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●森屋帝一
電車に乗ってふた駅。
そこから歩くこと20分。
隣には緑のビニールコートを着た裸足のカメレオン娘、もちろん注目が集まった。
正体を隠して生活している僕にとって目立つのは困る。
しかし運が良いことに私服にフードがついていたからそれを被り顔を隠すことができた。
「裸足なのに痛くないのか?」
「心配ならおんぶしても良かったり、なかったりして」
「残念だったな。僕の背中は穂花専用だ」
コンクリートの道を裸足でとてんとてんと進んでいく満紗に誘導してもらい目的地である【ウルストンクラフト研究所】に辿り着いた。
鉄の要塞、と表現するべきか。
もしもゾンビウイルスが世に蔓延したならその発生原因はここにある。
そう思わずにはいられないほどの怪しさ満載なんですよ。
『WCL(おそらくウルストン・クラフト・ラボラトリーの略)』という研究所のロゴですら悪の組織臭い。
「ひえー、ブルっちゃうなあ」
「だからやめたほうがいいって言った」
呆れて首を振られる。
おいおいなにを勘違いしているんだい、この震えは武者震いというやつだ。
足ががくがくしすぎて立っているのがやっとだけど恐らくそうだ。
自動ドアが開く、腰が抜けないように満紗の肩に手を置いていたおかげでなんとか入り口を抜けることが出来た。
近未来を彷彿とさせるエントランス。
巨大ディスプレイ。この研究所の商品なのかロボットが数体。
「ようこそ推理小説家様!我々の研究所へ。驚きました……まさか、人工知能らぷラに自ら挑戦する方が現れるとは!」
出迎えてくれたのは研究服を着た女性。
「こちらの事情でペンネームを教えられない作家の挑戦を受けていただきありがとうございます」
敗北した時の『推理小説界から足を洗う』という条件を恐れてということではない。
『愚昧灰荘が人工知能らぷラに挑戦する』となると間違いなく研究所は広告効果を狙ってテレビ局を呼ぶだろうし、阿達ムクロの件もある。
申し訳ないとは思うが控えさせてもらった。
「大丈夫ですとも。研究所はデータさえ取れれば文句はひとつもありません。……ただ敗北のルールはらぷラ本人が定めたものですので、覚悟してください」
「もちろん。……しかし、それはどういう?」
「冗談抜きで推理小説界から足を洗うことになるのです。ペンネームを変えようと出版方法を変えようと、彼女はネットの海から貴方を監視しています」
「ち、ちょっとターイムっ!相談タイムが欲しかったり、なかったりして!」
横槍を入れたのは担当編集者である満紗。
まんまるの目を余計に大きくして、青い顔をしている。
(帰ろうお義兄ちゃん。やっぱりこんなのおかしい)
(ダメだ。僕がここで逃げたら推理小説界の破滅だ。才能がある作家の人生まで狂わされるのは許せない)
(だからってなんで愚昧灰荘先生が!)
(逃げたら僕は愚昧灰荘には相応しくない。どこぞの俳優に称号を奪われたほうがマシだ)
(くぐっ……たしかに。さぁちゃんがここにいたら背中を押すと思ったり、なかったりして)
深いため息。
理解のある良い担当編集者を持てて僕は幸せ者だなあ。
「よし、じゃあ。その人工知能推理小説家を拝見しようじゃないか」
うきうきるんるんの気持ちを悟られないように軽くスキップしながら研究所の廊下を進んでいくのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【人工知能らぷラ】と書かれた部屋に入っていく。
研究者とは扉の前でご武運を祈られて別れた。
なにやら『彼女は研究者に推理ゲームを監視されるのを嫌います。ですのでデータも終わってからしか確認出来ないんですよ』とのこと。
部屋の中はかなりシンプルな作りをしているものの、壁のディスプレイに宇宙空間の映像が流れていてまるで宇宙船に乗っているかのような錯覚する。
そして部屋の中心にいるのは立体映像ホログラムで作られた少女。
ピンク色のアイドルのような服。頭には王冠のようなアクセサリー。
人工知能の推理小説家・らぷラ。
その見た目は人間が親近感を芽生えさせるためでしかないから、彼女と表記していいのか甚だ疑問ではある。
しかし彼女は微笑んで。
『これはこれは、愚鈍なる王よ。まさかメインディッシュにと考えていた推理小説家がわざわざこのらぷラ様の前に現れるとは』
僕が愚昧灰荘だと知っている様な口ぶり。
けれど研究者が知らなかった情報を持っているはずがない。
『そう驚くな。女神に嘘は通じぬと伝えたかっただけである。安心せい、身分を隠したいというならここの役立たずの研究者どもには貴様の正体は明かさんよ。ただ推理ゲームに勝てたらの話だが』
どうでもいいのですけど、見た目が可愛いアイドルなのに口調が女王様とはこれいかに。
設定ミスもいいところだ。
しかし聞く限り本当に意思があるように感じる。
人間との違いと言ったら生身か映像かという点のみではなかろうか。
ここは相手を怒らせないように丁寧な返しをしよう。
「はは、誰にものを言っている。『機械仕掛けの神』だか知らないが。安いシナリオは誰も求めちゃいない、無用の長物だろうに」
「……お、お義兄ちゃん。怒らせるようなこと言わないで」
『デウス・エクス・マキナ』
機械仕掛けの神と呼ばれるそれは古代ギリシアの演劇において、人間たちには手に負えない事態になったとき絶対的力を持つ神が助けに現れ事態を収めてくれるようなシナリオ。に登場する『神』を表す。
らぷラの話を聞いたときすぐ連想されたのがそれだ。
思わず口を滑らせてしまった。
『名に恥じぬ愚者だな。しかし女神は寛大だ。貴様の推理小説家としての命ひとつ置いていくだけで許してやるのだから』
「まず聞くが君が負けた時の条件は」
『そんな結果は起こり得ないが、提示してやろう。その方が惨めな足掻きを見物出来そうだからな』
「……なあ満紗。彼女の話し方、眠くならないか?」
「うん。編集者として言わせてもらうと典型的な悪役っていうか、読んでる最中に『コイツ人気出ないだろうなー。すぐに負けて欲しいなー』って思わせるタイプのラスボスみたいだったり、なかったりして」
『……』
僕たちの会話を聞いて動きを止める。
一拍置いて、
『分かったのじゃ。このらぷラ様が負けたときの条件じゃが理解しておる。『阿達ムクロが愚昧灰荘だった騒動』を収めて欲しいんじゃろ?』
あ、話し方が変わった。
さすが人工知能と言うべきか学習する。
でも急なキャラ変更はびっくりするからもうしないでください。
「いいや。頼みたいのはそんなことじゃない」
愚昧灰荘は僕の問題だ。
人工知能の手を借りようなんて初めから考えてないもん。
ちょっと頭によぎったけども。
『……ならばなんじゃ?お主の望みを言うと良い』
「君に負けたすべての推理小説家の制限を解いて欲しい」
『やはり愚鈍よのぅ。無能の作家どもの為に己の命を捨てようとするとは』
「いいや。君に勝ち目はない」
不快そうな顔をこちらに向けてくる。
けれど怖くもなんともない、たかがホログラム。
そういう表情を浮かべる場面だからそう表示しているだけなのだから。
「命の重さも、人間の感情さえも理解出来ない人工知能に本当の意味での執筆が出来るとは思えない」
『笑わせるでない。お主よりもこの女神はこと殺人の歴史において優れておる。『カイン』が弟の『アベル』を殺めた最古の殺人から現在に至るまでデータとして全て見ておるのじゃよ?推理小説界の王如きが女神に歯向かうでない、不敬じゃ』
『王と神』。
なんとも大袈裟な神話劇が始まろうとしているが、僕はそんな分不相応な役職になったつもりはない。
読書家のライバルであるただの推理小説家で満足です。
けれど森屋穂花という負け知らずの名探偵のライバルとして機械仕掛けの神なんかに負けるわけにはいかない、とも思うわけでしてね。
『そろそろ言葉を交わすのも辞めじゃ。推理小説界の行く末を賭けた推理ゲームを始めようぞ』
らぷラが壁のディスプレイに視線を向けると映像が切り替わった。
無数の文字列。人工知能が書き上げた推理小説である。