殺戮
更新します。
『どうしてだ? どうやって生き延びた! あの呪いの湖から、どうやって?』
ユークスの問いに、レンジは嘲笑を浮かべると握る剣を見せびらかす。
『この剣、実は特殊な代物でな。俺が念じさえすればどこにあっても俺の手元へ戻ってくるし、如何なるモノでも切断できる。水だろうが、空間だろうがな』
『何だと!? そんなバカな! そんなことが――』
『出来るんだよ。だってこの剣は、この世界に来る前に女神から授けられたチート能力の産物。実際俺は、あの呪いの湖自体をこの剣で両断し、そして空間すらも斬り飛ばしてここまでやって来たんだよ。ほれ、あんな風になぁ』
剣の切っ先で雑に指した方向へ視線を向けた瞬間、ユークスは目を見開いて硬直する。
視線の先にあったのは、ユークスたちが潜ったダンジョンの入口。直線距離にして六十キロは離れた場所にあり、加えて道中も険しく危険が伴うことから、陸路での移動はほぼ困難。
クリスティの魔法による瞬間移動ありきで漸く移動出来たその場所が、一体どういう訳か今目の前に存在している。完全に理解を超えた現象を前に、冷や汗を滝のように流して混乱するユークス。そんな彼の耳に、心底小馬鹿にしたような嘲笑が響く。
『ホント、女神チート様様だよ! 最初からこうしていればよかったなぁ……冒険を楽しもうと手加減したせいで、ホントに散々な目に遭ったよ。さてと、そんじゃあそろそろ――』
蓮司が剣を軽く振るうと、再び蓮司の姿は消える。
しかし次の瞬間、蓮司は再び現れる。ユークスの眼前、ほんの数センチの距離に。
『――なっ!? バカな!』
『空間を斬り飛ばせるって言っただろうが! じゃあな……死ねっ!』
大上段から振るわれる、大振りの斬撃。
度重なる理解を超えた現象との遭遇によって完全に正常な判断力を失ったユークスは、それでも半ば反射的に握った剣を構えて蓮司の斬撃を受け止める構えを見せる。
しかし、相手は呪いの水はおろか空間までも切断して消し飛ばす、人知の理解を超えた武器。そんな代物を、人間が通常使う剣の刃で防ぎ切れる道理などない。仮にそれが、度重なる視線を潜り抜けて来た一流の冒険者の獲物だとしても。
『ぐぎゃっ!』
木の枝でも切断するかのように容易くユークスの剣を切断した蓮司は、そのまま一切力を緩めることなく振り下ろす。蓮司の剣はユークスの脳天を捕らえ、そのまま胴を切断。股下までスルリと抜けた頃にはもう、ユークスの体は左右に分かれて倒れ始めていた。
『真っ二つ! ははっ! ざまあみやがれ、クソ野郎! さて、次は……』
ユークスを一瞬で惨殺した蓮司の視線は、ゆらりと残るニコロへと向けられる。
ひっ! と小さな悲鳴を漏らして後退るニコロ。
そんな彼女を、蓮司はゆっくりとした足取りで追い詰めにかかる。
『まっ、待って! 待って頂戴! わ、私は反対したの! でも、二人がどうしてもって』
『ふーん。それで?』
『私は悪くない! だから許して? ねっ? もし許してくれたら、何でも言うことを聞くわ! 貴方の……いいえ、貴方様のペットになります! この体で、精一杯奉仕します!
だから――』
『ダメに決まってんだろ、バーカ! お前も同罪だ。ここで死ね、メス豚!』
『そ、そんな……い、いや……た、助けて……誰か助けてぇえええ――ぎゃっ!?』
よろよろと立ち上がり、脱兎のごとく走り出すニコロ。
そんな走りで、しかも建物の中の方へと逃げたところで逃げ果せる筈もなく、醜悪な笑みを浮かべた蓮司が振るった剣を肩から受ける。そのまま胸を切断してわき腹へと抜けた刃。
男を誘惑する美貌には似つかわしくない凄絶な恐怖で歪んだ醜い顔を晒したまま、その身は斜めに真っ二つ。ずり落ちた上体が地面に転がってから、残る下半身もバタリと倒れた。
『はははははははははははは! あはははははははははははははは! ざまあみやがれ!
死んで当然の薄汚れたゲスどもが! 冒険者の面汚し共が! はははははははははは!』
床に転がる三人の骸に向かって暴言を吐きながら、高笑いを浮かべる蓮司。
その姿は語り継がれる冒険譚を繰り広げる冒険者などではなく、憎悪と嫉妬と憤怒に塗れて狂気と邪道に落ちた咎人でしかなかった。
◇
『ちょっと! ちょっとすみません! 通してください!』
騒動を聞きつけたレオンは、野次馬と化した冒険者たちを掻き分けて必死にエントランスへと進む。日夜命懸けの戦いに挑む屈強な冒険者たちと比べれば、レオンの体躯は些か以上に華奢。中々道を譲って貰えず、肉の壁に揉みくちゃにされ、歩みはカメの如く遅い。
それでも懸命に人の隙間を縫って歩み続け、漸く人集りの最前にまで躍り出た時。
『――うぷっ! おげぇええええええええええ……』
事務仕事が中心で凄惨な現場の直視に慣れていないレオンは、その目に飛び込んできた残虐極まりないおぞましい光景を前に耐え切れず、膝を折って嘔吐する。
『これは……こんな……酷い……』
『おお、レオンじゃないか。よく来たな』
ふと、呼ばれる声に気付いて顔を上げる。
見ればそこには、二目と見られないほどに醜い変異を遂げた、血塗れの誰かの姿。
無論レオンに、そんな醜い姿の見覚えなどない。姿形だけで、誰か判別など出来ない。
でも、その声が、その雰囲気が、レオンにハッキリと唯一人を想起させる。
『き、君はもしや……レンジ? レンジなのか?』
『ああ、そうさ』
『その恰好、その返り血……もしかして、これ全部君がやったのか?』
『凄いだろ? 悪い奴らをこんなに懲らしめてやったんだ。自分勝手な、悪人どもを』
『そんな……どうして? どうして、こんなことを? 一体何が?』
夥しい命を狩り、剰え仲間さえ手に掛けておきながら、反省の色を見せないどころか嬉々とした誇らしげな表情すら浮かべて見せている。そんな理解の及ばぬ狂気へ至ってしまった友人に、レオンは驚愕と畏怖と悲憤の宿った瞳を思わず向けてしまう。
だが、その眼差しが、狂気に堕ちた蓮司の逆鱗を踏んでしまう。
『何だ、その目? お前まで……お前まで俺を蔑むのか? 見下すのか? 貶めるのか?』
『えっ? な、何を? 一体何を言って――』
『そうかよ……そうなのかよ……なら、お前も死ねっ!』
ズタボロとなった足から繰り出されたとは思えない強烈な踏み込みで、蓮司は一瞬でレオンの眼前まで到達。数多の冒険者たちを惨殺してきた血濡れの剣を、高々と振り上げる。
『――えっ?』
激情に支配された悪鬼の如き表情を浮かべて剣を振り上げる蓮司の姿を、レオンは困惑しながらもただ黙ってみているしかない。
冒険者ギルドの中でも屈指の実力者であるユークスのパーティーですら瞬殺する怪物と化した蓮司の高速の攻めを、冒険者ではないデスクワーカーのレオンが膝を折った体勢から回避することなど不可能。それどころか、まともに反応することすら困難である。
振り下ろされた剣は、呆けたままのレオンの頭頂にめり込み、切断し、両断していく。
断末魔の悲鳴すら上げられぬまま、頭をかち割られた青年の体はゆっくりと倒れ伏す。
『ざまあみろ! 俺を……俺を見下すからこうなる! はははっ! ははははははは!』
頭を無惨にも潰された骸を踏みつけながら、邪悪に嗤う蓮司。
当然そんな蓮司には、野次馬の冒険者たちから嫌悪と憎悪の視線が注がれる。
『何だよ? 何なんだよ? 見るな……俺をそんな目で見るんじゃねえ!』
ダンジョンに置き去りにされた際に向けられたユークスたちの視線がトラウマとなったのか、視線にすっかり敏感になった蓮司は、向けられる視線を前に狂乱。精神の平常を保てなくなり、感情のままに周囲の冒険者たちを襲撃。手近な者から見境もなく、手当たり次第に斬り捨てていく。
チート能力を有する蓮司の能力は圧倒的であり、凡百の冒険者など幾ら束になっても敵いはしない。頭を潰し、首を跳ね、袈裟切にして、心臓を刺突し――ただの一撃を以て命を刈り取られた冒険者の骸が次から次へと量産されていく。
だが、歴戦の冒険者たちは、それでも生き残るために抵抗を辞めない。各々の決死の覚悟で反撃を繰り出し、眼前の災厄を討伐しようと躍起になる。
『無駄だ! お前ら如き雑魚が、この俺に叶うかよ! 選ばれしチーターの俺様になぁ!』
狂気に堕ちた上に数多の殺戮による興奮物質の過剰分泌ですっかりテンションが振り切れた蓮司は、笑みすら浮かべ奇声をあげながら、ただ只管に剣を振るう。武器を断ち、防具を貫き、最後には人体を軽く裂く、人知を超えた異常な威力を有する剣を。
まさに防御不可の凶刃。水や空間すらも切断できる剣の威力と切れ味こそ、今の蓮司に最大級のアドバンテージとなっていたのは明白。
だが――その独壇場は不意に、唐突に、終わりの時を迎える。
ガキィィイインッ! という甲高い金属音が響き、蓮司の剣が初めて受け止められた。
まだあどけない顔立ちをした駆け出し冒険者が防御のため反射的に繰り出した剣によって、いとも容易く。それまでの圧倒的な威力が嘘のように、呆気なく。
『なっ、何だとっ!?』
『今だ! やっちまえ!』
動揺から蓮司が動きを止めたこの瞬間は、紛れもなく好機。
誰からともなく号令が繰り出されると、蓮司目掛けて冒険者が殺到。
剣を、槍を、ナイフを、思い思いの武器を蓮司目掛けて全力で繰り出す。
『――がっ、がふっ!?』
向けられた刺突は悉く蓮司の胴や胸に突き刺さり、蓮司は激しく吐血。
『く、クソが……醜い欲望塗れの薄汚れた冒険者ども……がぁあああああああああっ!』
それでもなお、滾る怒りだけを頼りに攻撃を繰り出そうとする蓮司だが、そんな蓮司に更なる刺突の雨が繰り出される。
『ぐぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?』
元から既にボロボロだった蓮司の体が、これほど多くの刺突に堪え切れるワケが無い。
夥しい血を穴という穴から撒きちらし、臓物すらも腹から零れ落ちて来る。
『くっ、くそっ! やられた……ユークス、気を付けろ。ニコロ、早く回復を――』
言いかけて、ハッとした。裏切られ、陥れられ、最後には自分の手で引導を渡した者たちの名を、蓮司は何の抵抗もなくスルリと口にしていた。
そのことに気付いた瞬間、蓮司は自嘲気味に小さく笑う。
そうしてゆらりと崩れ落ちて、大の字で地面に倒れ伏した。
気が狂った冒険者による、冒険者と職員に対する大虐殺事件。
冒険者ギルドが開設されてから、否、これからの歴史の中でも二度と忘れ去られることのないだろう甚大な爪痕を残した災厄級の出来事はここに終幕した。
そして犯人たる蓮司の骸は首を残してバラバラに分解された上で焼却。その首は悲劇を引き起こした大悪人として晒し首にされ、冒険者としてではなく稀代の犯罪者としてその名を刻むこととなりましたとさ。
如何でしたでしょうか?