12 シチューと称した野菜汁は胃袋を掴む
俺が連れられた屋敷は、どうやら森の中に建てられていたらしい。
広い庭に豪華な屋敷……西園寺財閥が有するだけの場所だろう。
噴水もある庭の端、塀の傍に一つの突貫工事さながらのボロ家を作らせたのは、外観を阻害するにも程があったかもな。
咲夢さんからは一緒に住むことを強要されたが、俺は元暗殺者だ。だからこそ、これ以上の踏み込み、危険が及ぶ範囲での行動は出来ない。
こじんまりとしているのは、ぼろマンションに住んでいた俺にはお似合いだな。
自分で言ってて虚しくなったので、ゲームをやるか。
それから暫くゲームをして過ごしていた時「よろしいですか」という声が聞こえてきた。
凛としたようなくぐもった声……咲夢さんしかいないな。
急いでドアを開ければ、寒空の下にカーディガンを羽織った咲夢さんが立っていた。
「……どうしたんだよ?」
「その、差し入れです。……中、入ってもいいですか?」
そう言われて手を見ると、咲夢さんは中くらいの鍋を手に持っていた。
ガラスの蓋から透けて見える中身的に、汁物みたいだな。
差しいれねえ、と俺は思いながら、咲夢さんを上げた。
部屋に入れば開口一番「掃除、したらどうですか?」と毒を吐かれたんだが?
間違わないでほしいが、俺はあくまで荷物の整理をした。
定位置に物を置くことによって、自分が生活しやすくなるという画期的な配置だぞ?
咲夢さんはそんな事もつゆ知らず、デスクのモニターをチラリと見てから、テーブルに鍋を置いた。
「翔様は恩人ですから、一緒に晩御飯を食べればよろしいのでは?」
「悪いな。俺は生憎、独り身に慣れてるんだよ」
「元暗殺者だから、を言い訳にしますか?」
「何でそれが言い訳になるんだよ」
まあ、事情も知らない奴からすれば言い訳だよな。
俺は元所属していたグループを抜けたことで、追っては何度か撃退しているが、約一名だけは未だに嫉妬して狙ってきているんだ。だからこそ、咲夢さんを巻き込めないし、あいつは何をしでかすか分かったやつじゃないからな。
「そうですか。今準備しますので、しっかり食べてくださいね」
「……何をだよ?」
カーディガンを畳んでる咲夢さん……絵になるんだよな。
いやまあ、何がとは言わないけど、揺れてるんだわ。
咲夢さんは淡々と、深皿を一つとスプーンを俺の前に置いた。
鍋の中の汁は出来たてなのか、蓋を開ければぶわりと湯気が漂う。
野菜の入った不透明な液体の鍋は、食欲をそそられるとは言い難い代物だな。
疑問を感じていれば、咲夢さんは深皿に不揃いな野菜の入った汁を盛りつけた。
おまけなのかは不明だけど、パン一つ置くのは何なんだよ?
「その、私が作ってみました」
「……これは?」
「翔様が私に作ってくださったものを真似てみたのですが……白くならなかったのですよね」
「俺が作ったのはシチューだよ。これじゃあ、ただの野菜汁だろ」
咲夢さんは肩をすくめ、つけていた仮面を額へと上げた。
露わになった水色の宝石、仮面をつけてない方が可愛いんだけどな、こいつは。
いつか仮面を必要としない日が、咲夢さんには来るのか?
と思いつつも、俺も過去に仮面を被せているような人間だ、人の事を言えた立場ではないな。
俺は、咲夢さんと話していると、なんか丸くなってる気がして嫌気がさしてくる。
感情……天敵であって、大事なものだよな。俺が唯一覚えているものだ。
じっと揺れる瞳で見てくるから、思わず生唾を飲み込んでしまう。
「もしかして……嫌でしたか?」
「はあ。食べるに決まってんだろ。それと、後でシチューの作り方を教えてやるから、しっかり覚えてくれよ」
「何気に優しいですね」
「何気には余計だ、何気には」
「でしたら、一緒に同じ家で過ごせばよろしいのでは?」
「それは話が違うだろ」
咲夢さんと居ると、どうしても感覚が狂わされて仕方ない。
人とのじゃれ合いは嫌なのに、咲夢さんとの会話は、どこか落ち着くのはなんだろうな。
深皿に盛られた汁を見ても、ルーや牛乳を入れるシチューとは程遠い、野菜を茹でただけの鍋だ。
野菜のうまみ成分は溶け出してるんだろうけど、作り方が違うんだよな。
咲夢さんなりに作ってくれた、って思うのが普通か。
俺は、出された料理は残さず食べたい、そういう奴なんだ。……まさかだけど、後三杯ほど残ってるんだけど、それも全部食べろよってことか?
俺は恐る恐るスプーンを持って、深皿の中を覗き込んだ。
ああ、やっぱり、不揃いの野菜がぷかぷかと心地よさそうに浮いている。
ニンジンやブロッコリー、ジャガイモと色合いはいいんだけど……明らかに咲夢さんの技量が追い付いてないんだよな。
「翔様、やはり嫌でしたか?」
「何度も言わせるな。目で見て楽しんで、口に運んで味わう……それが俺なりの食べ方だ」
「翔様は上品な方ですね。どうして暗殺業をしていたのか、不思議なほどですよ」
「……まあ、お前の依頼を完遂……いや、お前の気持ちが動いたら話さなくもないか」
どういう意味です、と咲夢さんが不思議そうに聞いてきたから、知らん、とだけ返しておいた。
咲夢さんにまじまじと見られる中、俺はスプーンで野菜と一緒に汁を掬い、口に運ぶ。
――甘いな。なんだ、これ、砂糖でも入れたのか?
俺のシチューが甘めだった理由を砂糖と何かと勘違いしたのか、口に含んだ野菜から甘い香りが漂ってくる。
野菜汁に砂糖……咲夢さんならやりかねないな。
食べられないダークマター、というわけでは無いのが救いだ。
見栄えに全振りして、味を軽く捨てたような、そんな料理の味。
顔を上げれば、咲夢さんがじっと見てきていた。
水色の瞳に映る姿の俺は、どうにか引きずる顔はしていない。
「翔様、どうですか?」
「美味しいんじゃないか。それと、甘くするために砂糖は入れるな」
「砂糖は入れていませんよ。サトウキビを煮込んだだけです」
サトウキビか、なる程な。
いやいや、それじゃあこのバランスの取れた控えめな甘みでの味わいはどこから来たんだよ!?
サトウキビが黒糖にならないって、咲夢さんはどんな料理をして作ったんだ。
俺の味覚がおかしいだけかもしれないが、野菜に甘みが全て吸収されていたって事か?
咲夢さんの料理、侮れないな。むしろ、伸び白がありすぎてシチューを作らせたら美味しく作ってくれそうだ。
考えただけでも、よだれが出そうだ。
俺は誤魔化すように、パンを一口頬張った。
何気にパンと調和してるんだけど、本当になんなんだ?
「咲夢さんの野菜汁、実に美味しい料理だな。それなら、腕を磨けば嫁入りしても問題ないんじゃないか?」
「お褒めに頂き光栄です」
「おいおい、別に俺は感想を述べただけだ、謙遜する必要は無いだろ」
「そうですか『よ、嫁入りなら、翔様にしたいのですが?』」
だからなんでこいつは英語を喋るんだよ。
俺がもう一口運べば、咲夢さんが満面の笑みを浮かべて鍋の中を見せてきた。
つまりはそう言う事か、そう言う事なんだよな!?
「翔様、お代わりは沢山ありますからね」
「全部食べてやるから、待ってろ」
「ゲームと同じく負けず嫌いですか? それとも、追加した方がよろしいでしょうか?」
「お前、人の胃袋を掌握する気か!?」
糖分過剰摂取覚悟で、俺は咲夢さんの作ってくれた野菜汁を怒涛の勢いで食らいつくしていった。




