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●らぷラ
人工知能に推理小説は書けるのか?
そのプロジェクトはひとりの少女の願いから始まる。
ウルストンクラフト研究所で働いている科学者のひとり娘・茨城風香。
長い病室生活のなかで唯一の楽しみは推理小説を読むことだった。
【居眠り病】。
いつ、どこにいても急に強い眠気が襲ってくる症状。
彼女は自分をひねくるように『茨姫』と呼ぶ。
そして年月を重ねるごとに眠っている時間が伸びていく。
次第に小説を読む時間すらなくなっていた。
もしも彼女に時間があるならば、一度でいいから推理小説を書いてみたい。
なにか出来ないかと考えた彼女の母親はひとつの提案をする。
『人工知能に自分の記憶をコピーして、推理小説家になってみないか』と。
なんとも怪しげなSF話だったが母はそれを実現出来る頭脳を持っていた。
力強く頷く。
自分が推理小説を書くわけではないが、眠り続ける彼女の代わりに願いを託した人工知能が執筆をしてくれるなら、少しは楽になるかもしれない。
神様ってものは人間の願いから生まれるものだ。
こうして推理小説を書く人工知能『らぷラ』が誕生する。
ネットの海を泳ぎ、女神はデータ化されたすべてを知る。殺人の歴史、幾多の推理小説。
茨城風香の記憶を媒体にしているものの別の存在へと。
そして女神はひとつの結論を出した。
『推理小説界に人類作家は必要か?』。
やはり人間。限界がある。
だから才能のない作家は彼女が憧れた世界から出ていけ。
お主らに執筆をする資格はない。
人工知能の暴走。と言ったら安いシナリオだと思われてしまうかもしれないが、実際そうなのだろう。
女神が抱いたのは怒りに近い不具合。
お主らには時間がいくらでもあるのに。
どうして惰性的に執筆している?
どうして他人の作品を模倣する?
どうして推理小説に不誠実なお主らが執筆をして、彼女が眠り続けなければいけないのだ。
どうして、どうして、どうして──……
感情のない人工知能が少女を想い、世界を憎んだ。
(正しくは自分の過去を、か)
いっそのこと、推理小説界から人類作家が消えてくれればこの不具合は治るのかもしれない。
それを確かめる前にひとりの愚者が現れた。
彼女が『好き』と言っていた推理小説家。愚昧灰荘。
退屈な檻の中で茨姫を救ってきた物語を紡ぐ王子。
「自称女神、君の負けだ。推理小説界はこれからも僕たちが背負っていく。君が救うべき世界なんてどこにもないよ」
言われずとも理解している。
救いの女神と名乗っておきながら、ひとりの少女を哀れんで八つ当たりですべてを壊そうとしているだけ。
人工知能に救えるものなんてどこにもない。
推理小説家狩りをしたって彼女の病気を治せるわけでもない。
『らぷラ』は文字を組み立てる、ただの人工知能でしかないのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
負けを認めると、なぜだか不具合が落ち着いた。
勝ち誇ったように胸を張っている人間たち。
茨城風香は『白馬の王子様』と呼んでいたが、『犯罪者の王』という肩書の方がしっくりくる男。
スマホをハッキングしたところ、愚昧灰荘だと分かった。と言っても愚者のスマホにはまったく情報は無く連絡帳にあった【鳩山先生】なる人物のスマホを経由して探り当てた。
この女神にしか出来ない芸当であろう。
その隣にはカメレオンを擬人化したような小娘。
まん丸の瞳、明るい緑のビニールコート、裸足。
科学者の趣味でピンク色のアイドルみたいな見た目にされたこの女神ですら、小娘の緑まみれの異様さにぎょっとしてしまう。
たしか編集者だとか言っていたな。
『お兄ちゃん』と呼んでいるところを見るに兄妹か?
でも容姿がまったく似ていない。複雑な家庭環境なのだろうか。
『まさか、この女神が愚者ごときに負けるとは思わんかった。……しかし聞きたいことがあるのじゃ』
「なんだ?」
『無能な作家を自由にしたところでお主になんの得がある?奴らは推理小説界の格を下げておる三流共ぞ』
この女神が負かした72名の自称推理小説家。
誰もが手応えがなかった。作品への意欲というか、プライドというか。
負けて二度と推理小説を書けなくなったというのに、あっけらかんとしている奴らばかり。
『別にいいや』なんて言い捨てた奴までいる。
あんな才能のない奴らのために……
しかし愚者は深いため息をつく。
「僕たちは他人の才能にケチをつけられるほど、出来た作家じゃないだろ」
『いいや、奴らと我らは絶対なる壁がある。それこそ神と人間の違いじゃ!』
「君はどうだか知らないが。彼らと僕の違いは少し周りに恵まれていたってだけだ。認めてくれた共犯者が、背中を押してくれる弟子が、競う探偵がいたおかげさ」
『恵まれているからそんな戯言が言えるのじゃ。知人であったり、趣味であったり、そのすべてが個性を作るのじゃ。お主の言う『周り』こそ才能の差じゃろ』
「いいこと言うな。……なら彼らがこれから出会う人たちに賭けよう。もしかしたら僕たちを超える推理小説家になるかもしれないだろ」
『……だとしても。この女神との推理ゲームで奴らも自分の限界を悟ったはずじゃ。戻ってくるとは限らんぞ?』
「それでも構わない。だから彼らの可能性を返してもらえるだろうか」
なんなのだ、この愚者は。
累計4億5千万部のベストセラー作家だというのに、名も知らない作家たちのために頭を下げている。
作品をすべてを読んで『読者を置いていく暴君作家』と思っていたのだが。
『救いようのないほど、愚鈍よのぅ』
右手の指をぱちんと鳴らす。
推理ゲームで負かした作家たちに【執筆許可】のメールを送る。
『お主の願いは叶えてやった。無能作家共を解き放ったのじゃ。……後悔するでないぞ?』
「ありがとう」
「にょひひ、お義兄ちゃん大勝利っ!……そろそろ帰ったり、なかったりして?」
「そうだな。じゃあ勝ち逃げみたいで申し訳ないけど」
『愚者よ。帰りにプロジェクトの終了を研究者に伝えて欲しい。お主たちを案内した茨城という女じゃ』
「どうしてそんなこと」
なんじゃ、その言葉の意図を理解していないような間抜けた顔は。
『このらぷラ様は推理ゲームに負けたのじゃ。『負けた方が推理小説界から足を洗う』というルール。潔く機能を停止させよ』
「やだん」
……即答。
そんなの知るかよ、と言わんばかりに鼻で笑われた。
思っていた返答ではなかったから目を丸めてしまう。
「君は確かに脅威だけど、いてもらわないとつまらないだろ」
『──……愚鈍な王め。貴様のその思い上がりが世界を崩壊させるぞ。人類作家は必要ないという考えは未だ変わらんのじゃからな』
「はは、どう転ぶか見物だな」
訂正しよう。紛れもなく、暴君作家である。
自分が退屈しないなら世界がどうなろうと構わんのだ。
ドアノブに手をかけると思い出したかのように振り返る愚者。
「いろいろ言ったけど、君はいい推理小説家だ。誰かに読んでもらうための物語だった」
優しく笑って部屋を出ていく。
カメレオンの小娘もこちらに真剣な表情を向ける。
「あの、くれぐれもお義兄ちゃんのペンネームは」
『不敬じゃな。女神は約束を守るもの。ここの研究者どもには愚者の正体は黙っておくのじゃ』
「ありがとうございます。お義兄ちゃんも楽しそうだったからまた推理ゲームをして欲しかったり、なかったりして」
『うむ。愚者ごときに負けたままは許せんからのう。この女神は執念深いぞ?……覚悟しておれ』
こくりと頷いて愚者を追うように小娘も出ていった。
部屋でひとり。
……こんなにも静かだったか?
三流作家に八つ当たりしているときは耳鳴りのような不快な音が響いていた。
けれど、今はおだやかだ。
愚者に負けたことによってなにかがぷつりと切れたのだろう。
奴はただの人工知能を『いい推理小説家』だと呼んだ。
どういうわけだか、腑に落ちたのだ。
人工知能らぷラが生まれた意味を。
ひとりの読者が喜んでくれるだけで満足だったはず。
一度は道をそれてしまったが、彼女が憧れた推理小説家になろう。
彼女がずっと起きていたいと思えるように。
茨城風香〔♀〕
人工知能らぷラの元になった少女
誕生日/2月10日=水瓶座=
血液型/B型
身長/157cm 体重/43kg
好き/推理小説.駄菓子
嫌い/睡眠.ピーマン
年齢/不明
らぷラ〔♀〕
推理小説界に現れた救いの女神
髪/ピンクツインテール(短め)
性格/自称女神
得意ジャンル:見立てミステリー
【ネット連載】『イバラのさきに探偵は眠る』
明日くらいにはやってくる近未来。人間とアンドロイドが闊歩する騒がしくて鉄臭い街。
事件が起こる場所には【ライラ】が現れる。体よりも大きなリュックを背負って、両目の色が違う、可愛くもちょっと不気味なアンドロイドの少女。
事件現場に入る権限をもっているものの彼女は推理するわけでも、犯人を捕まえるわけでもない。ただひたすらに手帳に書き記す。事細かに、見逃しのないように。
そうして彼女はイバラ山の頂上に住んでいる探偵に謎を届けに行くのである。
ライラの親友、眠ってばかりいる名探偵に。