嫉妬
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レイラと最後に同調してから入学までの一週間、結局英夢はレイラと会うどころか連絡を取ることすら叶わなかった。尤も、そこまで明確に拒絶をされても英夢はレイラが恥じらっているだけだと信じて疑わず、挙句そうして勝手に抱いて膨らました奥ゆかしくて初心だというイメージから彼女への一方的な好意と執着を殊更に募らせる始末ではあったが。
一方、相変わらず連絡が取れないレイラとは違って。
『やっほー、エイム君! 今日暇? 暇よね? なら、二人で一緒に出掛けましょ?』
こうした強引なあいさつから始まるマリエからの連絡は、一週間欠かすことなく届き続けていた。連日届くマリエの連絡のしつこさ故に、気付かなかったフリで無視を決め込んだりもしてみたが、無視したところで時間を置いて連絡が来るので無視し切ることも出来ず。
加えてマリエが貴族の令嬢であることや、マリエのお陰でアカデミーへの入学が許可されたという負い目、更にはここから数年は毎日顔を合わせることになるだろう可能性を考慮して無下には出来ないと判断した英夢。そうしてマリエに求められるままに同調を繋ぎ、結果ほぼ毎日顔を合わせることになっていた。
意中の美少女に会いたいという欲求が募る一方で、興味も無ければ好みですらない女と面と向かって話をしなければならないとなれば、苛立ちは底なしに募る。新春特有の穏やかで麗らかな心地よい気候とは対照的に、英夢の心情は日に日にどんよりと陰鬱に沈んでささくれていく。
だが、一週間が過ぎて漸く迎えた入学式当日――その日の朝は、先日までとは打って変わって晴れ晴れとした、めでたい式典に出席するにふさわしい表情を見せていた。
『今日は待ちに待った入学式……久しぶりにレイラに会える』
眠れなくなるほどに待ち焦がれた日など、生前含め一日としてありはしなかった。
自分には縁遠い話だとも思った。しかし異世界に来て、初めてそんな日を迎えた。
真新しい制服とローブに身を包んで宿を出た英夢は、だらしなく浮ついた笑みを浮かべながら、アカデミーを目指してスキップ混じりの軽やかな足取りで大通りを駆けていく。
タダでさえ短い通学路は、英夢の身体能力ではまさにあっという間。そうしてものの数分程度で街のシンボルたるアカデミーの巨大で立派な門の前まで辿り着いた、その時。
『――えっ!?』
瞬間、思わず漏れる間の抜けた声。全身に雷が走ったかのような衝撃が走り、手から力がふと抜けて設えたばかりの真新しい鞄が重力に引かれ地に落ちて土と泥に汚れる。
しかし、今の英夢にはそんなことに心を配る余裕などない。
何せ眼前には、それ以上に心奪われる衝撃の光景が広がっていたから。
『れ、レイラ……えっ? そんな……えっ?』
開かれた門を隔てた向こうに見えるのは、英夢には一度だって見せたことのない華やかな笑顔を浮かべるレイラ。まさに今幸福の絶頂にいると言わんばかりの彼女の傍らを歩くのはマリエではなく、丸眼鏡に地味な顔立ちの純朴を絵に描いたような見知らぬ青年。
青年は今の英夢に比べれば全然冴えない雰囲気で、寧ろどこか転移前の自分を彷彿とさせる。見ているだけで捨てた過去がチラつくその男と緊密な距離感を見せる愛しい人の姿を見ていると、英夢はふとこの一週間彼女が釣れない態度を取り続けていたこと、そして頑なに自分と二人きりになることを拒んでいたことを思い出す。
恋愛経験が薄く、男女の機微を感じ取れるだけの感受性など持ち合わせていない、言葉を選ばなければ「鈍感」と言って差し支えない英夢。そんな彼ですら瞬時に察してしまえるほどに、二人の関係性は疑う余地のない緊密さ。
『エーイム! おはよう!』
突然突き付けられた現実への理解は追い付いても心が追い付かずにフリーズしていると、屈託のない声音で後ろから声を掛けて来たマリエが無遠慮に英夢の肩を叩く。
しかし、一切反応を見せずに硬直したままの英夢。不審に思って小首を傾げながらも、マリエは一切ブレることなく英夢が視線を注ぐ方向へ自らも視線を送り、瞬時に英夢の硬直の理由を察して『はは~ん』としたり顔で笑みを浮かべる。
『随分驚いているわね。まあ、意外と言えば意外だもんね。あの奥手で物静かなレイラに、彼氏がいるなんて』
『……か、彼氏ぃ?』
『そう。まあ、彼氏というよりは許嫁ね。卒業したら結婚するらしいわよ』
『け、結婚!?』
『凄い驚き様ね。何? そんなに意外? でも、貴族の世界じゃあ割とある話よ?』
『へ、へぇ……そうなんだ』
外に出ないよう努めていたお陰で勘付かれていないようだが、それでも英夢は内心では滝のような汗をかいていた。
しかし、そんな彼の心境など気付きもしないマリエはなおも得意げに説明を続ける。
『まあ、いい判断よね。彼、リュート君も同じ新入生なんだけど、何とアカデミーに主席で入学するほどの秀才! これぞまさに優良物件ってヤツね』
『へ、へぇ……』
『それこそ、もしかしたらエイム君と同等の才覚を持っているかも!』
『そ、そう……なんだ。それは、凄いね』
『まあ、でも? アタシはエイム君の方が凄いって信じてるけどね』
必死に堪えても、それでも段々と声は上擦って額には嫌な汗を滲み、体は自然と小刻みに震えてくる。
しかし、そこまで分かりやすく動揺していてもなお、観察眼に乏しく自分本位なところがあるマリエは普通に見落としてしまう。というよりも、観察眼を塗り潰す思い込みの強さ故に見えていないというべきか。マリエはマリエで、ここ数日英夢が欠かさず自分と会ってくれていたのは英夢が自分に好意を抱いているからだと信じて疑っていないのだから。
恋愛経験の希薄さ故の鈍感さと、神授の才や恵まれた生まれからくる自信が故の楽観。
精神的な部分で似たモノ同士の二人は、互いが心に抱く本心を理解出来はしない。
だからこそ――
『……当たり前だ。絶対に負けない』
『おっ! やる気じゃーん! でも、その意気よ。入学は主席じゃなくても、君なら卒業は主席になれるわ! 私、信じてる!』
眉間に皺を寄せて力強く呟いた英夢がその言葉に宿した意図や意思すらも、やはりマリエは見当違いの方向で察してしまう。まさにどうしようもないほどの擦れ違い。
しかし、その擦れ違いが修正されることは永劫無いだろう。
『さあ、こんなところで止まってないで行きましょ? 将来の首席さん♪』
愛する秀才の彼氏――リュートと談笑するレイラが浮かべる笑みと同じくらいにこやかな表情で英夢の腕を引いて門を潜るマリエ。
一方で英夢の顔からはすっかり笑みが消え、代わりに折角手にした端正な顔立ちを醜く歪めるどす黒くて邪悪な、嫉妬に狂った般若の険しい表情を浮かべて歓迎の門を潜った。
◇
魔法の将来を背負って立つ人材を育てるという理念と使命に従い、アカデミーでは厳格な成績至上主義の教育方針が取られている。素行や生活態度など一切考慮せず、ただ純粋に座学と実技の成績だけで判断される三段階のクラス分け。仮に頗る真面目で授業には欠かさず出席して提出物の遅れもなくて教授にも従順という模範的な生徒がいたとする。
しかし、もしも成績が少しでも振るわなければ……その時は一切の容赦なく降格の憂き目に遭う。仮に学期の途中であっても、進級直前であろうとも、お構いなしである。
降格とは、アカデミーの学生が一番恐れる事態。何せ三クラス間では教育の質や待遇の面で露骨な差があり、上位のクラスに所属すれば実力ある講師陣による最上級の教育を受けられるだけでなく学内設備も自由に利用できる一方、最下層のクラスに所属となれば常に自習同然でまともに授業も行われない上に学内設備の利用までも制限されてしまう。
負け犬に待っているのは、屈辱的なまでに惨めで救いのない学生生活――それが分かっているがゆえに、生徒たちは皆必死に机に齧り付き、血反吐を吐く勢いで技術を磨き、そうして生き馬の目を抜く熾烈な競争に身を投じている。
勿論、クラス間の待遇差は、新入生に対するアカデミーの洗練と言わんばかりに入学当初から容赦なく襲い来る。一度でも下位に落ちてしまえば、そこからの復帰は絶望的。ジャイアントキリングなど、期待するだけ無駄。
故に必然最初のクラス分けが今後の学生生活を左右する重要な要素になってくるワケだが、果たして英夢の所属はグローリ――栄光の名を冠された最上級のクラスであった。飛び入り入学だが、学園長を唸らせた才覚を見込まれての特例措置と言ったところか。
かくして晴れて栄光を掴んだ英夢と同じクラスの顔ぶれには、貴族の子女として高度な教育を受けて来ただろうマリエとレイラ、更には入試主席のリュートも当然含まれていた。
『四人揃って同じクラス! 良かったわねぇ~』
『そうだね。知っている人が多くて、安心するよ。ねぇ?』
『ああ、そうだね』
入学式を終えた新入生たちが各々配属されたクラスの教室にてホームルームを待つまでの束の間。緊張の式典を終えて緊張が解れた生徒たちが各々友人を作るべく和気藹々と談笑に興じている中でも目立つくらい相も変わらず仲睦まじい様子を見せるレイラとリュートを目敏く見つけたマリエが合流し、マリエと行動を共にし続けていた英夢もまたなし崩し的にその輪に混ざる。
かくして集まった三人の見知った顔を感慨深げに眺めながら深々と満足げに頷くマリエに、レイラもまた笑顔で同意。そして愛しい人の嬉しそうな表情を眺めるリュートもまた自然と温和に表情を綻ばせるという、まさに笑顔が連鎖する状況。
しかし、その中にあって一人英夢だけは、愛想のない仏頂面に鋭い目付き。まあ、この状況が英夢にとって気に食わないものであることは明白であり、当然と言えば当然だが。
チート能力を授かって異世界転移を果たした英夢は、必然自分を主人公だと考えている。そんな自分がメインヒロインにと決めた美少女が目の前にいるのに、その隣にいるのは自分ではなく英夢にとってはモブ同然の男なのだ。受け入れる方が無理というモノ。
そして邪魔者たるモブ男への殺意が滾って腸煮えくりかえりそうなこの状況では、作り笑顔だろうと浮かべる余裕等あろう筈もなく。だが、一人そんな険しい表情をしていれば嫌でも目立ってしまい疑念を持たれてしまうワケで。
『あの……どうかしました? さっきから、あんまり楽しくなさそうな表情ですが?』
受けてしかるべき気遣いの言葉を、あろうことか件のモブ男ことリュートから受けてしまう英夢。内心ではこの場で跡形もなく消し去って殺してやりたいと思うほどに並々ならぬ憎悪を滾らせていた英夢にとって、そんな相手から気遣いの言葉を掛けられても嬉しい筈もなく。寧ろ勝手に抱いた「見下されている」という屈辱感から余計に苛立ちを募らせて、眉間の皺を更に深める始末であった。
だが――
『ふぅ……いや、別に。ただちょっと、緊張しているだけだよ』
深い深呼吸で自身の心を落ち着けると、先程までの般若の表情が嘘のような爽やかな笑顔を見せる英夢。確かに表出するくらいに強烈な憤怒と憎悪をその胸に宿してはいたが、流石にこの場で感情任せの短絡的な暴力に訴えようとするレベルまで冷静さを失っているワケではない。
それこそ愛しのレイラと利用価値のありそうなマリエだけでなく他の生徒の目もあるこの状況で、正当な理由もなくリュートに手を上げれば……自分の立場や今後の学校生活が危うくなるだろうことは明白だと瞬時に想像出来る程度の理性は保っていた。
仕方ない。まずはこの場を取り繕うか――
そう考えた英夢は、仏頂面を緩めて慣れない環境に緊張している生徒を装うことにした。
『新しい環境って、期待と不安でドキドキしない? それでちょっと、顔が固くなっちゃっただけだよ……ははは』
『ああ、成程。確かに、僕も二人が居なかったら緊張で一言も喋れないかも知れません』
ひとしきり笑い合ったところで、リュートが英夢に向かってその手を差し出す。
『改めて、これからよろしく。ええっと……』
『英夢だ。亀城英夢。こちらこそ、よろしくな。リュート!』
人の好さそうな笑顔を必死に絞り出して、差し出された手を握り返す英夢。
しかし、どんなに好意的な表情の仮面を被っても、その本質は嫉妬に狂う男であることには変わりないわけで。抜かりなく、握手の際に必要以上の力を込めて相手を威圧する。
『――痛っ!? 力、強いんですね』
『そうかな? まあ、鍛えているからね。君も、少しは鍛えた方がいいんじゃないかな?』
『ははは……そうですね。力強くて逞しい男性の方がいいですよね……ははは』
爽やかな笑顔を浮かべながら、しかしどこか好意的でない――そんな英夢から感じられる不気味とも言える底知れない雰囲気と不穏な空気に冷や汗を禁じ得なかったリュートが、今度は必死に表情を繕ってぎこちない笑顔を作る番となった。
如何でしたでしょうか?