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恐怖

更新します。

「ぐぉおおおおおおっ!? いっ、痛いでござるっ! 何をするか! お客様は神様――」

「ああんっ!?」


 後頭部を摩りながらもキャンキャンと喚き散らす臭気達磨に突き刺すような鋭い眼光を向けてやれば、臭気達磨は短く「ひっ!?」と悲鳴を漏らすと静かになった。

 しかし、今さら黙ったくらいで私の怒りは収まらない。

 そのままツカツカと足早に歩み寄ると、未だ足元で転がったままの臭気達磨を全力で踏みつける。そしてヒールの部分でグリグリと踏み躙っては痛めつけてやった。


「のぎゃああああああああっ!?」

「何が『お客様は神様』だぁ? テメエなんぞ客じゃねえし、神様は私だろうが!」

「はっ、はひぃ……ごめんなさい」

「ごめんで済んだら警察要らねえだろうが、慰謝料要らねえだろうが、あ゛あ゛んっ!?

 もういい! これ以上私の美しい瞳にテメエみたいな不細工の顔を映したくねえし、その部屋干し衣類が腐ったのかってレベルの悪臭でこれ以上私の鼻腔を穢されたくもねえ! 時間の無駄だ。さっさと異世界でも地獄でも好きな場所に行きやがれ!」


 指をパチンと鳴らすと、先程この臭気達磨がここへ呼び出された際に生じた輝く幾何学模様が再度出現する。そしてその幾何学模様に溶けるようにして、臭気達磨の体が少しずつ溶けていく。


「まっ、待ってください! チート能力は? チート武装は? 転生ボーナスはぁあっ?」

「そんなモン知るか! この私を不快にさせた罰だ! 着の身着のまま異世界行きだ!」

「そ、そんなぁ……」

「まあ、精々頑張りなさいな。ねえ、ゆ・う・しゃ・さ・ま?」


 踏み込む力を更に強め、幾何学模様の方へと臭気達磨を押し込んでやる。

 臭気達磨は「ぎゃぁあああああっ!?」だの「やめてぇえええっ!?」だのと喚きながら、数分経たずに幾何学模様の中へと消えていった。

 そうして無様に消え去ったところで、漸く私の溜飲が幾許か下がったのだった。


「ふぅ……すっきり! さてと。臭気達磨はどうなったかな? 面倒くさいけど、転生者のモニタリングも業務に入っているのよね。やれやれ、面倒くさい」


 溜息を漏らしながら再度フィンガースナップを響かせると、虚空からどこからともなく手のひら大の水晶が出現して私の掌に収まる。

 その水晶を覗き込めば、気持ちいくらいの快晴の空の中を超高速で自由落下している臭気達磨の無様な姿が映し出されたのであった。



『のわぁあああああああああああああああっ!?』


 涙を流してよだれを撒き散らし、顔を含めた全身のたるんだ皮膚が風圧で捲れ上がる。

 そんな二目と見られぬほどに醜い姿で、臭気達磨――名前を東東國定(あずまひがしくにさだ)といい、年齢は三十一歳らしい――は空を切っていく。

 如何にモモンガの翼を思わせる程に皮膚がダルダルと動いていようとも、それで落下速度の軽減など出来る筈がない。そもそも見るからに中身の詰まった高質量の物体が落下する際に生じる運動エネルギーを相殺し切れるだけの翼や落下傘を持つとして、はてさてどれ程の巨大さが要求されるのやら。少なくとも生物がその身に宿せる代物ではないだろう。

 ぐんぐん迫る地上。当然國定が落下の衝撃を緩和する知恵や手段など持ち合わせている筈もなく。


『ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!?』


 敢え無く、地面に叩き付けられた。それこそ、地面に直径十数メートル級のクレーターを穿つほどに、激しく。


『……ぐっ……む、無念……』


 そう言い残して、國定は白目を剥いて意識を失った。

 だが、超高高度から自由落下した割には身体の損傷が軽度となっている。

 それは無論、國定が自前のクッションをアホ程持ち合わせていたというのもあるが、もう一つ――転生の際に幾何学模様を通過した際に自動で付与される身体強化の恩恵の賜物。

 転生して早々に死なれては、それこそ転生させた意味がない。少しでも実験・検証を行ってデータが取れなければ、私が吐き気を堪えてまで國定に付き合った意味がなくなってしまうのだ。そこで転生の際に、肉体だけは頑丈に作り変えておいたのだ。それこそ、高所からの落下くらいでは死なない程度に。

 しかし、あくまで頑丈に作り変えただけで、完全な不死を獲得したワケではない。それどころか、痛覚の遮断などの細工も施していない。

 だからこそ高所から落ちるような痛みを感じれば普通に悶えて、激痛で気絶する。

 ケガで致命傷を負えば、毒に蝕まれれば、死病を患えば、人間らしく普通に死ぬ。

 あくまでも、多少は人間時代より死に辛くなった――ただ、それだけの話である。

 実際、國定は即死こそ避けられたが、骨の二~三本くらいは折れているだろう。

 となれば、國定のコンディションを考えるに、可及的速やかに適切な処置を受けて安静にしたいところ。だが、当然気絶中の國定に自力で治療など望むべくもない。

 少しやり過ぎたか……さて、どうしたモノか――と思案を巡らせていた、その時だった。


『何、この穴……? っ!? 父さん、アレ見て! あんなところに!』

『なんと! ありゃ不味い! 急いで助けるぞ!』


 どうやら、國定は些か悪運が強いらしい。偶然通りかかった四十路くらいの父親とその娘だろう十代後半くらいの少女に救出されていく。

 その様を見て、私は一先ず検証が継続できることに胸を撫で下ろした。



『う、うーん?』


 通りすがりの親切な父子によって救助された國定は、目を覚ますなり目を泳がせる。

 そして自身を助けてくれた娘と目が遭った瞬間、分かりやすく硬直した。


『あっ!? 目が覚めましたか?』

『お、お主は一体何者でござるか? そして、ここはどこでござるか!?』

『怖がらないでください。大丈夫です。ここは、私の家ですから』

『お主たちの……家? 何故、拙者はこんなところで寝ているのでござろうか?』

『覚えていないんですか? 何も?』

『うーん……何も思い出せん』

『そうですか。貴方は私たちが畑に向かう途中の道で倒れていたんです。見ればケガをしているみたいだし、意識も無かったので……』

『救出頂いた、ということでござるな。かたじけないでござる』


 徐に上体を起こした國定が、ぺこりと頭を垂れる。

 すると少女は、慌てふためいたように『いいえ、そんな……』と困惑。

 その時だった。彼女の父親が、ドアを開けて室内へ入って来たのは。


『おや、アンタ目が覚めたのか?』

『ええ、お陰様で助かったでござる』

『ござる? 何だか妙な喋り方だな。どこの出のモンだ? それにアンタ、何だってあんなところで倒れていたんだ? それもあんなでっかい穴の真ん中で……』

『やめなよ、お父さん。この人、何にも覚えていないみたいなの』

『マジか……自分の名前も、どこから来たのかも覚えていないのか?』

『えっ? いや……名前は東東國定と申す。出身は日本の千葉県でござる』

『珍しい名前だな。ここらじゃ聞かない名前だ。それに二ホン? チバケン? 両方とも聞きなじみのない地名だ……そんな妙な男が、あんな穴の真ん中で何を?』

『それは……その……』

『――あっ!?』


 父親から怪訝そうな視線を向けられて回答に窮する國定。

 そんな苦しい状況の折、突然娘の方が何か思い付いたかのような大きな声を出す。

 そして娘はバタバタと部屋を出て、数秒後に分厚い装丁の施された古びた本を持って戻ってくる。その本をパラパラと捲って目当てのページを開くと、そのページを國定に向ける。


『こ、これは……何でござるか? この文字、全く読めんでござる』

『やっぱり、読めないんですね。これは、この地方に伝わる伝説なんです。

魔の復活で世界が闇に閉ざされし時、天より勇者が舞い降りる。勇者はその力を以て人民を救い、世界に光と希望を齎すであろう――貴方、この勇者様なんじゃない!?』


 ずいっと顔を近付ける少女。鼻息荒く目を輝かせる少女の顔は見るからに興奮に満ちており、そんな少女を制するように父親は彼女の首根っこを掴んで國定から引きはがす。


『おいおい、そんなワケないだろう。第一、その本はただの御伽噺だろうが!』

『でもでも! 最近魔族による侵攻も激しさを増しているっていうし、伝説通りなら勇者が召喚されたっておかしくない。それに、あんな大穴一人で掘れるワケないけど、上空から落ちて来た拍子に抉れたなら納得できない? そして上空から落ちてきても死ななかったとしたら、やっぱり!』

『いや、そんなワケ無いに決まって――』

『勇者……魔族……そうだ!』


 落下の衝撃で抜け落ちていた記憶が、キーワードの登場で幾許か蘇ったらしい。

 そんな國定の独り言を耳にした瞬間、父親は驚愕から目を見開き、少女は歓喜から愛嬌に溢れた顔を綻ばせる。


『やっぱり貴方、勇者様……なのね?』

『そうでござる! 拙者はあの女神によってこの世界へ転生してきた勇者……この世界を救う存在でござる!』


 重傷を負っているとは思えないほど軽やかな動きで立ち上がり、拳を強く握り締めて天高く掲げるという力強いポーズをとって見せる國定。

 そんな彼に父親は『ま、マジか……』と困惑気味に零し、少女の方は『やっぱり! やったよ、お父さん! これで世界は救われるんだよ!』と歓喜のままに飛び跳ねる。


『世界を救いに来てくれた勇者様、私は貴方に尽くします!』

『うむ。苦しゅうない。で、一つ聞きたいのでござるが……』

『……? 何でしょうか?』

『お主たち、名は何というでござるか?』


 おずおずと問う國定。瞬間少女は恥ずかしそうに頬を掻く。

 そして高貴なる者に忠誠を誓うかの様に、少女は自ら膝を折った。


『これは失礼致しました、勇者様。私の名はレーナ。そして父の名はグスタフと申します。一応、この集落の長を務めている者です。以後、お見知りおきを』

『レーナにグスタフ……でござるな。よろしくお願いするでござる』

『はい。どうかこの世界を救ってくださいね、勇者様!』


 満面の笑みを浮かべて笑いかけてくる少女――レーナに、國定はだらしなく頬を緩ませる。そうして、場の空気が――父親のグスタフは若干怪訝な表情のままだが――和やかになった瞬間。


『ばっ、化け物だぁああああああああああっ!』


 窓の外から、恐怖に塗れた絶叫と耳を覆いたくなるほど痛ましい悲鳴が木霊する。

 レーナとグスタフは瞬時に状況を認識したようで、両者一瞬で顔を見合わせた瞬間にグスタフは屋外へと急ぎ出てゆく。


『一緒に来てください! 早速出番です、勇者様!』

『えっ? ちょっ!? えっ?』


 そしてレーナもまた、一人状況が呑み込めずに困惑する國定の手を掴んで、慌ただしく家の外へと出ていった。



『こ、これは……』


 家の外へ出た瞬間、國定は思わず言葉を失う。

 それはまさに、絶望的な光景であった。遥か彼方の山から延々と続く、黒々とした餓鬼の行列。人間の腐乱死体が動き回っているかのような風体の餓鬼たちは、聞くに堪えないほどにおぞましい呻き声を漏らしながら脇目も降らずに國定たちの集落の方へと迫ってくる。

 そんな餓鬼たちから懸命に逃げ惑う者たちは、近隣の集落の者だろうか。必死の形相で息を切らしながら懸命に走るその姿は、見ていて痛ましさすら覚える。

 年端もいかぬ少年が一人、足を滑らせて転倒した。そんな少年を助けようという者は誰もなく、少年の命運はここに尽きた。あとはもう、無惨の一言。餓鬼たちは少年に集り、瞬く間に出来上がった黒山の中からは、若く柔らかな肉を齧る咀嚼音と血を啜る音に交じって命をすり減らすような絶叫が響き渡る。


『……うっ、うぷっ!? うぇえええええええええっ!?』


 それは凡そ殺人現場どころか自分たちが口にする食肉の屠殺すら見たことのないだろう人間が直視に堪えられる生易しい光景ではなく、國定は敢え無くその場に自分の腹の中の者をぶち撒ける。尤も、死してから何も口にしていない彼の口から固形物の類が出てくる筈もなく、ほとんどが体液の類ではあったが。


『勇者様! 大丈夫ですか?』

『うぐっ……せっ、拙者、ホラー系は専門外でござるぅ……』

『はい? 何ですか、そのほらーけい? とやらは?』

『あんなグロテスクで気色悪いの、ムリでござる……』

『えっ? ムリってそんな……気弱なことを仰らないでください! 勇者様ならきっと!』

『無責任なことを言うなでござる! 拙者、まだまだレベル1の初期装備で、武器も魔法も無いでござる。それでいきなりあんな怪物の相手なんて……クソゲー過ぎるでござる! RPGのお約束からして、最初の怪物はスライムみたいな手頃な弱いヤツからと相場が――』

『アンタ! さっきから何をワケの分かんないこと言ってんだ! 今が非常時なことくらい、バカでも見れば分かるだろう! どうなんだ? 行けるのか? 行けないのか?』


 業を煮やしたグスタフによって胸倉掴まれて詰問された國定は、涙とよだれを垂らした顔でフルフルと首を横に振るだけ。

 その様を見て、國定が役に立たないことを瞬時に悟ったグスタフは、舌打ちしながら國定から手を放した。


『軟弱で頼りない勇者様だ……もういい! レーナ! その軟弱野郎を連れてさっさと逃げろ! 足手纏いだ』


 護身用か狩猟用と思しき水平二連装式の短銃を手に携えたグスタフ。

 そして彼の周囲に続々と集まる、銃や剣などそれぞれの獲物を携えた強面の屈強な男衆。


『既に集落全体に報せは飛んでいます。女子供たちも、そろそろ逃げ始めた頃ですぜ』

『そうか。では野郎ども、行くぞぉ! 化け物共を、纏めて地獄へ送り返してやるんだ!』

『『『『『『うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』』』』』』


 家、家族、恋人――各々に守るべき者を背負いし益荒男たちの鬨の声が、大地を揺るがさんばかりに木霊する。そんな死地へ赴く覚悟を決めた男たちの様に、國定はただ口を開けて呆けるしか出来ない。


『よし! いい面構え、いい雄叫びだ! では散開! 各自、奮戦を期待する!』


 グスタフの一言で、男衆は散り散りに散開していく。

 そんな彼らの背中を、どこか満足げな表情で見つめるグスタフに。


『お父さん!』


 レーナは駆け寄り、強く抱き着く。そんな彼女の頭を優しく撫でるグスタフの顔は、先程見せた死地に赴く兵を率いる指揮官の険しい顔とは打って変わった、慈愛に満ちた親の顔。


『コラ、そんな顔をするな。長の娘がそれでは、示しが付かん。何時如何なる時でも、誰よりも凛としているんだ。お前が動揺すれば、他の女子供も動揺する。分かったな?』

『……うん、分かった。私、頑張る。だからお父さん、どうか死なないで!』

『ああ、勿論だ。お前の父は強いのだ。決して死なん。皆と共に、必ず帰る。だからそれまで、他の皆を頼むぞ』

『……うん』

『よし。では行け! そろそろ、奴さんのお出ましだ!』


 静かに頷くと、レーナは餓鬼たちが迫る方とは逆の方向へ全力で駆け出して行く。

 そして父子の別れを見届けた國定もまた、駆け出していった。

 迫りくる敵の方ではなく、レーナと同じ方向――餓鬼たちのいない、安全地帯へと。


如何でしたでしょうか?


次回もお楽しみに。

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