幸福のカエル
空からたくさんの綿あめが降ってきて、わたしは声を上げて走り回った。綿あめはいろんな色をしていて、地面に落ちるとシュワシュワと音を立てて消える。わたしは一個も落とすまいと走り回って、綿あめを両手いっぱいにかき集める。すると、近くの木から何かがこちらをのぞいているのに気づいた。
「誰?」
ぴょん、と顔を出したのは、一匹の黄緑色のカエル。
「それ、返してよ」
「えっ」
返して、といわれて、わたしは驚いた。だって空から降ってきた綿あめだよ?
「それ、雲のかけらなんだよ」
「雲?」
「僕たちカエル族が、ゲロゲロ大きな声で鳴いたから、その雨雲ができたんだ……」
わたしは疑問を口にした。
「でも、雨、降ってないよ」
「失敗作で、雨雲自体が落っこちちゃったんだ」
なにそれ? わたしはちょっと考えた。するとカエルはぴょんと跳んで、わたしの腕から綿あめを奪って、森の中へ消えていった。
「あーーー!! ちょっと!!」
わたしは慌てて追いかけたーーつもりだったけど、地面に落ちたばかりの綿あめに足を取られて、盛大に転んだ。
みるみる地面が迫ってきてーー
「あっ!!」
目が覚めた。わたしは笹岡梨子、十四歳。十四歳なんだけどなぁ。なんだろう、この夢の中での体たらく。
わたしはたまにつける夢ノートを開いた。2024年1月9日。子供。綿あめが雨雲。カエルに取られる。……絶対、後から読んだら意味不明。最初の「子供」というのは、夢の中で自分が何歳くらいか、ということだ。わたしは、自分が子供になっている夢をよく見る。目線が低くて、頭もさえない、舌ったらず……
「梨子! 遅刻するよ!」
お母さんの声。朝は忙しい。行かなくちゃ。
わたしは井戸をのぞきこんでいた。その井戸の中には一匹のカエルがいる。昨晩、綿あめを奪ったカエルとは色が違う。水色のカエルだった。
「いい湯だなー」
カエルがいった。カエルは底の方にたまった井戸水にぷかぷか浮いているのだ。
「それお湯じゃないよ!」
わたしは見かねていった。
「ううん、いいお湯だよ、我々にはね」
カエルはゲーロゲーロ鳴きはじめた。わたしは耳をふさいだ。すると、みるみる空が暗くなってきた。
「もう、やめて! 雨が降ってきちゃうよ!」
「ゲーロゲーロ。雨は我々にとっては恵み、福音なのさ」
わたしは無性に腹がたってきた。井戸に取り付けられたハシゴに足をかけ、ゆっくりと降りていく。カエルを止めるつもりだった。ゆっくり、ゆっくり……大丈夫、怖くない。ううん、怖い! 真っ暗な穴に降りていく恐怖を感じ取って、わたしは一瞬意識を失いかけた。そして、足を踏み外した。
「うわぁぁ!!」
わたしは自分の叫び声で目を覚まして、その数秒後、恥ずかしくなった。聞かれてないといいけど……。夢ノートを開く。2024年1月10日。子供。井戸にカエル。鳴くのがうるさい。すべる。……あれ、これでいいのかな? なんかもう記憶が薄ぼんやりしてるなぁ……。それにしても、二日連続でカエルの夢か。何かあるのかな、これ。わたしは階段を降りて、居間に入った。
「おはよう。あんたなんか叫んでなかった?」
うっ、聞かれてたか……。
「いやー、変な夢見てて……」
お母さんは、
「あんた、もしかしてカエルの夢見たの?」
と衝撃的なことを口走った。
「えっ!? なんでそれを!?」
「あら、覚えてないのね。あんた、小さい頃、それでよく泣いてたのよ。悲鳴を上げて飛び起きたかと思えば、カエル、カエル……って」
「そうなの? 全然覚えてない……」
それじゃ、今、わたしは子供の時に見た夢をもう一回見てる、とか? わたしが夢の中で子供なのはそのせい、とか?
なんだか寝ぼけてるみたいになって、わたしはしばらく突っ立っていたのだけど、
「早く食べなさいよ!」というお母さんの言葉にハッとして、慌ててパンをかじった。
玄関を出る時、お母さんが、
「そうだ。学校の裏のカエル寺に寄ってみれば」といった。
放課後、わたしは友達と勉強する約束を断って、学校の裏にある悠揚寺というお寺に行った。
悠揚寺には、百あまりのカエルの石細工が存在している、らしい。多すぎて誰も数えてないと思う。だからカエル寺だ。
わたしは境内でぼんやりしていた。冬のこの時期、本物のカエルは冬眠していることだろう。あるのはカエルの石細工のみ。お母さん、何がしたかったのかなぁ。
しばらく、お墓の方に目をやったり、空を見上げたりしたけど、特に何も起きなかったので、わたしはくるりと体の向きを変えて、帰ろうとした。
「カエルだけに帰る……」
つまんなすぎて、一人の時にしかいえないギャグを残して。
すると、笑いが起こった。それも、お寺のそこかしこから一斉に聞こえた。でもそれは、人の笑い声ではなかった。
ケッケッケッケッケッケ…………ケロケロケロケロ…………ゲロゲロゲロゲロ…………
「うわぁあああっ」
わたしは何回も転びそうになりながら、境内から出ようと全速力で走った。な、なんで!? カエルの声!? 今冬だよ!?
わたしは家に飛び込んで、お母さんをとっ捕まえた。
「お母さん! どういうこと!?」
すると、お母さんは笑っていった。
「カエルだけに帰る」
ええっ? えっ? それ、わたしがさっきいった……
「な、なんでそれを?」
「あんた、またいったんでしょ。それ、小さい頃にもカエル寺でいったのよ。そしたら、今まで静かだったのに、ゲロゲロ、カエルが鳴きはじめてね。小さな梨子は半狂乱。泣いてわめいて大変だったんだから」
「で、な、お母さんは何がしたかったの!?」
わけがわからない。すると、お母さんは少し寂しそうに笑った。
「あんた、最近、夜ふかししてるでしょ?」
「それは……だって、来年はもう受験なんだから。わたしの志望校にいくには全然まだ実力が足りなくて……」
「小さい頃に見たような悪夢をまた見るようになったのは、精神的に追い込まれてるからじゃない?」
「……」
わたしは黙り込んだ。最近のわたしは、確かにどこか追いつめられていた気がする。
「だから……」
お母さんはいった。
「初心にカエルのよ。純粋に勉強が好きだった頃の梨子を思い出して」
黄緑色のカエルと水色のカエルが笑った声がした。