ドアMット令嬢は今日もメンタル最強です!
――ボーン、ボーン。
エントランスホールに置いてある柱時計の、時を打つ音が遠く聞こえます。
私は階段下の物置きで、ギュッと膝を抱えながら心の中で数を数えます。ゼロ、いち、にぃ、さん……、
2時を告げる時計の音からきっちり数えて30秒。大きな音をバタンと立て、お姉さまが今日も難癖をつけにいらっしゃいました。
「エムリーゼ! お前は本当にグズでのろまの出来損ないね! 何度言ったらまともに掃除ぐらいできるようになるの!」
キュっと肩をすくめたこちらの手を掴み、二つに高く結い上げた茶色の巻き毛を揺らしたお姉さまは乱暴に私を階段下から引きずり出します。ひくっと息を呑んだ私は必死に謝りました。
「ご、ごめんなさいお姉さま……。ですが、今日は部屋に入るなと言ったのはお姉さまでは――」
「誰が口ごたえして良いって言ったのよ!」
突き飛ばされた私は壁に激突し床に倒れ伏しました。うめく私の髪をグイと掴み、お姉さまは忌々しそうに続けます。
「っ……!」
「相変わらず無駄な金髪だこと。いい? あたしはあんたのことを思って『教育』してあげてるの。卑しい使用人の胎から出てきたとは言え、あんたも一応はこの家の令嬢なんだから、目上の人の気持ちを察するぐらいできないとねぇ? そうでしょう?」
「あっ、うぅ……」
蔑むような視線を向けられ、どうしようもない気持ちが熱く込み上げてきます。視界はうっすらと滲み、痛みにあえぐことしかできません。
お姉さまはクスクス笑うと、私の髪を一まとめにして力いっぱい床を引きずります。
「仕事にこんな長い髪は邪魔よねぇ? いっそのこと切ってしまおうかしら」
「お、お許しください……それだけはどうか」
「あらどうして? 髪なんてその内また伸びてくるじゃない。ほら、ほら!」
「痛っ、ぁ!」
この髪だけは失うわけにはいかないのです。だって、だってこの髪が無くなったら……!
(こうやって引きずって貰えなくなっちゃうじゃないですかー!!)
ぞくぞくと全身を駆け巡る感覚を味わいながら、私は悦びの嬌声が出てしまわないよう歯を食いしばります。
自分が痛みに快感を覚える体質だと気づいたのは、いつからだったでしょう。
物心ついた時には、この家の使用人だったという母はすでにおらず、私はこのお屋敷で奥さまと腹違いのお姉さまから奴隷のように扱われて参りました。
それは世間一般的には『虐待』と呼ばれるような扱いだったのでしょうが、何の因果か神様は私に先天的な性癖をお与えになったようです。どんなに平手打ちをされても、鞭で叩かれても、ろくに食事を与えられずとも……私にとって、それらはすべて『ご褒美』にしかならなかったのです。
(ああ、今日も容赦のない引きずり倒し。お姉さま最高です!)
「あんた見てるとイライラするのよ、何も言わず耐える自分は悲劇のヒロインですぅ、みたいな顔しちゃってさ! 家に来る男を相手に色目を使う所とか母親そっくりだわ! どこが可愛いのよこんな娘!」
「あぐっ、ひっ……」
壁に立てかけておいた箒の柄でバシバシと叩かれるのですが、内心悦んでいる事など一切表に出しません。私の性癖が世間一般的には受け入れがたいと言うものは充分承知しているつもりです。ばれたら気持ち悪がられることは分かっていますからね。
「きゃあっ」
ですからこうして、少々の痛がる演技をしてみせます。自分の演技力がいかほどの物かは分かりませんが、今のところバレている様子はないのでそこそこ上手く行っているのではないでしょうか?
「あら、またエムリーゼにしつけをしているの?」
「お母さま」
ちょうど通りかかった奥さまが扇子で口元を隠しながら近寄ってきます。床でうずくまる私を一瞥した彼女は、すばやく足でお腹に蹴りを入れました。
「ぐっ!(ありがとうございます!!)」
ゲホゲホと激しく咳き込む私を見下ろして、高笑いを上げた奥さまはお姉さまを抱き寄せます。
「まぁ、ヨダレなんて垂らして汚らしい。こんな娘でも『選出の儀』に連れて行かなくてはいけないなんて……我が家の恥だわ」
「『選出の儀』? お母さま、何の話?」
お姉さまに尋ねられて、奥様は愛おしそうにその頬を撫でます。
「あぁ、その事を話しに来たのよ、わたくしの可愛い天使ちゃん。貴族の血が流れる者にしか魔法が使えないことは知っているでしょう? その中でも癒しに特化した聖なる力を求めて、今度王宮で貴族の令嬢を集めて試験があるそうなの。そこで力を示して選ばれれば、国を挙げての聖女として認定されるらしいわよ」
「聖女? それってもしかして……治癒魔法を使えたら有利だったりするかしら? 私できるわ! 傷を治すの得意だもの!!」
「そうでしょう、あなたほどの力を持った者なんて他の令嬢で聞いた事がないもの。しかも、噂だとそのまま王子と婚約して、ゆくゆくは王妃になれるのだとか」
「きゃあ! どうしよう」
盛り上がっていたお二方ですが、奥様はこちらを急にキッと見下ろすと打って変わって冷たい声でこう告げます。
「強制召集ですから、あなたにもその儀式には出席して貰います。でも間違ってもこの子より目立つんじゃないわよ、そんなことでもしたら……」
「心配ないわお母さま、穢れた下賤の血が混じったエムリーゼにそんな力あるはずないもの」
明るく止めに入ったお姉さまが、巻き毛を揺らしながら弾む声を出します。それもそうねと納得した奥さまは、今日の仕事をお言いつけになりました。
「そういうわけだから、この子が儀式で着る衣装の手入れをするのよ。神聖さを出すため白系のドレスがいいかしら? そうね、どれを着けてもいいように家にあるアクセサリーを一つ残らず磨いておきなさい」
「あんたはその沁みだらけのワンピースに、はたきでも持って行ったらいいんじゃない? 運が良ければ王宮の下働きとして拾って貰えるかもね! アハハハッ」
高笑いを上げたお二人は、楽しそうに話しながら行ってしまわれました。今日のいびりは言葉責めが多めでしたね。それもまたイイ……。
(それにしても、お姉さまが本当に聖女に選ばれてしまったらどうしましょう。あのビンタを味わえなくなるのは寂しいです……)
蹴られた箇所のジンジンとした痛みを存分に堪能した私は、名残惜しく感じながらも指を祈りの形に組みます。ぽわっとした暖かい光が腹部に集中したかと思うと、ねじ切れそうだった痛みは綺麗さっぱり消え去ってしまいました。昔から『痛くない』と念じれは痛覚を遮断できるのが私の特技だったりします。たぶん思い込みなんでしょうけど……自己暗示ってすごいです。痛みを感じなくするのはもったいないですが、仕事をしなければなりませんからね。
それにしても『選出の儀』ですか。そんな煌びやかな場所にこんなみすぼらしい恰好でいったら……さぞ惨めな視線を向けられてしまうことでしょう。あぁ、考えただけでもゾクゾクしてきました!
***
そんなこんなで数日後、私はお姉さまと一緒に王宮へと赴くことになりました。持っている僅かな服の中でも一番地味で汚れた物をチョイスしたおかげでしょうか、会場に入るなりヒソヒソとあちこちから声が聞こえてきて珍獣でも見るような視線が全身に突き刺さります。
「ちょ、ちょっと、少し離れて歩きなさいよ。いくら何でももう少しまともなドレスを着てこれなかったわけ?」
全身を煌びやかに決めたお姉さまが隣に居るものですから、余計に悲惨さが目立っている事でしょう。焦ったように耳打ちをした彼女はさりげなく離れていきます。いつの間にか私を中心として輪が出来てしまいました。腐った卵とか投げつけられないでしょうか。わくわく。
「皆の物、静粛に!」
その時、前方に作られた壇上にお偉い神官さんが出てきたようです。白いローブを引きずる彼は険しい顔立ちをしながら私たちが集められたワケをお話されました。
「皆も知っての通り、暗黒平野に過去最大級の『魔界の裂け目』が出現した。現在は騎士団を派遣し対処しているが、じわじわと瘴気は広がってきている」
この世界には私たち人間が暮らす人間界の裏側に、魔界があると言われています。あちらの世界には瘴気と呼ばれる悪い物が蔓延しているらしく、今回のように裂け目が出来てしまうとそこから瘴気が漏れ出し、悔いを残したまま死んだ人の魂がそれにあてられると魔獣となって人々を襲ってしまうんだとか。
「このゆゆしき事態に王家は国を挙げて対処することとなった。希望の象徴となる『聖女』を打ちたて、その人物をリーダーとして一丸となって立ち向かうのだ!」
熱い演説に、ご令嬢たちからワァ……と明るい声が上がります。神官さんがサッと合図を出すと、舞台袖から似たような服を着た補佐の方が出てきます。その手には、眩いばかりに光を放つ水晶玉が握られていました。
「これより諸君らの素質を一人一人審査させて貰う! ――その予定だったが、どうやらその必要も無くなったようだ。見よ、この魔導球を!」
どういうことかと会場がどよめきます。大げさに手を振った彼は、どこか青ざめているような表情でこう続けました。
「本来ならこれに手をかざし魔力を注ぐことで聖なる力を判定をするのだが、すでにここまで反応している。つまりこの会場内にとんでもない素質を秘めている者が居ると言う事だ!」
ここで、ある箇所に目が留まった私はぼんやりと宙を見上げます。何だか周りは盛り上がっていますけど、癒しのチカラなんて発現させたことの無い私にはあまり関係の無さそうな話ですし……。それよりは、あそこからぶら下がってるシャンデリアの方が気になります。アレにくくり付けて下げられたらとてもヨさそうです。あぁ、あちらに飾ってある甲冑もいいですね。縛られ中に入れられて一晩放置されるとかどうでしょう。
「こちらか……? いや、こっちだ、この辺りに聖女様が――」
あぁ、なんだか帰りたくなってきました。大好きな奥さまとお姉さまに早く虐めて貰いたいです!
頬を押さえてうっとりとしていた私は、そこでようやく辺りの異変に気が付きました。会場中の視線が私一人に突き刺さっているのです。
「え、あれ?」
視線を下ろしますと、神官さん以下数名がずらりと私の前に跪いています。その手に持っていた魔導球は、先ほどよりもいっそう強い光を放ち――パリンッと私の目の前で砕けてしまいました。
「なんという聖力だ……。貴女様がまごうことなき聖女にございます。よくぞこの国に生まれ落ちて下さいました!」
しばらくポカンとしていた私ですが、事態を理解するとサーっと青ざめ息を呑みました。
私の理想の虐げられ生活がピンチです!!
***
そこからはもう大変でした。いったんは城下にある家に帰らせて貰えることになったのですが、先ほどの神官さんとお城からの使者という方が夜になって一気に我が家に押し掛けてきたのです。
「ですから、何かの間違いですわ。この娘は使用人の娘で貴族ではないですし、癒しのチカラなんて片鱗すら見せた事がありませんもの」
応接間にて、私の隣に座る奥さまが必死に説明するのですが、『鑑定』スキル持ちだと言う宮廷魔術師さんが真面目な顔をして答えます。
「ですが、彼女の父親はファルゴット伯ですよね? 貴族の血が半分しか流れていないとは言え、魔法を使える事に変わりはありません。これを」
そういって何かの用紙を懐から取り出しスッと差し出します。私もそろって覗き込むと、そこにはこんなことが書いてありました。
=エムリーゼ・ファルゴット スキル鑑定結果=
『慈愛の心』
『治癒魔法 Lv.★』
『結界 Lv.1』
『聖魔法 Lv.1』
『痛覚軽減>無効>反転 Lv.★』
「お分かりですか? 彼女は既に癒しの魔法をマスターしているのです。魔力血中に含まれる聖力濃度も他の令嬢たちとは比べ物にならないほど高いものでした」
「そんな……納得いかない! 絶対インチキよそんなの!!」
私が驚いていますと、奥さまの隣にいたお姉さまが突然金切り声を上げます。彼女はバッと胸に手をあてると誇らし気に言ってのけます。
「あたしを鑑定してみて下さい! 前に転んだ男爵家の令嬢の傷をあっという間に治して感謝されたことがあるんです。こんな子よりよっぽどすごい結果が出るはずだわ!」
その言葉にふぅとため息をついた魔術師さんは、お姉さまをじっと見つめます。
「『治癒魔法 Lv.9』……と、言ったところでしょうか。確かにその年齢にしてはとても優秀ですね」
「ほらね! Lv.10になれば極められるんでしょう? すぐよ!」
勝ち誇った顔で胸を張るお姉さまでしたが、それまで黙っていた神官さんが冷ややかにこう続けました。
「何か勘違いしておられるようですが、熟練度は10が上限ではありませんよ、お嬢さん」
「は……?」
「ちなみに言うと30を越えた辺りから急激に伸びが悪くなり、王宮の治療班でも40もあれば上級職員。50レベルを越えれば長を務め歴代勇士録に名が載るレベルと言われています。エムリーゼ様のように★付きになるにはレベルを100まで上げる必要があると推測されているのですが、この意味がわかりますか?」
愕然とする奥さまとお姉さまに追い打ちをかけるよう、魔術師さんが私のスキル表を指で押さえました。
「それよりも私はこの箇所が気になりますね。『痛覚軽減>無効>反転 Lv.★』。痛覚軽減とはつまり、戦闘などでダメージを負うごとに熟練度が上がっていく耐性スキルで無効・反転はそれのさらに進化スキルなのですが……。どうして安全なお屋敷の中に居るはずのエムリーゼ様がこんなスキルを極めていらっしゃるのか――」
すぅっと目を細めた魔術師さんを中心として冷気が巻き起こります。
「お聞きしても? ファルゴット夫人」
奥さまとお姉さまはヒィッと息を呑んでのけ反ります。ま、まずいです。このままではお二人に虐待の疑いが掛かってしまいます!
「ち、違います! それはその……私がとんでもないドジだからです!」
「エムリーゼ……っ!?」
「何度注意してても階段から転げ落ちたり、包丁で指を切っちゃったりしたのできっとそれで耐性が上がっちゃったんですね。アハハ。だからお姉さまと奥さまは何にもしてないです! 捨てられてもおかしくない私に、お二人は住む家と食事を与えて下さいました、神官さんたちが心配してるような事なんて何もありませんよ!」
笑顔で必死にそう言うと、神官さんと魔術師さんは驚いたように目を見開いて、それから目頭を押さえこんでしまわれました。
「なんという慈悲……っ、これが聖女の器なのか……」
「死ぬほどお辛い目に遭われてきたはずなのに、その元凶に赦しを与えるとは……!」
あれ? 何か思ってたのと違う方向になってしまいました。
「あ、あの……私がこの家を離れなくちゃいけないのは確定なんですか?」
もし叶うなら辞退したいとやんわり匂わせるのですが、お二人は頑として譲ってくれませんでした。ああ、私のハッピー被虐ライフが……。
「そう悪いことばかりでもありませんよ、サディス王子も聖女様をお待ちです」
ため息をついていた私は、神官さんの言葉にピクッと反応しました。
サディス様? サディス第一王子と言えば、世間でも評判の「ドドド攻めな俺様S王子様」じゃありませんでしたっけ? 王子ながら剣も魔法も一流で、彼に氷のような態度であしらわれるのがたまらないと、ご令嬢の間で話題になっていると聞いた事があります。
「……行ってみようかしら」
「「おお!」」
ぽつりとつぶやいた言葉に、使者のお二人は目を輝かせます。なんというかもう、聖女になることは決定事項のようですし、どうせなら未来に向かって希望を抱いていた方がいいですよね。
「それでは早速お連れ致します。お荷物もあるでしょう、1時間後に出立ということで」
「わかりました」
とは言え、持っていくような荷物はほとんど無いのですが。
自分の部屋である階段下の物置きの前に立ち、私は何を持っていくか悩みます。その時、後ろでカッと靴を鳴らす音がしました。振り返れば、この世の終わりのような顔をしたお姉さまと奥さまが立っていらっしゃいます。
「エムリーゼ……なんでアンタが、アンタなんかが選ばれるのよ……!!」
メラメラと燃え盛る怒りの炎に、私は少し気後れしながら視線を逸らします。それでも今までお世話になったお礼を伝えておこうと正面を向いて頭を下げました。
「奥さま、お姉さま、今まで本当にありがとうございました。私がこの家で幸せに過ごせたのはお二人のおかげです」
「何よ、嫌味のつもり!?」
「いえ、心の底から本当にそう思っているんです」
今まで私の望むままに痛みを与えて下さってありがとうと伝えたつもりなのですが、お姉さまは噛みつく勢いで叫びます。
「バカにしやがって! 死ね!!」
いつものように容赦ない平手打ちが私の左頬にヒットします。膝から崩れ落ちた私は痛む箇所を押さえました。ああ、脳まで揺さぶるようなストレートが――、
「気持ちいい……」
「はっ?」
うっとりとする私は、お姉さまたちの誤解を解く良い方法を思いつきました。そうです、どうせこれで最後になってしまうのなら、正直に私の性癖を明かしてしまえば彼女たちの罪悪感も晴れるのではないでしょうか?
「ごめんなさい、ずっと隠して来たんですが、私どうやら痛みが快感に変わるタイプのようで」
「は? なに言ってるの?」
「ずっとずっと、蹴られるのも殴られるのも、食事を与えられないのも、私にとってはご褒美以外の何物でもなかったんです。本当ですよ? 信じて下さい」
心からの本音をまっすぐ伝えると、お二人は気味が悪い物でも見るような目つきで一歩引きました。欲しがりな私は追い縋ります。
「別れの餞別として、もう一発下さいませんか? 奥さまの蹴りでもいいです。ヒールの尖ったところでグリッと」
「うわ、なにこの子。……キモッ」
「あっ、いいっ、いいですその目! もっとなじってください!」
ゾクゾクしながらさらなる罵倒を願うと、お姉さまは本格的に怯えて奥さまにしがみついてしまいました。
「やだ……キモい! 変態よ! 変態変態変態!!」
「あぁぁ~っ」
「お母さま、お母さまぁ!!」
「なんなのよアンタ!」
奥さまはお姉さまを庇うようにして部屋へと駆け込んでしまわれました。あぁ……。
部屋をトントンとノックした私は、今度こそ本当に最後の別れを告げました。
「本当にお世話になりました。王宮に行ってもお二人の事をずっとずーっと想っていますからね。お身体に気を付けてどうかお元気で」
――ひっ!?
――何するつもり……ごめんなさい! 謝るから許してくださいエムリーゼ様っ
「エムリーゼ様、そろそろ出立いたします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
そうして私は生まれて初めて実家を出る事になりました。今朝目が覚めたときはまさかこんな事になるとは思ってもみませんでした。けれども人生何があるか分からない物。心機一転、未来に向かって希望を抱きましょう!
差し当たっては王宮での人間関係が気になりますね。ドSと噂の王子様、いったいどんなプレイをする方なんでしょう……?
***
翌朝、私は王宮のふかふかなベッドの上で目を覚ましました。ゴツゴツに固い床でないと何だか眠った気にならないです……。
「おはようございますエムリーゼ様!」
「さっそくですが御仕度を」
「好きなお色はありますか?」
「あわわわわ……」
起きるなり部屋に突撃してきた侍女さんたちに取り囲まれ、私はあっという間に身ぐるみを剥がされてしまいます。
「まぁ、なんて美しくクセのない髪なのかしら……まるで天上に流れるという金の川のようですわ」
「見て、この新緑が芽吹くような翠の瞳に、瑞々しく小さな口を」
「何を食べたらこんな美少女になれるのかしら」
強いて言うなら、ヘドロのように腐った野菜とカチカチの岩みたいなパンとかでしょうか。胃を抉るような食あたりは内側からの攻撃と言った感じで殴られるのとはまた別の良さが……とは語れませんけど。
目まぐるしくお風呂に入れられ髪を整えられて、淡い水色のたっぷりとしたドレスを着せられた鏡の中の私は、それまでとは別人のようになっていました。う、動きにくい、あ、でもコルセットの締め付け感は好き。とても好き。
「本日はこれより王子と私室での顔合わせ、その後は玉座にて両陛下との謁見となっております」
「サディス王子と初めてのご対面ですからね、とびっきり美しくして行きましょう!」
わぁ、いきなり王子の私室に招かれてしまうんですか? ドSと名高い王子様の事ですから、当然あんな道具や、こんな道具もお部屋に隠し持ってらっしゃるのでは? どうしましょう、見せて頂けるでしょうか。あわよくば使って頂けたり……胸が高鳴って仕方がないです! 指締め器くらいはありますよね!?
「では、わたくし共は隣室で控えておりますので、何かありましたらお呼びください」
王子の部屋の前まで送ってくれた従者さんと侍女さんたちが、ぞろぞろと隣の部屋に消えていきます。私はすぅっと息を吸い込んで目の前の重厚な扉をノックしました。
――入れ。
朗々と響く低い声が中から返ってきて、私は静かに中に入りました。教えられた通りにスカートをつまみ、膝を折って腰を深く落として見せます。
「お初にお目にかかります、サディス様。エムリーゼ・ファルゴットと申します」
「フン、お前が俺のパートナーになるという聖女か」
顔を上げた私は、正面の椅子に長い足を組んで座る男性を真正面から見つめました。
この世の物とは思えない美術品のように整った顔立ち、キラキラと輝く銀髪をアシメに流し、長めの前髪の隙間から覗く蒼穹色の瞳でこちらを射抜いています。不敵な笑みを浮かべていた彼は、頬杖をつく体勢から立ち上がるとこちらへツカツカと寄ってきます。そして私を壁際まで追い詰めると、壁に手を着いてグッと顔を寄せました。
「いかにも世俗にまみれていなそうな女が来たな。実態がどうだかは知らんが」
「あ、あの、私――」
「おい、誰が勝手に喋って良いと言った?」
空いている方の手をこちらの顎に添えたサディス様は、グッと上を向かせます。鼻が触れ合いそうなほど近くで、重低音が吹き込まれます。
「その口、今すぐふさいでやろうか」
「あ……」
ゆっくりと迫る口が、私の唇と触れ合いそうに――、
「ファッションドSじゃないですかー! やだーっっ」
「むぁっ!?」
なる寸前、私はガッと彼の顔を掴んでそれ以上の進行を止めました。イケメンが横方向に引き伸ばされて酷い事になってますが、気にせずそのまま前後に揺さぶりながら泣き叫びます。
「違うんです違うんです、私が求めてるドSっていかにもそう言った乙女向け小説みたいな『強引でぶっきらぼうだけどふとした時に見せる優しさが素敵……キュン』みたいなやつじゃなくて、もっとハードな感じの激しめなやつでぇ!」
「おまっ、何、を、やめ」
「鞭とかないんですか? 緊縛系のスキル習得してないんですか? 聞いてた話と違いすぎるじゃないですかぁぁ」
「やめろ!」
バッと振り払われて、王子は一歩引きます。信じられないような物をみる目つきで彼はこう続けました。
「お前、王族に対してなんて不敬だ。牢にぶち込まれたいのか?」
「牢……?」
「待って、なんで嬉しそうなの」
「拷問器具とかあります?」
「通訳ー」
***
数分後、お互いに少し落ち着こうということになり、向かいがけのソファに座った私は頬に手をあてながらここに来た理由を正直に申し上げました。
「――と言うわけで、私、肉体的痛みを伴うことに快感を覚えるたちでして、サディス様に理想のご主人様になって頂けないかと思って来たんです」
「お前それ……国民にバレたらやばい奴だろ。清らかなイメージの聖女がドMて」
「あ、聖女業もきちんとやりますよ! お役目ですからね」
「素直で真面目なのに……どうして!」
痛む頭を押さえていたサディス様は、あーもう! と、天を仰ぎました。
「とにかく、俺はお前のご主人様になんてならないからな!」
「何となくですけどサディス様、素質はあると思うんですよ! お任せ下さい、私が一からお教えします。養殖ドSでも相手を想う心意気があればなんとかなります! ドSのSはサービスのS! Mはまごころです!」
「王子にサービスを求めんな! お断りだ!」
バッサリと断られ、私の視界はしばらくするとじわりと滲んでいきます。
「……なんだよ」
じっと王子を見つめた私は、悲しくなりながらダメ元で聞いてみました。
「どうしてもダメですか?」
「っ……」
そのまま見つめ続けていると、王子はパッと手で顔を覆って視線を逸らしてしまいました。突然のことに驚きながらも、私は首を傾げます。
「……サディス様、熱でもあるんですか?」
「無い」
「でも耳が赤くなって……あ、私の治癒魔法で治せるかも」
「無いって言ってる! これは気の迷いだ俺ェ!」
叫んだ彼は勢いよくご自分の頬をバシーンと叩きます。いい音です! 私にも!
「あのぉ、ふしぎなんですが、サディス様にそういったケが無いなら、どうしてドS王子なんて呼ばれてるんです?」
どうにも分からなくて尋ねてみますと、彼はしばらく言いづらそうに口ごもっていましたが、重たい口を開いてお話して下さいました。
「それは……あれだ、俺の見た目だけで周りが勝手にイメージを押し付けて来て。期待の目を向けられるもんだから仕方なく応えている内に……だな」
「はぁ、そうだったんですか」
意外なお話に目を見開いていますと、バツが悪そうに眉を吊り上げたサディス様はこんな事を言いました。
「笑いたければ笑え。自分でもアホみたいな演技だって分かってる」
少しだけすねたような言い方に、私は口の端を吊り上げます。
「笑いませんよ。『この人がそうであって欲しい』っていう期待は誰しもが無意識にやってしまっていることだと思いますし。私だって期待してやって来た一人なんですから」
この人はたぶん、とてもまっすぐで良い人なんでしょう。会って一時間も経たない私にこんな胸の内をさらけ出してくれるぐらいですから。
「幻滅させて悪かったな」
ブスっとふてくされたように呟く彼がなんだかおかしくて、私はクスッと笑いながらこう返しました。
「確かに期待してた人物とは違いましたが……でも、周囲の期待にがんばって応えようとするサディス様がとってもお優しい人だっていうのは分かりました。私はそんな素のサディス様も好きですよ?」
軽く微笑んでそう伝えますと、真剣な顔をしていた王子はそれまでとは違う声色でこう返してきました。
「……。エムリーゼとか言ったか。お前、この後の謁見で聖女なんて断れ」
「え、どうしてですか?」
「国を挙げての立場なんて、華やかに聞こえるかもしれないがロクなもんじゃない」
ええと、やはり聖女がドMというのはお断りだと言うことでしょうか。もしかして傷つけないよう遠回しに牽制して下さっている? 召集した張本人である王族の方がそうおっしゃると言う事は……そういうことですね! 分かりました!
「父上――王は優しい方だ。どうしてもと言えばきっと理解してくれる」
「分かりました。お断りすればいいんですね?」
拳を握って立ち上がったその時、部屋のドアをノックする控えめな音が響きました。
「サディス様、エムリーゼ様、じき陛下との謁見のお時間でございます」
***
謁見の間でもある玉座は、途方もないプレッシャーで満ち満ちていました。たくさんの有力貴族の皆さまが両脇を固める中、私はサディス様にエスコートされてその重圧の中を進んでいきます。
途中で彼は離れ、王と王妃様が座る玉座の段を登りました。彼がご両親の傍に控え立つのを待ってから、私は膝を折りご挨拶を申し上げます。
「エムリーゼ・ファルゴットと申します。このような場は不慣れな物で、無作法がありましたら申し訳ございません」
その言葉に、扇子を口元にあてた王妃様がクスクスと笑います。
「確かにぎこちない動きですこと。聞けばこれまでロクな作法も習わず平民のような扱いを受けてきたとか。これでは公務の席でどんな恥をかく事やら」
見下すような視線を受けて私は一人俯いて震えます。たくさんの人の前で私を貶めるなんて……もしかしてあなたが理想のご主人様ですか? 素敵です王妃様。いえ、ぜひ女王様と呼ばせて下さい!
そう期待を込めて見上げると、扇子をバシッと閉じた彼女はこちらを指しました。
「覚悟なさい、正式に聖女に就任した暁にはこのわたくしがじきじきに指導して差し上げますわ! なんとまぁ磨けば光りそうな可愛らしい娘ではないですか。厳しいレッスンの後はわたくしおすすめの熱い紅茶とその細い体が豊満になるほどおいしいお菓子をたんまりと用意してやりますから。せいぜい地獄の特訓を震えて待つ事ね!」
あ、違いますねこれ、ただの良い人でした……。サディス様のお母さまというのも納得です。
その王子様と言えば、王妃様の後ろで何やら百面相をしてらっしゃいました。どうやらジェスチャー的には『断れ! 断れ!』と、言っているようです。ハッ、そうでした。
再び頭を垂れた私は恭しく申し出ます。
「発言をお許し下さい陛下」
「なんだね?」
「聖女という重大な責務はわたくしにとって非常に荷が重たいものにございます。せっかく引き立てて頂いたのに申し訳ありませんが、辞退させては頂けないでしょうか」
どよ……と、謁見の間に動揺が走ります。ふむ、と顎を撫でていた陛下は落ち着いた様子でこうおっしゃいました。
「どうやら、何か強い意思があっての事のようだね」
「はい。この場で(ドMだという)理由を申し上げることは(選んでくださった神官さまの世間体もあるので)できませんが、いかなる処罰も(悦んでェ!)受ける覚悟でございます」
辺りは沈黙で静まり返ります。しばらくして口を開いた陛下の声の響きは、とても穏やかで安心できるものでした。
「何やら訳ありのようだ、頭ごなしに否定はせぬよ。わたしは何よりも個人の意思を尊重することを第一に置いている。これだけ確固とした意思のそなたに無理やりやらせるのは、信条に反してしまうな」
「でしたら……!」
「お互いによく話し合い、事情のすり合わせをしていこう。無理強いはしないさ」
「しかしあなた、それでは……」
王妃様が焦ったように口を挟みます。ですが陛下はほんの少しだけ疲れたように背もたれに身体を預け、顎を撫でました。
「むりもない。聖女は魔界との裂け目の最前線に赴いて、騎士たちの治療を一手に担って貰う予定だったからな。魔獣たちがうごめく『暗黒平野』に行けば危険が伴い、」
(危険?)
ピクッと反応した私は顔を上げます。
「後衛支援とは言えおそらく傷だらけになり、」
ピククッ。サディス様がぎょっとしたように目を見開きますが、次の王の言葉でそんなことは意識から吹っ飛んでしまいました。
「時には死にそうな目に遭ってしまうやもしれぬ。どこからかその話を聞いたのであろう? 怯える少女に無理強いは出来ぬ――」
「やります! やっぱりやります!!」
挙手した私は思わず元気よく答えていました。ハッと我に返った時には遅く、皆さんの何で? という視線が突き刺さります。あ、えーーと、その……ですね。
すぅっと息を吸い込んだ私は、胸に手をあててキリッとした表情を取って見せます。大丈夫、演技力にはちょっとだけ自信があるんです。
「今のお話を聞いて、目が覚めました。私以外の聖女候補が傷つくなんて(そんなもったいないこと)逃げ出した自分が許せなくなると思ったんです」
おぉ……、とその場がどよめきます。王子が頭を抱えて盛大に仰け反っていますがその場に居る全員が私に注目しているので誰も見ていません。
「傷つくのは私だけでいい(ご褒美だから)。たとえ魔獣に痛めつけられようとも私は何ともありません(本当に)。陛下、ありがとうございます。私は責任の重さに情けなく逃げ出すところでした。ですがもう迷いません。それが聖女という肩書きを与えられた私に課せられた使命だと思うから!」
わぁぁと歓声が巻き起こり、割れんばかりの拍手が玉座にいつまでも響きます。
そうして私は、当初の予定を覆して聖女へと就任したのです。
***
それから数週間後、基礎的なスキルを修練し終えた私は魔界との境である『暗黒平野』を駆け抜けていました。
「『身体強化!』」
真向から向かって来る魔獣たちの群れに、私はためらうことなく突っ込んでいきます。狼のような見た目のそいつらの爪をギリギリのところでかいくぐり、存分にスリルを楽しんだ後は踊るようにクルッと回転して両手に光を集めます。
「『浄化の光!』」
聖魔法の光弾を放つと、まともにくらった敵は光となって消えていきました。さぁ次いきましょう!
額の汗を拭ったその時、すぐ後ろでギャンッという悲鳴が聞こえました。振り返ればサディス様が剣を構えて肩で息をしています。その先では私に飛び掛かろうとしていたらしい魔獣が倒れ伏していました。
「アホリーゼ、このバカ! どこの世界に単騎で特攻する聖女が居るっ」
「でも、結局これが一番被害が少なくて済むって話になったじゃないですか。あ、怪我してますよ。治しますね」
片手間に彼の腕の傷を治した私は、同時進行で瘴気を抑え込む結界を広げつつさらなる行軍を進めます。駆け出した私の後を追うようにサディス様が必死に食らいついてきます。
「ウォォォ先走るんじゃねぇ! 何考えてんだほんとっ」
「結局、私についてこれるのはサディス様だけでしたね。それっ」
「俺が! フォローしてやってんだよ! お前の本性をみんなに悟らせないように!!」
「あああ~、このスリルがたまんないですっ!」
私は恍惚の表情を浮かべながら両頬を押さえます。
私が敵陣に躍り出て敵の注目を集めたところで、後ろからやってきたサディス様が特大の魔法と剣技を叩きこむ。私は飛び交う攻撃をスレスレのところで楽しみながら浄化しまくり、誰かが傷を負えば治癒魔法で全快、そのまま勢いを殺さず次へ。こちらに来てからそんな『回避タンクヒーラー&アタッカー戦法』を確立するのに時間はかかりませんでした。元々ここで苦戦していた騎士さんたちには、現在は遥か後方で撃ち漏らしの処理をお任せしています。なんでも私たちが来てからその被害は激減したとか。あ、遠くから声援が聞こえますね。笑顔で手を振り返しておきましょう。
「サディス様、私、嬉しいです! こんな天職があるなんて! あ、怪我したらすぐ言ってくださいね?」
「ふざけんなゾンビ戦法とかやりたくねぇぇ!」
嘆きながらもサディス様は恐ろしいほどの火力で敵をなぎ倒していきます。私はその積み上げられた屍の上にトンッと降り立ち、指を祈りの形に組みました。すぐにパァァと光が天へと還っていきます。
――ありがとう。
かすかなお礼の声が私の耳に届きます。魔獣とはこの世に囚われた思念が瘴気にあてられて形を作った物。彼らをしがらみから解放するには聖魔法の浄化スキルしかないんだそうです。
私の全身をぐっしょりと濡らす赤い血が敵の返り血か自分の物かもわかりません。そんな血みどろの頬を拭いながら私は微笑みました。
「私は傷ついて嬉しい。国のみんなは安全になって嬉しい。魔獣は大いなる流れに還ることができて嬉しい。その事がとても嬉しいんです。人のお役に立てるって、こんなに素敵なことなんですね」
「血まみれじゃなきゃいいセリフなんだけどなぁ……」
どこか諦めたようにため息をつく彼の手を取り、私は自分の額にそれを押し当てます。
「サディス様、私の性癖を理解してくれて、それでも引かずに傍にいてくれてありがとうございます」
顔を上げ真正面から見つめた私は、心からの笑顔でこう伝えました。
「あなたは私の最高のパートナーです」
ボッと顔を赤く染めたサディス様でしたが、すぐにこちらの手を大きな手で握り返すと、油断なく背中合わせの体勢に移行します。
「死なせないからな」
「はいっ、死んだら楽しめないですから!」
私もすぐに構え直し、再び周囲から湧き上がってくる敵たちに備えます。駆け出しながらトンッと踏み込みました。
「褒賞は要らないので、いつかご主人様になってくださいね!」
「ならねーよ!!」
私とサディス様が、戦場を駆ける最強夫婦として称されるまで、あと少し……。
おわり
お読みいただきありがとうございました。
他にも短編~超長編までいろいろと書いていますので、良かったら作者名から飛んでもう一冊いかがでしょう。
この話が気に入ったら→『アラサー聖女は帰りたい』シリーズ
シリアスも欲しいなら→『死亡ルートしかない悪役令嬢に転生しましたが、じいだけが癒しです』
どちらも1ページ完結の短編ですのでお気軽に。
長編だと『失格聖女の下克上』が看板作になってます。
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