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1.訳ありな求婚


 一見すると優しげで端正な顔立ちの男が、容赦のない口調で淡々という。


「これは契約結婚だ。君が俺を愛する必要はない。しかし諸般の事情を鑑みると、君の生存には俺との結婚が不可欠だ。諦めて俺と結婚してくれ、アスラ」


「絶対にいや」


 アスラは間髪入れずに答えた。

 未だに恋人がいたことさえないというのに、人生で初めて聞くプロポーズがまるで宣戦布告のように聞こえるなんてあんまりだ。そう心の中でしくしくと嘆きながら。



 ※



 さて、この大陸は先日まで、人類を滅ぼそうとする闇の軍勢との戦いに明け暮れていた。


 誰の耳にも滅亡の足音が聞こえるほど劣勢のときもあった。

 誰の眼にも諦めと絶望が滲んでいたときもあった。

 しかし、若き大魔女の下に各国の実力者たちが集結し、国境を越えて団結したことにより、最終的に人類は勝利を掴んだ。

 完全な復興にはまだ遠いが、今は道行く人々の瞳にも希望が見える。


 アスラの眼の前で、明確に求婚を断られたにも関わらず動揺のかけらもない男は、大陸の中でも一、二を争う大国の皇弟だ。大魔女が、かつて闇の軍勢に対して孤軍奮闘していた頃、真っ先に駆けつけた男だ。その実力と権力を存分にふるい、大魔女と肩を並べて戦った。


 大魔女は闇の軍勢に対する切り札といえる存在だった。その手が生み出す神秘の矢は、どれほど強大な魔物でも紙のようにたやすく貫いた。

 しかし、軍勢というからには、一体や二体の話ではない。闇の魔物たちは、日の沈む地平線が黒く染まるほどの数だった。大魔女がいかに魔物に対して優位性を有していても、圧倒的なその数を相手取ることはできなかった。


 できない、と、さんざん叱りつけたのはこの皇弟だった。


「もっと周りを頼れ! 君一人で世界を救えると思うのか!」


 大魔女は「もちろん」と答えた。だってそのために生まれて、そのためにここにいるのだから。


 けれど正しいのは皇弟のほうだった。大魔女が両腕を広げて必死に世界を守ろうとしても、零れ落ちていくもののほうがはるかに多く、それを守ったのは皇弟が動かした配下の人々だった。前線で戦う兵士たちや物資補給の人員、避難所の設置に民衆の誘導、そういったものを成し得たのは大国の皇弟という権力と、それに見合う能力があってこそだった。


 やがて大魔女も自らの過ちを認めた。しょぼくれた顔で謝る大魔女に、皇弟は一瞬驚いた顔をして、それから優しい声で答えた。


「俺もいいすぎた。……焦っていたんだ。俺に、君のような神秘の力はない。俺は剣で戦うことしかできない、ただの平凡な男だ。身の程はわきまえているが、それでも君に一人で戦いへおもむいてほしくなかった」


 皇弟の眼差しは真摯で情熱的だった。しかし大魔女は『こんなに“平凡な男”という自称が似合わない人もいないでしょ』と内心でツッコミを入れていた。おそらく一番気にするべきところはそこではなかった。


 大魔女を中心としたパーティーは徐々に仲間を増やしていき、最終的には闇の軍勢を彼方へ封じるに至った。


 本来ならめでたしめでたし、ハッピーエンドである。


 しかしここで不測の事態───当人にとっては予期していた事態───が発生した。


 最後の決戦において、血反吐を吐いても神秘の矢を豪雨のごとく降らし続け、敵勢からの集中砲火を浴びてもなお攻めの一手を崩さず、最後には自分が作った血だまりの中へ倒れ込んでもなお矢を作った大魔女───つまりアスラが、瀕死の重傷から自力で瞬きができる程度には回復したとき、その身体には力の残滓すら残っていなかった。生まれつき与えられたすべての神性を使い果たしたとでもいうように、アスラは無力な女になっていた。


 アスラのプロフィールが『神を父に、大巫女を母に持つ、向かうところ敵なしの最強大魔女』から、『元大魔女、いま無力、ズタボロだけど大魔女の肩書美味しい(権力者にとって)』に変わってしまった瞬間だった。


 つまりアスラは各国上層部にとっていいカモになってしまったのだ。


 仲間たちは皆、アスラの身を案じた。

 アスラが自力で歩行できるところまで回復させてくれた治癒術師の美女は、ひどく残念そうにいった。


「そなたが男だったら、妾の後宮に召し上げていたのだがのう」


「任せて、男装は得意なの。一人旅の頃はよくしていたからね。後宮には旦那さんがたくさんいるんでしょう? 一人くらい男装が混ざってもバレないって、大丈夫大丈夫!」


「なにも大丈夫な気がせんしのう。それに麗しい男ならともかく、女を巡って争うのは気乗りがせんわ」


 彼女は、皇弟とはライバル関係にある大国の次期女王だった。

 おそらくアスラにとって、この大陸で一、二を争う安全な場所を提供できるのが彼女だった。

 しかしアスラは袖にされてしまった。美男子ではなかったばかりに。


 アスラのパーティーでダントツに高位権力者なのが上記の二人であり、ほかの仲間たちは皆、一騎当千の猛者ではあったけれど孤高の旅人だった。つまり借金取りから逃げ回っている大賢者や、人間嫌いの大神官、強敵と戦うことにしか興味のない剣士などだった。


 誰も、無力になった救国の大魔女を匿えない。権力を持った人間たちの悪意から庇い切れない。しかし彼らは皆、能天気にカラッと笑っていった。


「なぁに、心配はいらないさ。お前さんが無力になっても、あいつなら守り抜くだろう」


 そのあいつ、それが今、アスラの前でお茶を飲んでいる男である。


 顔立ちだけは優しげで繊細で、儚さすら感じさせる美貌の青年だ。しかし人間、顔ではない。顔は体を表さない。これは凶悪な男であるとアスラは知っていた。


 権力も実力も厄介だけれど、それ以上に恐ろしいのが性格だ。ものすごく執念深い男なのだ。その執念がなくては、権謀術数渦巻く王宮で生き延びては来れなかった人だということも、今のアスラは知っているけれど。それにしたって、しつこい。


 顔だけ儚げな男は、ようやく自力歩行ができるようになったアスラの病室を訪れていった。


「俺と結婚しよう。君を守るにはそれが最善だ。無論、君を女性として求めることなど決してしないから安心してくれ」


 アスラは数日前まで使っていた杖で、この男の頭をどついてやりたくなった。


 皇弟と次期女王の取り計らいなのか、病室ではあるけれど個室で、お茶ができる程度のテーブルとソファもある。アスラはソファにぼすんと身体を預けて、冷ややかにいった。


「あなたの身分で、わたしを妻にするなんてできるわけないでしょ」


 アスラは世界を救った大魔女であるけれど、高貴な身分などは一切持っていない。父はとうにこの地を去り、母親は神殿から記録が抹消された大巫女だ。アスラは生まれると同時に母を亡くして、森の奥に住む魔女に育てられた。


 男は眉間にしわを寄せていった。


「確かに俺は平凡な男で、神族の血を引く君にはふさわしくないだろうが」


「それ、わたし相手じゃなかったら皮肉にしか聞こえないからね?」


 神族なんて今の世の中においてはただの偶像である。力を無くした大魔女と同じほど無・権力。


 しかしアスラはこの男が大真面目であることを知っていた。この相棒はたまに大真面目にポンコツになるのだ。戦場での切れ味はどこへいったのか、常勝将軍どころかポンコツヒューマンだ。


「大国の皇弟殿下は、普通、大貴族のご令嬢と結婚するものでしょう。この世の常識よ」

「ああ、それは心配ない」


 ポンコツ人類はあっさりといった。


「俺は武功を立てすぎたからな。今でさえ皇位への野心を勘繰られて面倒なんだ。陛下に至っては『お前が皇帝になってくれたら私は楽隠居できるな』などと嬉しげにいい出す始末。俺の妻には身分も権力もないほうが望ましい。それが王宮と俺自身の平和のためだ」


「そっ……、それにしたって限度があるでしょう!? わたし、ぴちぴちの素性不詳者よ? 魔女のおばあさまと一緒に、森の奥に勝手に住んでいた魔女よ? フフフ、土地代とか払ってないのよ。おばあさまもよく『家を建てたもん勝ちよ、ふおっほっほ』と笑っていたわ」


「救国の大魔女以上に確かな身元証明はない。安心しなさい」


 ぐぬと、アスラは言葉に詰まった。


 実際のところ、この男が結婚をいい出すことは、予想の範囲内ではあったのだ。当たってほしくない予想だったけれど、次期女王である彼女が後宮云々をいったように、アスラの身を守るなら配偶者にしてしまうのが一番手っ取り早い。赤の他人のまま匿うのでは、敵に付け入る隙を与えるようなものだ。


 だけどアスラは、この男だけは嫌だった。結婚したくなかった。それが嘘であっても、ただの契約結婚でしかなくて、名目上の妻になるだけで、それ以上のものはどこにもないとしても───いいや、だからこそ、いやだった。




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