そしていつしかカレーライスに溶けていく
●森屋穂花
ニュース番組、SNSトレンド、近所の会話、すべてがその話題一色。
【演技派イケメン俳優・阿達ムクロはベストセラー作家・愚昧灰荘】だという告白。
自称愚昧灰荘はいままでネットで何度も現れていたが、当然のことながらなりすまし。
だから『私が灰荘だ』と言おうと、(また出た)程度しか思わず世間も慣れてきていたのだ。
例え阿達ムクロが宣言しようとドッキリ企画だと思われていたことだろう。
……しかし今回は話が違う。
藻蘭千尋先輩こと愚昧灰荘一番弟子・赫赫隻腕が『彼は本物です』と証言している。
「穂花、料理ができないからそろそろ降りてくれないか」
「やあだ」
呆れた声。
【ウェストテンペル教会】からにぃににおんぶしてもらって家まで帰ってきたが、ホノはまだ背中に張り付いている。
夜ご飯を作る準備を始めたいにぃにはホノを振り落とすために体をぶるんぶるんっと揺らした。
うぐぐ、負けるものか。
「ホノが大変なときいなかったくせに……少しくらい妹の癒しになろうと思わんのかね。そのうち反抗期がきちゃうよ!後悔しても遅いんだよ!」
「はいはい。悪い悪い」
「てやんでい、気持ちを込めんか!」
振り落とすことをあきらめたのかホノをおんぶしたまま調理を始めるにぃに。
「それで、穂花はあのベストセラー作家が本当にムクロだと思うか?」
「うーん、なんとも言えないね」
「断言できないなんてめずらしい。灰荘に会ったらすぐ気づくとか言ってなかったか?」
「相手はカメレオン俳優だよ。黒幕を演じているだけかもしれない」
なにかが引っかかるのだ。
灰荘までの手掛かりとして『アーティ高等学校の生徒』『高校2年生』『妹がいる』というのが挙げられ5人までに絞られた。
その中には阿達ムクロもいる。
……が、推理ゲームをしているホノを差し置いて世間に自白した意図は?
2時間サスペンスの中盤で自首をしてくる登場人物のような違和感。
そのケースだと真犯人が出てくるか爆弾(たまに有毒ガス)捜しに変わるパターンに分かれるね。
「でもあの藻蘭先輩が証言者だと考えると黒に近いグレーかな」
ホムズ女学園でも風紀委員長をしている優等生の体現。
ルールをなによりも重視する彼女が嘘を付くとも思えない。
ましてや『あの方』と慕っている愚昧灰荘に関わることだ。
自分への疑いを薄めるために他の容疑者を利用するなんて【愚昧灰荘】という推理小説家のプライドが許さないのではないだろうか。
「逆に聞くけど同じ学校に通ってるにぃにはムクロが灰荘だと思う?」
「どうかな。なんでもそつなくこなしそうだよな……さすがに超人すぎるだろとは思うけど」
「うむ、間違いないね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カレーの香りがした。
心地いいスパイシーさが鼻に届くとお腹がぐうーと鳴る。
「あ、幸せな香ばしい匂いがするっすよ!」
カレーが出来上がったのと同時くらいにリビングに現れたのはお風呂上がりの美玖ちゃん。
今回行った推理ゲームの追加ルールである水風船(赤い絵具入り)が割れて美玖ちゃんの制服は真っ赤に汚れてしまった。
だからお風呂に入れてホノのパジャマに着替えさせた。
「美玖が来たぞ。恥ずかしいからお兄ちゃんから降りようか」
「大丈夫すよ?もう慣れて感覚マヒってきたっすから。『兄妹って人前でもイチャつくのが当たり前』程度に思えるようになったっす」
「穂花を甘やかすな。兄離れ出来なくなったらどうする」
「もう手遅れっすよ」
失敬な、ホノを残念な娘みたいな会話しやがって。
ホムズ女学園で歴代トップで入学した天才児。森屋穂花ちゃんだい。
……名残惜しいがにぃにの背中から離れる。
「今日泊まってく?」
「いいんすか?おジャマじゃなかったらそうしたいっす!」
小皿にカレーを入れて味見しているにぃにをふたりの視線で威圧する。
にぃにはきょとんとした顔で、
「ああ。制服についた絵具が手強そうだからかなり念入りに洗わないといけないから最初からそのつもりだったぞ……でも明日も学校だけど教材とか取りにいくか?」
「心配いらないっす。スクープのために張り込みとかしてるときアパートに帰らないこともあるっすから教材は新聞部に置きっぱっす!」
ドヤッているが胸を張れることじゃない。
ジャーナリストとしての異常性と女子力の低さが垣間見える。
へにゃっとした口の変質者ではあるけど危ないから夜にはアパートに帰って欲しい。
でもお泊まり決定!
美玖ちゃんとハイタッチする。
トランプをしようか人生ゲームをしようか、推理小説の読書会、話すことが全くない恋バナ。
したいことがいっぱい出てくる。
「ふたりともお皿にライス盛ってくれ」
「んっ!」
「了解っす!」
食器棚からお皿を取って炊飯ジャーのライスを盛り付ける、ホノはにぃにの分も(少し多めに入れる)。
にぃにに差し出すとカレースープを入れてくれた。
美玖ちゃんはスープ多めが良いのか「まだいけるっす!」と交渉。
両親の分も残さないといけないからにぃには渋い顔。
「……父さんの分を減らすか」
可哀相なパパ。
犯人は美玖ちゃんです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リビングの机に料理を運ぶ。
にぃにの隣にホノが座り、その向かいに美玖ちゃんが座る。
今日のメニューは森屋家特製カレーライス。
ドロッと濃いめの中辛、野菜多めの牛肉カレー。
お好みでピザ用ミックスチーズをトッピング。
飲み物は麦茶。
「ハドソンさん、布かぶさせられてるんすね」
そう、ハドソン夫人(にぃにの飼っているエボシカメレオン)のお住まいに布をかぶせてもらっている。
「穂花に言ってやってくれ。あのままじゃハドソンが可哀相だ」
「いやー、わっちも今日だけはカメレオンは遠慮したいっすわ」
「そうだっ!これからもハドソン婦人には布をかぶっていてもらおう!ホノの心の健康のために断固抗議する!」
「やだん。温度調節が難しくなる」
頑張ってみたもののだめだった。くそう。
とりあえず今日だけは推理ゲームでの件もあるから隠してもらう。
みんな手を合わせて。
「「「いただきます」」」
ぱくりっ。はむはむ、ごくり。
「くああっ、おいしい」
「うっま!いままで食べたカレーのなかで一番うまいっす!」
「よせやい、照れるぞ」
バクバク食べていく美玖ちゃんと手料理を褒められて嬉しそうなにぃに。
「毎日食べたいっすねー。どうっすか帝一さん?わっちのお婿さん候補に空きがあるんすけど……穂花ちゃん、冗談っすから、その目やめて欲しいっす」
言っている意味が分かりませんな。ただ見てるだけですが。
続けたまえよ、お嫁さん候補(笑)ちゃん。
「にぃにが灰荘っていう可能性がなくなったからって調子が良いんじゃないかい?」
「いやいやまだわからないじゃないっすか。阿達ムクロと対面して推理ゲームをしなくちゃ確信出来ないっすよ、わっちは他人の言葉よりも自分の勘を信じてるんすから」
だからどうしてそこでにぃにを見てへにゃっと笑うのか。
……ただ美玖ちゃんの言葉には賛成だ。
ホノだって他人の言葉よりも自分の推理を信じているもの。
阿達ムクロの作品を見れば真相はおのずと分かる。
「はいっ!おかわりほしいっす!」
「早いな、ちゃんと噛んだか?」
「へっ、カレーは飲み物っす」
にぃには苦笑い。
ちゃんと味わって欲しいという気持ちと美味しそうに食べてくれて嬉しいという気持ちの板挟みにされて複雑そう。
しかしおかわりは作ってないのである。
残っているのはママとパパの分で、ただでさえパパのは少し減っている。
ホノが考えてることを察したのかにぃにはいたずらっ子みたいに笑った。
「父さんはおにぎりでもいいだろ」
……にぃに、パパの扱いザツだよ。
「ならホノもおかわりするっ!」