葡萄畑でピカレスクロマンを
●森屋帝一
影田喜咲との推理ゲームを終えて僕ら兄妹が家に帰ってきたのはかなり遅かったけれど、明日は土曜日だから夜食を取りながら借りてきた映画を観る。
戦国時代の武士(阿達ムクロ)が現代にタイムトラベルして普通の高校生として生活する。という内容だったのだが、保険の先生が妖怪だったりヒロインが陰陽師の生まれ変わりだったりとなにかと展開が忙しい。
見終わった僕らの感想は『ムクロの演技すげー』。そのひと言に尽きる。
映画自体は詰め込み過ぎてなにをしたいのか分からなかった。
推理ゲームによって放置してしまったポップコーンとコーラはというと予想通り美味しくない。
しけったポップコーンはネットで【復活方法】を検索してそれを試す。復活とまではいかなかったけどなんとか食べ切った。
炭酸の抜けたコーラはゼリーの材料にしてしまうことにする。
穂花も一緒にゼリー作りを手伝いたいと言ってきたけど時刻は深夜0時。
『美容に悪いから早く寝なさい』と説得。不服そうにしていたけどなんとか頷いてくれた。
それにしても炭酸が抜けてしまったからとコーラをゼリーにするのは面白味に欠けるのではなかろうか。
まるで事件の依頼人が犯人だった時くらいありきたりで味気ない。つまり安易だ。
コーラ味のクレープだとか、カップケーキだとかの方が意外性があって喜ばれると思う。
いや待て。王道は時代遅れだから邪道に逃げるなんて、それこそ考えの放棄ではなかろうか。
そもそも僕はなにを真剣に考えているんだ。眠くて思考がおかしくなっている。ゼリーでいいのだ。
粉ゼラチンと砂糖、レモンジュースなどを使って工程を済ませ容器を冷蔵庫へ。
我ながら手際の良さに関心。
さてさて、これで僕もぐっすり眠ることが出来る。
かちゃり、どさり。
玄関の鍵が会いたと同時に家の中になにかがなだれ込んできたような音。
……まさか泥棒、じゃないよな?
フライパンを手に取って警戒して玄関を確認する。
そこにいたのは泥酔したかのように倒れこんでいる黒髪ボブの女性。
正しくは美魔女として多大なる人気がある小説批評家の富子先生。息を吐くように毒を吐く。
「母さん、おかえり。大丈夫か?」
「……お腹が空いて……力が出ません」
「なにその主人公みたいなセリフ」
「私はどちらかと言うと悪役が好きです」
キリッ。うつぶせの状態で決め顔する母さん。
警察官の妻である貴女が言うのはいかがなものでしょうか。
寝っ転がっている母さんを持ち上げてリビングに向かい、椅子に座らせた。
魂が抜けたようにだらん。
「悪役こそ作品の顔と言えるでしょう。読者にとって主人公とは理想、悪役こそ共感の塊なのですよ。だから探偵よりも犯人の方が人間らしいのです」
「魅力的な探偵だって沢山いるだろ」
「ええ、分かっていますとも。ですがその裏には探偵よりも魅力的な悪役がいるおかげです」
推理小説家として作品への考えを議論したいところだが、母さんの悪役愛の講義を永遠と聞かされてしまいそうだったから諦めた。相手は名探偵のライバルみたいな名前を息子に付けるような人だ。
とりあえずキッチンに向かう。
このままでは母さんが空腹で気絶してしまうかもしれない。
「野菜炒めで良い?」
「はい。すぐに食べられるなら」
野菜と牛肉を炒め、醬油とごま油で味付け。
冷凍庫に入れていた米をレンジに。
お皿に盛りつけて、素早く持っていく。
「ありがとうございます。いただきます」
「飲み物はどうする?」
「今日はワインの気分です。赤をお願いします」
もぐもぐ、と礼儀正しい母さんには珍しく野菜炒めにがっつく。飲み込む前に次々に口へ放り込んでいる。
グラスに赤ワインを注ぐとテイスティングする様子もなくがぶ飲み。
「逃げたりしないからゆっくり食べな。のどに詰まるぞ」
「浩二さんじゃないんですから大丈夫です」
「父さんはビールのつまみのタコですら詰まらせて死にかけたからな」
「ふふ。落ち着きがないんですよあの人は」
それにしても母さんがこんなにもお腹を空かせて帰ってくるなんて珍しい。
僕が起きるよりも早く出掛けたからお弁当を渡せなかったけどいつもならどこかのお店で食べてくるはずだ。
……まあ、理由は聞かなくても想像は出来る。
【阿達ムクロが愚昧灰荘だった騒動】。
イケメン俳優が実は世界的に有名なベストセラー作家だったと報道されたのだ。
今回のことで灰荘と犬猿の仲とされている批評家の母さんがメディアに駆り出されないわけがない。
それこそご飯を食べられないくらいの忙しさなのだろう。
「お疲れ様」
僕は感謝と謝罪を込めてぺこりと頭を下げる。
そして母さんと向かい合うように座った。
もぐもぐ、こくり。
口の中を空にして母さんは真剣な表情を浮かべ、
「穂花は?」
囁きほどの小声。
「もう寝た」
「そうですか。……まったく驚きましたよ。阿達ムクロくんはすごいですね。愚昧灰荘の正体を知っている私ですら信じてしまいそうでした。あれは演技と言うよりも催眠術の類ではないですか?」
「はは、母さんにそこまで言わせるなんてな」
「笑いごとではありませんよ帝一。話してみて思いましたが、彼は誰よりも灰荘を再現出来ている。貴方よりも正確に」
これがどれほどの緊急事態か分かっていないと母さんは首を振る。
先ほどとは違いこくりと優雅にワインを飲み、
「話は戻りますが、悪役の魅力とは?」
「目的がはっきりしていること、だな。推理小説の犯人は探偵を欺くことに全力を尽くさなければならない」
「そう。悪役が問題を起こし、主人公がそれを解く。つまり悪役がいなければ物語は始まらない」
『日常ものや恋愛ものは?』と腰を折ってやりたくもなったけど、これはあくまで推理小説を前提としている会話だ。
「愚昧灰荘、貴方は霧です。目的も実態も見えない推理小説家。かたや霧に形を持たせたカメレオン俳優。探偵にとってどちらが悪役に相応しいか……黒幕の座を奪われたと言っても過言ではないでしょう」
愚昧灰荘が探偵役である森屋穂花に仕掛けた頭脳勝負。
これまでの僕がゲームマスターだったけれど今ではいちプレイヤーか。
阿達ムクロの動き次第で推理ゲームの行く末が決まる。
母さんが言うようにどちらが探偵の悪役に相応しいかの勝負。
少しでも間違えたら崖に落とされるような駆け引き。
「──────」
僕が考え事をしていると母さんの顔がこわばった。
どうやら知らず知らずのうちに本性が出てしまったらしい。
「ごめん。つい楽しくなっちゃって」
「……悪い癖ですよ」
破滅願望。なんて言われるかもしれないけど絶体絶命の修羅場ほどワクワクしてしまう。
負けたいわけじゃない。むしろ誰よりも負けず嫌いな自信がある。
どんでん返し、大逆転が好きなだけ。
そんな僕の悪癖を知っている母さんは呆れたようにため息をついた。
「まあ見ていてよ。相手が本物を超える模倣犯であろうと、僕は絶対に負けたりしない。母さんの望み通り、誰よりも魅力的な悪役になってみせるさ」
それに──
「穂花は誰にもあげない」
例えライヘンバッハの滝に突き落とされるような結末になったとしても、探偵の敵意はいつだって僕だけに向いていて欲しいから。
どんな推理小説家よりも冷酷で、計算高くあらねばならない。
ムクロの動機が『妹の願いを叶えたい』ならば僕の動機は『妹の敵であり続けたい』。
「我が子ながら救いようのないシスコンですね」
「……違うやい」
「しかし帝一がそう言うならば母として見守りましょう」
「うん、ありがとう」
安心したように母さんは小さく微笑んで、ワイングラスを差し出す。
「おかわり、いただけますか」
早くも頬が赤い。ほろ酔い状態。
正直この人はアルコールにあまり強くない。
そして酔うといつも以上に饒舌になる。
……今にもベッドにダイブしたかったけど。どうやら当分無理そうだ。
■愚昧灰荘の弟子
【1番弟子】
赫赫隻腕/藻蘭千尋
得意ジャンル・不明
【2番弟子】
畑地海兎/(ペンネームが多過ぎるため未表示)
得意ジャンル・密室ミステリー
【3番弟子】
アドリエッタ
得意ジャンル・サイコサスペンス
【4番弟子】
四奈メア
得意ジャンル・ヒューマンミステリー
【5番弟子】
辺里葛蓮
得意ジャンル・贋作ミステリー
【6番弟子】
ドリトル・チャルマーズ
得意ジャンル・脱出ゲーム
【7番弟子】
遊ヶ丘幽
得意ジャンル・自分探し中
【8番弟子】
エリザベス
得意ジャンル・BLミステリー
【9番弟子】
ジョン・ウェストテンペル
得意ジャンル・アドベンチャーミステリー
【10番弟子】
影田喜咲
得意ジャンル・解読ミステリー