17 誰が為の戦略
階段を昇り辿り着いた古びた時計塔の内部、時計盤の裏側に差し込む月明かりは薄暗い奥を照らし、二人の姿を映しだした。
「きゃははは! 逃げずに来たのね、偉いわよ、カケル」
悪逆非道とも言える甲高い声が、内部に反響するように響き渡る。声の持ち主――暗殺者ネームのキュイこと、幽香が時計盤を背にして待ち構えていた。
無駄に露出の高いトレーニングウェアみたいな服を主として、中をチラ見せするようにフードを纏っているから質が悪い。
女型の暗殺者としては自身の美で少しでもかく乱するつもりの服だろうが、俺に対しては意味がない。
むしろ、咲夢さんより断然平坦なまな板だから、料理をしてやった方が良いのではないかと思う程だ。
もぐものを持たざる者だな。
「その薄汚い口は慎んだらどうだ。無いのは脂肪分だけにした方がマシだろ」
「……あんた、殺すわよ」
面倒くさいが、軽く幽香を怒らせた方が正解だろう。
彼女は戦闘経験が豊富でも、口喧嘩に弱いのは今の俺なら思い出せている。
集中した状態で彼女に視線を合わせると、その横で眠らされている咲夢さんの姿があった。
服装がお嬢様のような白いシャツとスカートなのを見るに、手は出していないようだ。
俺の視線に勘づいたのか、幽香は咲夢さんの襟袖を持って体を宙にあげやがった。
「おい。彼女は俺の依頼主だ。手を出してみろ……この距離を詰めるぞ」
「あらあら、脳に血が上りすぎ。もしかして、殺した彼らの血を飲んだのぉ?」
煽り口調は幽香の専売特許だ。
暗殺者なのに派手な暗殺をして、組織でも要注意されていた人間を、思い出しつつある俺が理解していないとでも思っているのか?
とはいえ、距離を詰めるのは愚策だ。
現状、こちらは依頼主を人質に取られている状態でむやみやたらに動けない。
咲夢さんへの被害だけは最小限……身体への傷は無しで収めるのが、雇用された者の使命だと思ってもいいだろう。
「カケル。あんたはゼロイズムを使って、私のおもちゃを壊した。つまり、いくらこの道から離れても、根は同じ人間。その汚れた手で今後も人を殺めるしかないの」
そんな言葉で揺さぶりをかけられた瞬間だった。
「何をしやがる!」
「知っているわよ。あんたがこの子のどこを見ているのかくらい」
幽香は何の躊躇もなく、咲夢さんの服をおへその下から上へと、自身の鋭い爪で一直線に切り裂いたのだ。
咲夢さんの豊満な胸に押されてか、裂かれた服は隠された肌をぱらりと露わにした。
傷ひとつない柔なお餅のよう白いお腹。
そして特徴的な大きな胸は揺れながら姿を見せ、上品な白いブラジャーに包まれながらも、確かに存在する谷間を俺の目に焼き付けてきやがる。
ちっ……新手の精神攻撃かよ。
俺は確かに咲夢さんの胸をよく見ていたし、むしろ咲夢さんの胸だけはやけに見ちまうくらい、面倒な感情が働いてるんだ。
こんなことなら、もうちょい咲夢さんの胸を飢えた狼と連呼されるのを覚悟で堪能しておくべきだったか?
欲を抑えるのは簡単だけど、面倒なことになったな。
仕方なくだが、本気で幽香を睨みつけた。
「そうかよ。手を出したんだ……別グループのあんただけは殺す」
幽香は不敵な笑みを浮かべた。
そして幽香はゴリラさながらの遠投力で、咲夢さんを軽々しく俺の方に投げつけてきたんだ。
――今は、集中しろ。
咲夢さんを抱きしめたのは良いが、無駄に当たる大きな胸とブラジャーの感触が妙に心を揺さぶってきやがる。
幽香の奴、漢に対してちっとは手加減を知らないのか?
当たる感触に隠れて、確かに鼓動が肌を伝ってくる。
「よかった、息はある……」
咲夢さんの安全を確保するために抱き寄せていたのも束の間、幽香は備えていたのか、手に持ったスイッチを露わにして、瞬く間もなくボタンを押しやがったんだ。
刹那、俺の居た近場のガラクタは爆発して、小さな破片を飛ばしてきた。
「ぐっ……あっ……」
「どうしてなのよ。なんでそんな奴を守るのよ。あなたはこっちに戻るべきなのに!」
咄嗟の判断で咲夢さんを身を挺して庇ったが、鋭い破片は服ごと俺の肉を切り、血をにじませた。
空気に触れた腕と背に出来た傷跡は、生きる痛みを伝えてくる。
咲夢さんを巻き込みやがって、許す必要は無いよな。
それでもこの状況、明らかに俺が不利だ。
――どうすっか。
俺単体ならまだしも、咲夢さんを考慮している以上、ほっとけるわけがない。
皮肉なことに、考えはゼロイズムを先ほど使ったおかげで瞬時にまとまるから、相手にとっての数秒は俺の数分だ。
咲夢さんをこの場に置いたら、先の爆発をもう一度やるのが幽香の暗殺だ。
タイマンを張るのは咲夢さんの安全を確保してからになる。
そうなると、俺に出来ることは限られるし、寧ろ相手の選択肢に入っていない手段……いや、一つだけあるじゃないか。
幽香は、俺を怒らせるのなら、咲夢さんの服をわざわざ裂いて動揺させずに、迷いなく殺すはずだ。
それはつまり、咲夢さんを生かしていることが何よりも俺の望む結末であり、相手の呪縛。
おそらく、幽香は俺が依頼主の傷つくことを嫌っているのを何よりも理解している証拠だ。
そして今、この聖夜前日とも言えるタイミングで咲夢さんに睡眠薬か何かを投与されて眠らされたのが、俺の時間が奪われている原因。
差し込む光に、幽香の立ち位置……一か八か、面倒だが賭けるしかなさそうだ。
プランができた俺は、幽香に睨みの圧をかけつつ、咲夢さんの着ていた服からボタンをブチっともぎ取って拝借した。
俺は咲夢さんを抱きしめたまま、片手にボタンを持って狙いを定める。
「武器を持ったわね。やはりあんたは、血に飢えた狼なんだよ」
「――喋りすぎだ」
俺は瞬時に、親指で力強くボタンを弾いた。
俺の弾くボタンは、銃弾には落とるが鋭いぞ。
幽香もすぐさま対処をしてか、フードから銃を取り出した。
「い、いつのまに」
銃でボタンを弾いた瞬間、俺は既にスタートを切っている。
咲夢さんを両腕で抱え、俺は足に力を込めてボタンを飛ばした陰に……銃と視線が重なる位置に姿勢を落として走っていたのだ。
俺は幽香との間合いを詰める。
幽香もただでは落ちないで、すぐさま銃口を向けた。
バンッ、と音が鳴って銃弾が離れたると同時、俺は体をずらして頬にかすめさせる。
頬から血は出たが、これでいいんだ。
「うぅぅぅうおりゃぁあ!」
俺は幽香を横切った瞬間、自身の背を盾にして、時計盤へと勢いよく体当たりした。
「なっ、逃がすわけが……」
「逃げも隠れもしない!」
俺は幽香に怒声混じりの声で言い放ち、咲夢さんを抱えたまま宙に身を投げた。
割れた時計盤のガラスは月明かりに輝いて、落ちてゆく俺らを見つめる幽香を寂しげに映させる。
「咲夢さんだけは絶対に守る」
俺は咲夢さんを更に力強く抱きしめ、背を後ろにして何メートルあるか不明な宙を落ちていくのだった。




