六畳一間のマルファス 1/5
●森屋帝一
金曜日、アーティ高等学校生徒会長室の昼間。
推理小説を執筆するにはもってこいな怪しげな曇天。
それにしても外が騒がしい。
窓から様子を伺うと校門の外で道を埋め尽くさんばかりの記者の群。
【愚昧灰荘宣言】した阿達ムクロをインタビューするべく集まったのだろうが俳優業で忙しい彼はほとんど学校に登校しない。ましてやこの騒動で余計難しくなっただろう。
おそらく隻腕がいるホムズ女学園にも似たような光景かもしれない。
コンコンッ。
ノック音を聞き原稿用紙をしまう。
連絡役の鳩山先生だろうか。
「どうぞ」
その訪問者は、想定していた人物ではない。
髪色は黒に近いグレーで天パ、左目下にホクロがある男性。
「やあモリアーティ。なかなか学校に顔を出せなくてごめんね。『瑠璃色の瞳』で探偵役をして以来息もする暇もないくらい忙しくて」
カメレオン俳優・阿達ムクロ。
どんな役でも彼が演じれば心配ない。善人も悪人も、富豪も貧乏人も、肥満も細身も、女性さえも見事に演じきってみるだろう。
どんな大物俳優だろうと彼の横に立てば大根役者。
「まさか世間を騒がしている時の人が現れるとは、驚きだ。記者の壁があったと思うんだが、よくもまあ見つからずにすり抜けられたものだな」
「簡単なことじゃあないか。記者の興味が向かないような平凡な男子生徒を演じただけだよ。ごくありふれたエキストラのような少年をね」
「うそん」
彼はコスプレや特殊メイクの変装しなくてもそんな荒業を披露出来てしまうのだ。
それはもはや才能にあらず。
そんな異能バトルものみたいなセリフをさらっと言わない欲しい。
ムクロは生徒会長の椅子に座っている僕の前に立った。
いつもの優男の顔ではなく悪人のようなオーラを放つ。
「ねえ、いまどんな気持ち?」
「イケメン俳優に熱い視線を向けられてドキドキしてる」
「あはは、光栄なこと言ってくれるじゃあないか。……でもさ、ぼくが話したいのは帝一じゃあないんだよ。愚昧灰荘」
ムクロは左手で拳銃を作り僕の眉間に向ける。
子供のおふざけのような行為だけど演技力のせいなのか本物の拳銃を向けられているような緊迫感。
どんな気持ち?
積み上げてきた名誉をかっさらおうとしている大怪盗を前にした心境は。
「これほど屈辱を思い知ったことはない。どうかお願いだから『違う』と訂正してくれ……とでも言ったら満足か?」
「いいや。きみはそんな小さな器の持ち主じゃあないだろう?」
悪役を演じているムクロよりも冷酷に笑って見せる。
「君のような平和主義がどうして推理小説家に関わろうとしているのか疑問でしかない。ましてや愚昧灰荘を演じるなんて大きく出たな。誘拐されるだけが取り柄の俳優風情が」
「……おっと、思っていたより怒ってた」
愚昧灰荘を語るのは別に構わないが穂花との推理ゲームの最中にあの報道だ。
生半可な覚悟で僕の楽しみを阻もうとするなら誰であっても許さない。
「理由を聞こう。それとも隻腕の色香に騙されて考えなしに行動したか?」
「彼女はいいね。大人っぽくて一途。ぼくはもっと年上のお姉さんが好きなんだけど。うん、なかなかどうして悪くない……でもぼくの意思できみの前に立っている」
「ほう」
「愚昧灰荘。ゲームマスターを気取るのもここまでだ。ここからは君もプレイヤーとして働いてもらう。負けたらすべてが終わる本当の推理ゲームを始めよう」
「敗者はすべてを失う?そうか僕は【愚昧灰荘】を賭けるわけだな」
「うん、負けたら全部ぼくのものにする。今まで書いた小説も、弟子たちも、森屋穂花という読書家から向けられる対抗意識も。全部いただく」
決して僕がゴーストライターになるわけではない。
文字通り阿達ムクロが愚昧灰荘になろうとしている。
それを可能にする演技力が彼にはある。
以前彼は『俳優ってのは映画の中で2時間程度しか生きられない。短時間だけど、ぼくはその人生達を本気で生きたいんだ』と恥ずかしげもなく言っていた。
阿達ムクロの役への執着は病的なのだ。
一度でも演じたら意地でも役を降りないだろう。
「君はなにを賭ける?」
「マシロに『あにき』って呼んでもらう権利をあげよう」
「驚くほどいらない」
「冗談さ。【俳優・阿達ムクロ】を賭けてもいいけどきみに利があるわけでもないし釣り合うとも思ってない。だからもしもぼくが負けたら、なんでも言うことを聞いてあげるよ」
ん!いまなんでもするって言ったよね?
しかも回数制限もされていない。
「いいだろう、その勝負乗ろう。そもそもあの記者会見があった後じゃ僕に拒否権はないわけだしな」
「よかった、安心したよ。これできみと本気の勝負が出来る」
「だからなんでそんなに血の気が荒いんだ。らしくもない」
「マシロと約束したんだよ。打倒森屋兄妹を。だからきみに勝たなくちゃあいけないんだ」
そんな動機でベストセラー作家・愚昧灰荘を語ったと?
マシロに『勝て』と言われたから、こんな騒動を起こしたなんて。
妹のために──
「それなら兄として絶対に勝たないといけないな」
「うん。お互いにね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ムクロとの対談を済ませて生徒会長室にひとり。
はあ、芸能人と話すのはメンタルが削られてしまう。
別世界の生き物のようなオーラがある。
落ち着くためにコーヒーを飲む。
カフェ・グレコのマスターからの差し入れ。コーヒーが入った魔法瓶。
執筆に戻ろうと思ったが、朝のホームルーム後に海兎からあずかった手紙の存在を思い出す。
もちろんラブレターなどではなく、推理ゲームの挑戦状。
青色の封筒。
封を閉じているシールには油性マジックで【丸】と書かれている。
開けて確認すると手紙の半分が破かれていて暗号文は完成してない。
半分は穂花に渡っているはずだ。
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A・M・W(GREY)=K・R
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●森屋穂花
……うーん。
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→E・R→N・T
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愚昧灰荘の弟子からの挑戦状。
ホムズ女学園の放課後、推理ゲームの場所を指定する暗号文とにらめっこする。
ヒントと言ったら赤い封筒とそれを閉じるシールに書かれた【秋】という文字だけ。
「どうしよう。わかんない」
「えー!まさかっすよね?いつもは『ふふっ、楽勝すぎるね』ってどやってるあの穂花ちゃんが解けないなんてそんなばかなーっ⁉ちょー嬉しいんすけど」
美玖ちゃんの喜ぶ顔にむかっとしたからほっぺをつねって顔の形を変える。
むぎゅうううう。
「いはいっす……それにしても珍しいこともあるもすね、明日は槍でも降るんじゃ。案外簡単に解ける問題なんじゃないっすか?穂花ちゃんなら深読みしてくれるって考えで」
「そういうなら美玖ちゃんの意見を聞こうじゃないか」
「わっちはもう解けてるっす。これは単に略称すよ。【E・R】は『救急救命室』で、【N・T】は『ネットワーク』……つまり、えーと。ネットワークがエマージェンシーで。だからパソコン修理専門店っす!」
やりきった感を出しておでこの汗をぬぐう美玖ちゃん。
なくはない回答ではあるけれど確証もない。
それにこのままじゃ解けない暗号のはずだ。
やぶれた手紙、赤色の封筒。
これと対をなすものを誰かが持っているはず。
ブブッとスマホが鳴った。
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なんの手違いか灰荘からの手紙が僕に届いた。
さっぱりだから穂花に写真で送ります。
関係してるか分からないけど封筒の色が青、
シールに【丸】って書いてある。
封筒のサイズは横11.8センチ縦20.1センチ。
分厚く硬めの紙、ザラザラしてる。
手紙はA4サイズのコピー用紙がやぶかれて半分。
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にぃにに渡っていた。
ふたつをつなげれば正式な暗号になる。
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【青の封筒(丸)】
A・M・W(GREY)=K・R
【赤の封筒(秋)】
→E・R→N・T
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「解けた。証拠さえそろってしまえばなんてこともない。この名探偵森屋穂花にかかればちょちょいのちょいだね」
「あーあ、ざんねんっす。いつもの穂花ちゃんだ」
それはどういう意味だ。
これはひとつの推理小説を書いた作者たちの名前。
授業ノートをカバンから取り出し書き込む。
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【青の封筒(丸)】
アリス・マリエル・ウィリアム(灰色)
=黒岩涙香
【赤の封筒(秋)】
→江戸川乱歩→N・T
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「イギリスの女流作家・アリス・マリエル・ウィリアムズが執筆した『灰色の女』。タイトルを変えて翻案した黒岩涙香。さらにそれをリライトした江戸川乱歩」
「N・Tは?」
「……しらない」
へにゃっと笑う美玖ちゃん。
ホノが知らないってことは推理小説じゃないんだろう。
そんな顔するとまた引っ張るよ。
でも間違ってはいない。
にぃにに届いた青の封筒のシールには【丸】。
ホノの赤の封筒のシールには【秋】。
色からイメージされるのは男と女。つまり主人公とヒロイン。
黒岩涙香版では主人公・丸部道九郎。ヒロイン・松谷秀子。
江戸川乱歩版では主人公・北川光雄。ヒロイン・野末秋子。
「つまり『幽霊塔』。そして物語の舞台は」
「あっ、乃木坂太郎!わっちあの作品大好きっす。特に山科さんが推しなんすよねー」
「えっと」
「あー、穂花ちゃんはあまり漫画読まないっすよね。とりあえずわっちはすっきりしたっす。推理ゲームの舞台は【時計塔】っすね!」
ひとりで納得している。
なんだこの置いてきぼり。
「……ホノが知らないことを美玖ちゃんが知っているなんて」
「えへへ、褒めてもいいんすよ」
不本意だが頭を撫でてやる。
わしゃわしゃわしゃっ。
「髪をボサボサにするのやめるっす!」