こちら晴天なり、アニスリア戦線異状なし☆
澄み渡る秋空。魔法が盛んな二国、ザルヴェルデ王国とガンロディンバ王国との国境の空にいくつかの人影があった。彼らは箒にまたがって悠々と飛んでおり、地上から見上げると、優雅な雰囲気に見える――のだが。
「ちょっと待ってください!」
上空では前方にいるこないはずの先輩を指しながら、全力で叫んでいた。ぱっと見、かなり気弱そうな姿をしているが、その叫び声は元気そのものだ。
「なんで先輩がここにいるんですかっ! 先輩、用事があるから一緒に来れないって言ってませんでしたっけ!?」
無視して飛び続ける赤髪の先輩に続けざまに言う。しかし、相変わらず彼女、アイリスは少女の方を向かず、ただ飛び続けている。少女には彼女の顔は見えていなかったけれど、アイリスはかなり楽しそうだった。
「いいじゃない? それとも何なの? 私がいることに不都合でもあるかしら?」
振り向かずに表情とは裏腹に不機嫌そうな声を出す彼女。わざとらしく後ろで束ねた髪をゆらす。緑髪の少女はじゃあ、なんで来たんですか⁉︎ と大きく叫ぶが、相変わらず無視を決めこむ。
そのとき二人の間に人影が入りこんだ。
「あらあら、まぁた素直じゃないんだから。素直になれない魔法使いに育てたつもりなんて、私はないわよ?」
鈴を転がすような笑い声とともに放たれた言葉に顔を引きつらせるアイリス。彼女のげぇといううめきが緑髪の少女まで聞こえてきた。
「レン先輩まで‼︎」
緑髪の少女、リリーが新たな登場人物に驚きの叫びをあげる。レン先輩と呼ばれた女性、レン・マズリュートはリリーに優雅に笑う。動きやすいパンツ姿ではなく、スカート姿のまま箒に横乗りしている彼女は、リリーにひらひらと手を振ったものの、動いていても腰まで垂らした長い髪を揺らさない技術は彼女独自のものだった。
「ご機嫌よう、《猪突猛進のリリー》」
優雅な声の持ち主は微笑む。彼女に入学して早々につけられたあだ名にやめてくださいよぉと涙目になるリリー。しかし、レンはそれにさえも微笑むだけだった。
☆ ☆ ☆ ☆
きっかけはその三日前のことだった。
大陸の西側のザルヴェルデ王国、王立サンデルバニア魔法学校内のある部屋にて。
「はい? 今、なんとおっしゃいましたでしょうか」
魔法学校二年生、リリー・フルームスは目の前の人物に向かってどういうことだと詰め寄っていた。
「何度でも言おう。君は実技の成績がすこぶる悪い。だから、その補習として、明後日の門限までにアクリオンを見つけて、生け捕りにしてきなさい」
アクリオンとはザルヴェルデとガンロディンバの国境付近に生息するという希少な魔物のこと。めったに人前に出現することはなく、生態の解明が進んでない。また出現したとしても死体でしか見つけられないので、生きたまま捕えるのはかなり難しいとされている。
そんな希少な魔物を探してこいって、雲をつかむような話じゃないか。
そうリリーが涙目になると、目の前の白髪の男性、ウォーガン教授が呆れぎみに彼女を見る。
「まぁ、私も鬼じゃないから、寮姉たちについて行ってもらうのを認めよう。ただし、二人には自力で同行を求めなさい」
ウォーガン教授はやれやれという仕草をしながら言い渡す。リリーはそんなぁと情けない声を出した。
全寮制かつ三年制のこの魔法学校。男女別の寮で、各寮では各学年二人ずつ、計六人が同一の部屋で暮らし、その部屋の中で二組に別れて礼儀作法などの師弟関係、寮師弟を結ぶ。リリーの場合、三年生のレンと二年生のアイリスが寮姉となった。しかし、その寮姉二人――レンとアイリスはリリーと違って成績優秀者であるものの、性格は……一言で言ってしまえば面倒だ。入学早々、寮師弟関係を結ぶときには『私たちからの指導を期待しないで』と言われしまい、実際にほかの先輩たちと違って、放任主義というかほったらかしになることが多い。もちろん、教えてもらわなければならないことは教えてもらっているが、ほかの先輩と比べて予定をどうも聞きづらいし、同行をお願いしづらい。
でも、一人でアクリオンを捕まえにいくなんて怖い。怖すぎる。
ウォーガン教授の部屋を退出してから寮に戻るまで、どうしたものかと考えたが、やはり二人に助力を頼むしかなかった。
「断るわ」
想像した通りだった。ひとつ上の寮姉、アイリス・フェルンベルナは赤い髪をかきあげながら拒否した。
「もちろん、アクリオンを探してみたいし、寮妹手伝うのはやぶさかじゃないんだけど、その日まで私、自分のクラス対抗戦があるからあなたを手伝う時間はないのよ」
即座の拒否にですよねぇとうなだれる。ごめんねと謝るアイリス。別にアイリスに罪はない。分かりましたぁと言いながら、顔を覆うリリー。もう一人も……――可能性はゼロに近いが、一度、尋ねてみるしかないと決意した。
「あらぁ、それは無茶なお願いだわねぇ」
次にレンの元へ向かうと、アイリス同様、即座に断られる。やはりかと思いつつも、グッと精神的にきたリリーはその場で崩れ落ちた。
「私は魔物が苦手でね。とりあえず、実習はみんなが手伝ってくれたから助かったけど、私が引っ張っていくのはからきしなのさ。それに時間がなくてな。なにせ、あと少しもすれば卒業するけど、もう職場からお呼びがかかっていてね」
重そうな漆黒の髪を軽々と揺らしながらにこやかな笑顔で話すレン。リリーはショックで気を失いたくなった。
「だからすまないが、一人で頑張ってくれるかい?」
レンのダメ押しにそんなぁと大声で叫んでしまったリリー。それを少しだけ目を細めて眺めながら、なにかを考えていたレンだったが、それにリリーは気づくことはなかった。
☆ ☆ ☆ ☆
そんな二人に断られていたはずのリリーを放置して、レンとアイリスはなにやら言い争っている。
「そういうレン先輩も乗り気じゃなかったですよね?」
アイリスは苦虫を噛み潰したような表情でレンに向かって言い放つ。
「私が魔物苦手なのは事実でしょう、《千里耳》? まぁ、お役人たちのありがたいお説教聞いて、着任早々、勝手につけさせていただいた名前で呼ばせていただくよりは、後輩を手伝って希少なアクリオンを探しにいくほうが何倍も互いのために有益だわ」
しかし、そんなアイリスの気持ちなんて知らないのか、レンは涼しげな表情をして言う。
「そんなことよりあなたのほうはどうなの? 来年の成績にも影響するクラス対抗戦に出なくても良かったの?」
レンはアイリスにそう突きつける。一年前にはレンも通った道。一応、彼女なりにも心配していているのだ。アイリスは大きくため息をついたが、大丈夫ですよぉと返事をする。
「本当は楽しそうだから、あちらに参加したかったんですけど、昨日の夜にウォーガン教授からも頼まれましたし、たまたまそれを聞いていたベルツマン教授からめちゃくちゃ推薦されたから、手伝いをすることにしたんですぅ」
彼女はめちゃくちゃ嫌そうな声をしていたが、付きあいの長いレンはそれが嘘だと見抜いていた。
「先輩たち、本ッ当に申し訳ありません‼︎」
『魔法なしの人』が行うスポーツの一つ『バドミントン』のようにぽんぽんと進む二人の会話に入れず、ただ二人の会話を見ながら飛ぶことしかできなかったリリーは会話が途切れたタイミングを見計らい、素直に謝罪した。
「本当よ。この時間にはスウォッグでコーレルのやつを倒しているはずだったんだから」
アイリスはふんと鼻を鳴らしながら、言い放つ。レンは相変わらず彼女のひねくれた性格に苦笑するだけで、何も言わない。確かにスウォッグ、『魔法なしの人』の中で流行ったサッカーに似た競技でトップレベルの球さばきを見せるアイリス。学内で行われるスウォッグ競技では『球さばき』のアイリスと『動く壁』のコーレル、二人の激突は見物なのだ。
「ま、このアクリオン探しに比べたら、つまらないけどね。それに三日間、一人で頑張ってきた後輩を見捨てられないわよ」
ぼそっと付け加えられた言葉にほらねと笑うレン。学年も上、社会的身分も最上級の王族な彼女にはこれ以上何も言えなかったアイリス。
レンはすっと表情を締めて前方を見ながら二人に向かって言う。
「さて、日が暮れるまえにアクリオンを捕まえにいきましょう。彼らの棲み処、アニスリア洞窟まで」