策謀
更新します。
英夢がリュートを襲撃した日の晩。
夜も更け切って人通りもまばらになった学園都市の大通りには、長い髪を靡かせながら息を切らして必死に駆けるレイラの姿があった。
『リュート……リュート……何かあったの? どこにいるの? お願い、応答して!』
全力で疾駆しながら同調を試みる――同調自体が集中力を必要とする行為であり、それを全力疾走しながら続けるというのは酷く体力と精神力を消耗する極めて難度の高い行動。
だが、彼女は自身の消耗など微塵も惜しむことなく必死に同調を試みながら足を動かし続ける。それほどまでに、彼女は心からリュートの身を案じていた。
生来勤勉で学業に一生懸命だった男が、誰にも連絡せずに授業をサボタージュした。それだけでも不自然だが、その上恋人である自分が幾度同調を試みても一切反応しないのだ。
――リュートの身に、何かあったのかもしれない。
異常としか思えない現状を前に妙な胸騒ぎを覚えたレイラは、授業が終わって早々にリュートを探し始めた。学生寮や図書館に職員室から研究棟まで、アカデミーの敷地内で思い当たる場所はしらみつぶしに全て探した。しかしどこを探しても見つからず、アカデミーの敷地内には居ないと踏んで今度は学園都市まで範囲を広げて捜索を続けるが、それでも見つからない。
時ともに可憐な表情に浮かぶ焦燥の色は次第に濃くなっていき、胸に抱いた不安は天井知らずに大きくなっていく。それでも焦燥や不安感を必死に押し殺し、一心不乱にリュートの捜索を続けるレイラ。
そうして一心不乱に町中を駆けずり回っているうちに。
『――えっ?』
極限の集中力の賜物か、将又愛ゆえの奇跡か。
ほんの一瞬視界の端を通っただけのその人影を、レイラは目敏く見逃さなかった。
『りゅ、リュート? リュート! リュート!!』
全力疾走ですっかり息を切らした状態ながら、必死に声を張って想い人の名を叫ぶ。
しかし、どれだけ大声で叫んでもその男は見向きもすることは無く。ただ静かな足取りで人気のない裏路地の方へと足を踏み入れていく。
『――ちょっ、ちょっと! ちょっと待ってよ! リュート!』
リュート同様に座学向きの彼女は、生来運動が得意な方ではない。
故にここまでの全力疾走ですっかり彼女の体力は限界間近となっていたのだが、それでも「ここまで探した想い人を逃がしてなるものか!」と自身を奮い立たせて足を動かす。
そして、さっさと裏路地へと姿を消してしまったリュートの後を追って、彼女もまた裏路地へと足を踏み入れていった。
『リュート! 待ってよ! ねえ、リュートってば!』
裏路地へと足を踏み入れた彼女は、なおも無言で前を歩くリュートの背中に向けて懸命に声を張り上げる。しかし、一切返事がないどころか一瞥すらもくれはしない。
――なんか、リュートじゃなくてリュートの幽霊でも追っているみたい。
どれだけ名前を呼んで叫んでも返事が無いことから些か不謹慎なことを考えてしまうほどに、リュートのレイラに対する無視は徹底的だった。
それでも、体力を振り絞り、体力が尽きても気力で追い縋り、もう一体どれくらい後を追い掛けたか分からなくなった頃――リュートは突然足を止めた。そこは前方と左右を壁に囲まれた袋小路であり、遠く離れた空に浮かぶ月の光だけが微かに届く様な、薄暗くて不気味な雰囲気を放つ嫌な場所。
そんな薄気味悪い場所まで来てしまったことに若干の嫌悪感を覚えつつも、それよりも漸くリュートを見つけ出した安堵感の方が遥かに勝ったレイラは『もう、これは一体何の冗談?』と優しく声を掛けた。
だが、次の瞬間――
『――えっ?』
呆けたような驚嘆の声が、小さく漏れる。
ムリも無い。何故ならくるりとレイラの方へと振り返ったリュートは徐にレイラを指さし、その指先に夜の闇すら明るく照らすほどの眩い火球を生成し始めたのだから。
『りゅ、リュート……これは、一体どういう――』
『……死ね』
酷く機械的で無味乾燥な響きの残酷な言葉が、不気味な裏路地に木霊した。
そして指先に集約された火球は放たれて、レイラ目掛けて飛翔する。
『――っ!?』
『危ないっ!』
状況が呑み込めず、理解の及ばなさ故に思考が完全にフリーズして、呆けて棒立ちとなるレイラ。そんな最中に突如男の叫び声が背後から響いたかと思えば、次の瞬間には後ろから強く引っ張られることで辛うじて火球の射線上から逃れた。
『……ふう、危ない。間一髪、ってところだな』
強引に引っ張られた拍子に体勢を崩し、そのままスッポリと抱き抱えられるような体勢となったレイラ。助けてくれた恩人の胸に収まりながら彼の声を聴き、その声に聞き覚えがあることに気付いて恐る恐る目線を上げた瞬間に思わず驚きの声を漏らす。
『……え、エイム君!? そんな……どうしてここに?』
『学園都市で買い物していた時、偶然必死に走る君の姿を見掛けたモノでね。何かあったんじゃないかと思って、悪いけど尾行させて貰った。そうしたら……』
敵意を宿した鋭い視線を、眼前のリュートへと向ける英夢。
『貴様、一体どういうつもりだ!? 恋人に……自分の大切な人に攻撃を加えるなんて、一体何を考えている!? 答えろっ!』
義憤に駆られた英夢の糾弾の叫びが、夜の裏路地に木霊する。
しかし、そんな敵意と詰問を向けられてもなお、リュートは何も答えず静かに英夢とレイラを見据えていた。死人の様な、光の失せた虚ろな眼で。
◇
『リュート! どうしたのよ!? ねえ、一体どうしたの?』
懸命に声を張り上げるレイラだが、リュートは何も答えない。
ただ静かに、虚ろな瞳でレイラを見据えるだけ。
それどころか再び指先に火球を形成して、レイラに狙いを定めている始末。
『り、リュート……そんな……どうして……ねえ、どうして!? どうして、こんな――』
『……死ね』
無味乾燥な声音でそう呟くと、またしても火球を発射。
しかしその火球は、英夢が正面に展開したバリアによって容易く阻まれ消滅する。
『くっ!? ……残念だけど、もうダメみたいだな』
『――えっ?』
『リュートは、本気で君を――いや、俺たちを殺そうとしている。なら、殺られる前に――』
『そんな……そんなの絶対ダメ! 他に方法がある筈だよ』
『そんなのは無い! 相手はあのリュートだ。幾ら俺でも、手加減出来る相手じゃない。本気で殺すつもりで戦わなきゃ、こっちがやられる! そんなの、君が一番知っているだろ?』
『そ、それは……』
『俺だって、残念だよ。級友を手に掛けるなんて……でも、仕方ない。仕方ないんだよっ!』
下唇をギュッと噛み締めながら、絞り出すような苦悩の声を漏らす英夢。
決死の覚悟で辛い選択をしたと言わんばかりのその様子に、レイラは涙を浮かべつつも何も言葉を紡げない。そんなレイラから静かに手を放すと、英夢は立ち上がってレイラを庇うように前に出る。そして尚も冷たい視線を向けるリュートと相対する。
『君には出来ないだろう。だから、俺がやる。すぐに、リュートを楽にしてやるから』
『……エイム君』
『待っていろ、リュート。俺が……お前を倒す!』
語気強くそう言い放つと、英夢は相対するリュート目掛けて一直線に駆け出す。
そんな英夢を迎撃すべく放たれた火球を、英夢は容易く払い飛ばして前進。
同様の攻防を五回ほど繰り広げ、遂に英夢はリュートの眼前にまで肉薄する。
『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! こんの……バカ野郎っ!』
気合の籠った雄叫びと共にリュートへ最接近した英夢は、固く拳を握り締めて腕を引き絞る。そうして全力の鉄拳を見舞おうと腕を振るった、その刹那。
『――っ! ダメぇえええええええええええええええええええええええっ!』
英夢の背後から、絹を裂くような悲痛な叫び声が木霊する。そして同時に英夢の眼前に出現する、光の盾。英夢が振るった拳はその盾に阻まれ弾かれて、リュートまで届かない。
『――なっ!? 何をする? 何故邪魔を?』
『だって……だってこんなの可笑しいよ! リュートが……リュートが私を襲うなんて、絶対に可笑しい! 何か理由があるんだよ! じゃなきゃ、絶対可笑しいよ! 私は知っている……リュートは優しい人だって。魔法の勉強に一生懸命なのも、魔法が誰かを救える力だって信じているから。リュートは、困っている人を助ける力になりたいって心から願って必死に努力できる人……そんな人が、理由も無く私を襲う筈ないよ!』
涙ながらに叫び訴えるレイラ。
その涙は、叫びは、リュートを深く信頼しているからこそ出るモノ。
そして襲撃を受けた今でも尚、リュートを信じていることの何よりの証左。
だからこそ……だからこそ、英夢にとっては虫唾が走って仕方なかった。
『……るせぇ』
『――えっ?』
『うるせぇんだよ! 何か理由がある筈だぁ? そんなの知るか! 大事なのは、今コイツを殺さなきゃいけないってことだけだ! 優しくて努力できる人? それが何だって? 表面上優しくても、実は狂気を隠して人に平気で危害を加えるヤツだっている! コイツだって、実はそんなかも知れないじゃないか!』
『そんな……そんなことないっ! リュートは、そんな人じゃない!』
『いいや、そんなことあるね。俺には分かる! こいつは、実はそういうヤツなんだよ! 君は、騙されているんだ! その結果がこれだ! いい加減現実見ろ……リュートは、最低なクソ野郎なんだよ!』
『……何で? 何で、そんなこと言うの? 貴方が、リュートの何を知っているというの? リュートの事は、私が一番よく知っている……貴方なんかよりずっと、私はリュートを間近で見てきたんだから!』
『――なっ!?』
『取り消して……今の言葉。私の大好きな人の事を、アンタなんかが悪く言わないでっ!』
『……あっ……あああ……』
英夢に向けられたレイラの眼差しは、自分を守るために必死に戦ってくれた恩人に対する感謝を宿したそれでもなければ、まして助けて貰ったことから発展した情愛を宿したそれでもない。
寧ろ、その逆。大事な人を貶した者への、憎悪と憤怒を宿した眼差し。
今、英夢はレイラから一番向けられたくなかった視線をまざまざと向けられていた。
自身が想いを寄せる相手からそんな眼差しを向けられて、ショックを受けない者など居る筈も無く。当然それは、転移して規格外の力を持つ英夢とて例外ではない。
計り知れないほどの強烈な精神的ショックを受けたのだろう。力なくその場から数歩後退ると、呆けたような情けない表情で力なくその場にへたり込んだ。
そうして英夢の精神力が究極まで弱まった、その瞬間。
『――うっ! うぐっ!?』
突如リュートは苦悶の声を上げて苦しみ出し、そしてふっと力が抜けたように膝を折るとそのままドサッと俯せに倒れ込む。
『リュート!』
倒れたリュート目掛けて一目散に駆け出し、傍らまで着くなりすぐさま抱き起しては幾度も名前を叫びながらその体を揺する。
『……うっ!? うぅ……れ、レイラ?』
『リュート……よかった! 本当に、良かった……大丈夫? どこか痛いところない?』
『ははは……僕は大丈夫。それより、君は? ケガ、してない?』
『もう……こんな時くらいは自分の心配しなさいよ。ホント、心配したんだから!』
『ごめん。ありがとう、レイラ……僕を信じてくれて』
『当たり前でしょ、バカッ! 私は、何があっても貴方の味方よ』
揃って涙を浮かべながら、笑い合う二人。
互いの事を深く思い合う海よりも深く山よりも高い本物の愛情が、そこにはあった。
邪な心さえ洗い流してしまえそうなほどの、清らかで美しい愛情が。
だが、如何に清廉で潔白な光でも消し去れない醜い闇というモノがこの世には存在する。
互いを深く愛するこの若い二人にとって最大の不幸だったのは、そんな歪み切った醜悪な闇を心に宿した悪魔の如き男が二人の清らかな姿に嫉妬心を駆り立てられていたこと。
『……うっ!? うぐっ!? ぐぁあああああああああああああああああああああ!』
『リュート? どうしたの? ねえ、リュート!』
『ウザったいんだよ、そういう純愛みたいなの……ホント、気持ち悪い』
ドスの利いた迫力のある声音に、レイラはバッと振り向く。
するとそこには心底蔑んだような眼つきで二人を見下す英夢の姿。
リュートへ向けられた右掌には黒い靄が生成されており、その靄がリュートを蝕んでいることはレイラの目にも明らかであった。
如何でしたでしょうか?