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●影田喜咲
その推理小説家が仕掛ける暗号は常識を逸脱していた。
もはやそれは新しい言語。解読するにはめまいのする程の時間を浪費し、学者並みの知識が必要なもの。
ベストセラー『ケルクホフスに告ぐ』。
作者、愚昧灰荘。
小説の3割は灰荘が作り出した暗号文。
よくこれでベストセラーを取れたものだ。と関心してしまう程の知識のひけらかし。
自分の作品の読者ならばこれくらい解いてみろ。なんて鼻で嗤っているのだろう。
そんな腹立たしさを感じながらもページを捲る手は止まらない。
天才という言葉は好きではないけど、そんな理不尽が存在しているのなら愚昧灰荘は間違いなくそれだ。
ぱたりと灰荘の小説を閉じた私はすぐさま出版社に手紙を書いた。
愚昧灰荘に向けて。【弟子にしてください】という文面と自作の暗号文を添えて。
でも何度送っても暗号の答えを書いた手紙が返ってくるだけ。どうやら私が勝つまで認めちゃくれないらしい。
普通なら心が折れそうなものだけど私、影田喜咲は暗号大好きっ娘なのだ。
暗号解読ミステリーの為ならばどんな苦境だろうと乗り越えてみせる。逆に燃えるってもの。
「人生とは解読の連続である」
これが私の心得。
簡単に言ってしまえば『物事を理解し行動すれば絶対に失敗しない』。
他人の言葉の裏や、行動の意味を探る。うまく出来れば対人関係に苦労することはない。
男の子はどうか知らないけど女の子はこの力がないと正直ちょっときつい。
そして私は誰よりもそれが上手かった。
自分で言うのもなんだが他人に嫌われた事がない。
女友達の前では声のトーンを上げ、逆に男の子と話す時は少し声のトーンを下げる。なんてのもちょっとした工夫のひとつ。
「私、喜咲さんみたいになりたい。高嶺の花っぽいのに接しやすくて誰にでも優しいもの」
「確かに。彼女なら帝一生徒会長と付き合っても納得しちゃうかも」
「そうなったら、皇帝のお妃様じゃん」
クラスメイトがしょうもない話題で盛り上がっていた。
アーティ高等学校生徒会長の森屋帝一先輩と私が……ないない。
振った女は数知れず、どんな不良だろうと彼を恐れる超人高校生。そんな恐ろしい人と関りを持ちたいなんて思う輩はどうにかしている。
私は静かに暗号作りをしたいだけ。
当たり障りのない学園生活をしているのもそんな平穏を壊されたくないから。
そもそも私の男性のタイプは優しくおおらかで、私の作った暗号を横に座って真剣に解読してくれるような人。そんな柔らかい恋をしてみたい。
断じて知識のひけらかしをしてくる暴君作家でも、恐怖政治で学園を支配している生徒会長でもないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……やってしまった。移動教室である理科室に暗号を書き溜めたノートを置きっぱなしに。
誰かに見られて笑いの種なんかにされていたらどうしよう。
小走りで廊下を進んでいく。ちょうど授業が終わって昼休み。
理科室の前に辿り着くとガラッと扉が開いた。
出てきたのはガタイの良い銀髪の不良と、線の細い金髪の中性的な美少年。
「んじゃ、俺は先に教室戻って弁当食ってるわ」
「まるでキミと帝一クンがお弁当を一緒にするのが当たり前みたいな口ぶりだね。帝一クンはボクと食べるのに」
「あ?わけわかんねぇな宇多川」
「はあ、これだから野蛮な人は嫌いなんだよ畑地海兎。威嚇すれば言うことを聞くと思ってる」
「こら、ふたりとも仲良くしてくれ。みんなで食べよう」
「「やだっ!」」
ケンカしていたふたりの先輩はぷいっと反対方向に分かれていく。でも話を聞く限り目的地はお互いに自分たちの教室だろう。
明らかに不良の先輩は遠回りしている。
彼らが見えなくなるまで廊下の端で隠れていた私はそっと理科室を覗く。
昼休みだから当たり前なのだが生徒はほぼいない。
ただひとりを除いて。
窓際の席に座り、真剣な眼差しでなにかを書き留めている美男子。
……噂通り確かに絵になる。
誰にも見つからず暗号ノートを回収してやろうと企てていたのだけど、どうやらそれは叶わない。
なんせ理科室に残っている先輩が興味深そうに熟読しているのだから。
「あ、あの。すみません帝一生徒会長。そのノート……私のです」
声色を不自然なくらいに変えて、顔を両手で隠す。
相手は『なんか変な奴がやってきた』と言うような顔を浮かべてから、小さく笑う。
「ああ、すまない。中を見るつもりは無かったんだけど。名前が書いてなかったから……あと少しで全問解けるから待ってくれる?」
なにをふざけたことを。
それは私が小学生の頃から書き溜めている暗号文たちだぞ。
私の手から離れて2時間ちょっとで……て、嘘でしょ。本当に解けてる。
「君はすごいな。こんな面白い暗号を考えられるなんて」
「……生徒会長もすごいですね。専門知識が無いと解けないものばかりなのに」
数学意外は平均的だと思っていた。
確かに『ダ・ヴィンチに匹敵する頭脳』なんて訳の分からない噂は聞いたことがあるけど。噂は噂。
そもそもこの人に関しての噂を全て信じたら、漫画のヒーローだって逃げ出すような怪物が出来上がってしまう。
「あ。いっけね」
やらかした顔。
「えっと?」
「面白かったから気が緩んだな。……こほん。この事はふたりの秘密にしよう。大丈夫?」
よく分からないけど頷く。
私だって暗号ノートのことを他人に話すつもりはないから。
生徒会長は安心したように肩を下ろしてから、暗号ノートを手渡してくれた。全問解いてしまったらしい。
顔が見られないように受け取る。
「君のおかげで楽しい時間が過ごせたよ。ありがとう」
「楽しんでくれたなら、私としても嬉しいです」
なんだろう、このほわほわとした気持ちは。
想像していた森屋帝一生徒会長は、不良の群を引き連れて女性を侍らせる悪のカリスマ。
「生徒会長っ!……じ、女性のタイプをお聞きしても良いですか?」
あわわわわ、私はなんてことを口にしているのだろう。
しかも声色を変えて、顔を隠しながら。
生徒会長は戸惑った顔をしてから、少し考える。
「そうだな。……僕の作った数独を真剣に解いてくれて、それから頭抱えながら『負けた負けた』って笑ってくれる女の子、かな」
「……勝たせてあげないんですね」
「はは、ああ。僕は負けず嫌いなんだ」
いたずらっ子みたいに笑い、立ち去る。
理科室には私だけがぽつりと。
足から力が抜けて壁にもたれかかった。
「『皇帝のお妃』って呼ばれるのも全然あり」
これが恋のはじまりだったことは言うまでも無い。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
愚昧灰荘は俳優の阿達ムクロ。そんなニュースが流れた。
そして私の手元には灰荘からの手紙。
開けてみると推理ゲームとやらのルール説明と探偵役である女の子の写真。
それからスラム通りの裏通りにある喫茶店グレコに呼び出された。
地下室に案内され、いたのは灰荘の弟子を名乗る面々。
愚昧灰荘と会いたかったのだが褐色の女子中学生に『忙しいから、今度よ』と言われる。
そりゃそうだ、こんな騒動であの人気俳優が出歩けるわけがないか。
そうして推理ゲームのシナリオを考え、他の弟子たちに協力を頼む。
開催日は決まり次第連絡する、とのこと。バイトがない日だとありがたいな。
と思っていたのだが。
例の女探偵が、森屋帝一生徒会長を連れてレンタルDVDショップに訪れた。
……もしかして彼女?
前髪ぱっつんの黒髪ロング、明るそうな可愛い子。確かに生徒会長が言っていた女の子のタイプに当てはまりそう。
推理ゲームにあまり乗り気ではなかったけど戦う理由が出来た。
事務所に行き、カバンから用意していた挑戦状を取り出す。そして空欄にしていたタイムリミットを記し、レンタル袋にそれを忍ばせる。
「なに道端で倒れてるのよ爆弾魔。……その様子を見たらなんとなく分かるけど勝ったの負けたの?」
「振られました」
「は?」
愚昧灰荘の4番弟子、四奈メアちゃん。
可愛らしい褐色中学生ギャルだが私の姉弟子にあたる。
どうやら様子を見に来てくれたらしい。地面に寝っ転がっている私を見て呆れたようにため息。
「今、私は失恋という名の海をぷかぷかと浮いているのです。中学生のメアちゃんにはまだ分からないと思いますけど、途方もない旅の始まりです」
げしっ。
「いたっ。……蹴らないでくださいよ」
「むかついたから。まあ、元気そうでなによりね」
「元気じゃないですよ!禁断の愛から帝一さんを救い出して真実の愛に気付かせる果てのない計画をこれから練らなくちゃいけないんですからっ!やる事いっぱいですよ」
私が大声を上げると、メアちゃんは口をぽかんと開けて固まる。
『悪いことは言わないから、やめときなさい』と言いたげに首をぶるんぶるんと振られているが気にしない。
影田喜咲、アーティ高等学校1年生。恋に生きる15歳。
暗号推理小説家のプライドにかけて帝一さんの心を必ずや射止めてみせる。ふんすっ。