は無意識のうちに銀のナイフを出し、銀の線は三日月を描いていた。
夢々の腕は飛んだ。
しかし、夢々の手はすぐさま靄に包まれて生えやがった。
こりゃあ、時間凌ぎ、体力勝負になったら確実にこっちが不利だ。
表情を変える間もなく、悪寒が走った。
「黒い手!」
俺はすぐさま地を蹴り、更に後ろに下がって距離を取る。
まるで背後霊のように夢々の後ろから現れた無数の黒い手……やっぱり偽物、夢の中の咲夢さんで間違いないらしい。
無数の黒い手が頭上に迫り、直線状に迫ってきた。
「ちっ!」
「……咲夢を知らない、忘れているような奴に渡さない」
「なんのことだ!」
俺は思いっきり腕を後ろにひねり、半月を描いて迫る黒い手を切り裂いた。
視界に降り注ぐ黒い手の残骸に隠れ、夢々は気色悪い笑みを浮かべた。
「そしてまた失敗する」
「夢々! お前は何を知っている!」
片腕を振り、俺は決死の抵抗を為みた。
咲夢さんが俺の情報を知っている以上、俺の感情に揺さぶりをかけてきている可能性もある。だからこそ、乗った振りをしてみせたんだ。
一歩、また一歩と、夢々は音を立てて近づいてくる。
その後ろに見える括られた咲夢さんの姿もあって、俺は息を呑んだ。
「恐れている、そして、溺れているのですよ」
「なっ……」
俺は思わず動きが止まった。否、迷ったんだ。
恐れは過去を、溺れているは現在を、嘘をついていないって見抜いてしまった。
最後の暗殺者としての依頼を失敗してから、俺は複雑なことに記憶を忘れて、ゲームに溺れる道を選んでいた。だから、恐れている過去が嘘じゃなければ、溺れている今も芯を捉えている。
俺は、目の前にいる夢々の悲しみに溺れた表情を最後に見た。
「今の翔に咲夢は渡さない……また、さようなら。あなたの記憶はきっと消えて、また出会えた時に――」
一瞬の迷いは……ぐしゃぐしゃと、視界を黒い手で隙間なく埋め尽くすには十分だった……。
伸ばした手の抵抗も虚しく、溺れる感覚に吐き出した最後の息は、泡沫のように消えていった。




