悪意
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ユークスとパーティーメンバーの少女二人――魔法使いのクリスティと聖職者のニコロというらしい――に加えて、状況を見ていた市井の人々から寄せられた多くの証言。その全てが大男二人に因縁付けられた蓮司の過剰防衛であることを証明してくれたおかげで、蓮司は少額の罰金刑のみで不問に付されることとなった。
ユークスが蓮司の罰金額を肩代わりして手続きが完了した後、四人はギルドに隣接する酒場へ移動。歓迎会という名目で大量に頼んだ料理が並ぶ机を四人で囲んでいた。
『でも、いいんでしょうか……僕、一応二人殺しているのに』
『いいのよ。冒険者ギルドがそう沙汰を下したんだから』
『そうですよ。血気盛んな冒険者同士では、諍いなど日常茶飯事。常日頃武装していることもあって、その諍いが流血沙汰や殺人沙汰に発展することだってよくあります。
街の行政や司法も、頻発する冒険者同士の諍いに逐次介入していたら、手が幾つあっても足りませんからね。基本的に冒険者同士の諍いは、冒険者ギルドの裁量に一任されるのです。なので、ギルドから下された罰が全てであり、それ以外には如何なる罰も受けません。ギルド判断だと、殺人沙汰でも罰金の相場はこのくらいですよ。安心してください』
『二人のいう通りさ。それに君が始末したロットンとダリレアの兄弟は、この辺では手の付けられない荒くれでね。よく他のパーティーと揉め事を起こしていた生粋の問題児さ。だから君に感謝する冒険者はいても、糾弾する冒険者はいないと思うよ。まあ、ちょっと刺激的な人助けをした、とでも思っておけばいいんじゃないかな?』
『ちょ、ちょっと刺激的な人助け……ですか? ははは……』
あんな凄惨な現場を目の当たりにしながら、平然と食事を楽しみながら和気藹々と会話に興じる三人。対して、殺人の感触を拭えずにいた蓮司は乾いた笑みを浮かべるしかない。
平和な世界で生きて来た者と、命懸けの仕事に身を投じる者たち――年齢は近くとも相容れない価値観の差が、如実に表れていた。
『それより、どうだろう? さっきの話。僕たちのパーティーに、入ってくれないかい?』
『えっ? それは……その……』
『何よ、その反応? もしかして、イヤなの?』
言い淀む蓮司に、隣に座るクリスティが詰問の視線を向ける。
『いいえ、全くそんなことは! でも……』
『でも? でも、何よ? ハッキリ言いなさいよ』
『その……僕、まだ冒険者ですらないんです。ギルドがあるってことは、登録が必要なんですよね?』
『まあ、必要だけど……そんなの書類にサインして、手数料払って、冒険者カード発行されれば終わりよ。それの何がそんな問題なワケ?』
少々気の強い性格らしいクリスティに矢継ぎ早に問い詰められる蓮司。
完全に答えに窮した彼は、この際隠してはいられないと覚悟を決める。
『僕、字が読めないんです。話し言葉は分かるけど、字が読めない……だから冒険者登録に必要な書類を作成が出来ないんです!』
『……はぁ? そんなワケ――いや、そういえばアンタ、料理の注文も全部私たち任せだったわね。もしかして、本当に?』
鋭い視線と共に問いかけるクリスティに、恥じらいに満ちた弱々しい首肯で答える蓮司。するとクリスティは、深々と溜息を漏らした。
『なら、そうだと早く言いなさいよ。言ってくれなきゃ、分かんないでしょうが!』
『す、すみません……』
『すみませんじゃないっての。全く……ユークス、ちょっとこの子借りてくわよ。冒険者登録の手続き済ましてくるから』
『分かった。なら、これを持っていくといい』
そう言って、ユークスは傍らに座るニコロに目配せをする。
するとニコロは懐から中身の詰まった小袋を取り出して、机の上に置く。
ジャラッ……という金属同士が擦れる音が、袋の中から響いた。
『あの……これって?』
『手数料代ですよ。どうか使ってください。これでピッタリの筈ですから』
上品な笑みを浮かべるニコロ。そして傍らのユークスもまた、同意を示すように深く頷く。
『えっ? いやいや! 受け取れないですよ、こんなの!』
『はぁ? 何でよ! 貸すって言ってんだから借りときなさいよ』
『でも、タダでさえ罰金立て替えて貰っているワケですし、これ以上は……』
『ああ、もう! じれったいわね……ほら、いいから行くわよ!』
机の上の袋と蓮司の腕を掴んで強引に歩き出すクリスティに、蓮司は散歩を渋る子供か飼い犬の様にズルズルと引き摺られていく。
そんな二人の半ば微笑ましい様子を見ながら、残されたユークスとニコロはニコニコと笑いながら手を振って見送った。そして、二人の姿がギルドに詰めかける数多の冒険者たちの中に紛れて完全に見えなくなった時。
『いいのかしら? あんな駆け出しともいえない冒険者もどきをパーティーに入れて』
『構わないさ。ロットンとダレリアは、僕より格下とはいえ、このギルド屈指の冒険者だった。そんな二人を不意打ちとはいえ一瞬で屠った実力だ。期待出来そうじゃないか』
『成程。で、前線で扱き使って、それで死ねばよし。簡単に死ななければ、ダンジョンの奥地に丸腰でポイッ! そうしてギルドからの見舞金に換金ってワケね。加えてあの剣、中々の値打ち物の予感がする。そして私は今回楽出来そうだし、確かにいいカモだわ』
『そうだね。あの手の気弱で奥手そうな男は、てっきり君みたいな淑やかな清楚系に鼻の下を伸ばすと思っていたよ。でも、存外サバサバして押しの強いタイプの方が好みらしい。
お陰で今回は、暫く君と二人でゆっくり出来そうだよ。嬉しいなぁ』
『私もよ、ユークス』
しなだれかかるニコロの頭を優しく撫でるユークスの顔は、これまで見せていた好青年の皮を完全に脱ぎ去った凄みのある不敵で不気味な笑みに変わっていた。
そしてこの顔こそ、彼の紛れもない本性。男女問わず多くの人間を騙し裏切ってきた、邪悪で利己的な悪党の表情であった。
◇
場所は変わって、ここは街から少し離れた場所にある森の中。
初級冒険者向けの手頃な野生のモンスターが出没するこの場所は、駆け出し冒険者の肩慣らしやパーティーでの連携確認などにもってこいの場所。
さしずめ、大自然の修練所とでも呼ぶべき場所である。そんな森の中で。
『はぁああああああああああああっ!』
少々腰の抜けた頼りない構えから裂帛の気合の籠った咆哮と共に放たれた斬撃が、蓮司の前に立ちはだかる野生のホーンラビットの頭部から股下へと抜けていく。
野生動物らしいちょこまかとした不規則な動きに大分苦戦を強いられた激闘の末、決着の合図たる断末魔の悲鳴が上がる。左右へ割れるホーンラビットの亡骸が肉のぶつかる音と血が滴る水音と共に崩れ落ち、同時にユークスたちの拍手が響く。
『凄いな! 駆け出し冒険者の中にはここで挫折するヤツだっているのに、こうも容易くホーンラビットを狩るなんて!』
『えへへ……いやぁ、これもめが――あっ!』
『……? めが? 何かな、ソレ?』
『い、いやぁ……あの……め……メガ盛りでイメトレしたお陰ですよ! あはは……』
『……? えっ? それって、一体どういう――』
『さて。じゃあこの調子で暫くモンスターを討伐してきますね! よし、頑張るぞー!』
一人森の中を足早に進む蓮司に、彼の言の意味を理解できなかった三人は首を傾げる。
『見た? あの腰の抜けた間抜けな構え。素人丸出しじゃない。それに何よ、メガ盛りのイメトレって……気持ち悪っ! まあ、相手をするのは私じゃないし、別にいいけどね』
『何を言っているんですか? 今回の色担当は、私ではなく貴女よ』
『……はぁああ――もがっ!?』
危うく大声を上げそうになったクリスティの口を慌てて塞ぐユークス。
その反応で自身の軽率さを認識したクリスティが数度小さく頷くことで冷静さアピールすると、ユークスは彼女から手を放した。
『何でっ!? あんなヒョロもやし、アンタみたいな清楚ビッチの方が適任でしょうが!』
『誰が清楚ビッチですか! というか、貴女が彼にぐいぐい迫った結果でしょう?』
『それはだって……あいつがウジウジと女々しくてイライラしたんだもん』
『それが琴線に響いたんでしょうね。実際に彼、モンスターと戦っている最中もチラチラ貴女の方へ視線を向けていましたしね。全く、初心で経験の浅い男の子は分かりやすいわ』
『嘘……気持ち悪っ! そういえば何だかちょくちょく目が合った気が……うげぇ』
『ユークス以外の男を露骨に嫌うその性根、直した方がいいわよ。というワケで、たまには貴女もやりなさい。まあ、貴女のまな板でも十分武器になりますから、安心してください』
『うっさい、この全身駄肉だらけ!』
『女性らしいプロポーションと言って欲しいわね。感情とは裏腹に体の起伏は乏しいツルペタさん?』
『アンタ、言ったわね? いい度胸じゃない、上等よ! その駄肉、全部焼いて――』
『クリスティ!』
興奮冷めやらぬクリスティの肩をガシッと掴むと、そのまま耳元で囁くように名を呼ぶユークス。するとまるで催眠術にでもかかったかのように、一気に大人しくなるクリスティ。
『落ち着いたかい?』
『ごめん、ユークス。もう大丈夫』
『そう、それはよかった。申し訳ないが、今回は君が引き受けてくれないかい?』
『えっ? で、でも……』
『大丈夫、君なら出来る。もし君がしっかりと役目を果たしてくれたら、その時はきちんと御褒美を上げるよ。何でも……ね』
『な、何でも……本当に?』
『ああ、本当だとも。僕が約束を違えたこと、あったかい?』
難度も首を横に振るクリスティ。
その反応に、ユークスは慈愛に満ちた王子様のような笑みを浮かべる。
『では、お願いするよ。大丈夫、賢くて可愛いクリスティなら、きっと出来る』
笑顔で首を縦に振るクリスティ。その様は、まさに躾の行き届いた飼い犬の様。
そして先を行く蓮司の後を一人追うクリスティの背中に優しく手を振るユークス。
クリスティを見送ったことを見計らったところで、ニコロは呟く。
『ホント、冒険者なんかやめてヒモにでもなった方がいいんじゃないかしら? そっちの方が、よっぽどいい暮らしが出来るんじゃなくって?』
『そんな生活、前にもやったさ。けど、女の機嫌を取るだけの生活は退屈で窮屈だったよ。それに、ヒモは社会的地位が無いのも困りものだね。身分が無いと、世の中生き辛い。その点、冒険者は都合がいい。金も稼ぎやすいし、社会的身分も保証されている。おまけに冒険者相手のトラブルなら軽微な罰で済むから、悪事も大っぴらにやりやすい』
『流石、天性の性悪女ったらしはしたたかねぇ……感心するわよ、女の敵さん』
『男を惑わすことにかけては天賦の才を持つ君には及ばないさ。教会の聖職者でありながら貴族の男性に次々言い寄っては利益を享受し、最後には不義がバレて教会を破門の上追放された稀代の悪女の癖に。
教会が保身に走って揉み消したから好き勝手出来るけど、そうじゃなかったら社会的に死んでいたんじゃないかい?』
『ええ、そう。私は、悪運の強い生粋の悪女なの。だから、ああいう純朴で染まり易い子とか、世間知らずのお馬鹿さんたちは大好き。どんな無様な末路を迎えるか、楽しみだわ』
『うわぁ……サイテー!』
『心にもない。貴方だって好きでしょ? そういうの』
『勿論。多分、君よりもずっとね。さぁて、カミヤシロレンジ君……今回の獲物はどんな絶望の表情と屈辱の涙を見せてくれるかな?』
その心に、すっかりと深い闇を抱えたパーティーメンバー三名。
そんな三人の闇と悪意が自身に迫っていることなど知る由もなく、蓮司は仲間たちと肩を並べられるようにと懸命にモンスターを狩って技量の底上げに勤しむ。
それはさながら、可愛がられていると勘違いした家畜が、主人に喜んで貰えるように必死に餌を食べているかのような痛々しい健気さであった……。
如何でしたでしょうか?