イスカリオテの弾丸
●森屋帝一
「~~~お腹いたい。笑い過ぎてお腹痛いん」
喫茶店『カフェ・グレコ』の地下室。
僕らの仕事場にあるシアターに映っているのは孤児院に閉じ込められて巨大なジャクソンカメレオンから逃げている探偵・森屋穂花とジャーナリスト朝倉美玖。
アドリエッタが選んだふたり目の弟子候補、ジョン・ウェストテンペルとの推理ゲーム。
愉快愉快。
これほど腹を抱えて笑えるエンターテインメントが他にあろうか。
にやにやしていたら視線を感じた。
「ホントに趣味悪いわ。……シスコンのくせに妹が困ってるところを見て喜ぶなんて。灰荘大先生の思考回路はどうなってるわけ?」
「悪魔だから仕方ねぇよ。だけどこのガキ共も弟子確定だな。ケッ、愚昧先生のツボを分かってやがる」
褐色肌の中学生ギャル・四奈メアは呆れたようにため息をつき。
アーティ高等学校の番長・畑地海兎は苦笑い。
このふたりは僕を変態かなにかと勘違いしていないか?。
もちろん兄である森屋帝一は悲しんでいるとも。
すぐにでも孤児院に走り出して妹を抱きしめてやりたい。
しかしだな。
今の僕は森屋穂花という読書家にひと泡吹かせてやろうと画策する推理小説家・愚昧灰荘。敵のピンチを笑ってなにが悪い。
そしてなにより困っている穂花はとても可愛いのである。
「ところで他の弟子は?アドリエッタは馴れ合うつもりはないだろうが、隻腕までいないのは珍しいな」
こんな名場面を見逃すなんて可愛そうだ。
アイリが映像を録画してくれているはずだからみんなで鑑賞しよう。
「隻腕先生は用事があるって。おかしいわね、彼女のことだから伝えていると思ってたのに……」
「確かにクソ真面目な隻腕しちゃ不可解だな。男でも出来たんじゃねぇの」
ぐふっ、確かに。
彼女も高校3年生。色恋のひとつやふたつない方がおかしい。配慮が足らなかったか。
……束縛しすぎていたかも。
「絶対ない。優等生というカテゴリーを体現させたようなあの隻腕先生よ?『成人するまで異性との交際は不純です』とかのたまってる女がよりによって。ないないっ!それに灰荘大先生に隠れてこそこそする度胸もないわよ」
四奈メアの失礼すぎる意見に頷きそうになる僕と海兎。……しかし隻腕のことを考えると否定してやりたい。
女子中学生に鼻で笑われる女子高生なんて悲し過ぎるもの。
「彼女は僕の右腕だぞ?嘘のつき方は心得ているよ。誰にも彼氏の存在を悟らせず不純異性交遊くらい」
「いやいや、言い出したのは俺だけどそれはアイツの沽券にかかわるから全力で否定しねぇと」
「ええ。さすがに隻腕先生が可哀相よ」
……どうやらフォローする方向性を間違えてしまったようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
名探偵と巨大カメレオンが追いかけっこをする斬新なモンスターパニック映画の上映が終わった。
B級臭がする内容だったが面白かった。
『名探偵VSカメレオン2』に期待して席を立つ。
そのタイミングでカバンに入っているスマホが鳴る。
───────────────────
灰荘の弟子撃破。
【ウェストテンペル教会】にいます。
すぐに迎えに来て(おんぶ帰宅所望)。
───────────────────
余韻に浸る暇もなく妹の穂花からのメール。
出来るだけ急ぐが、美玖が一緒にいるから少し遅れてもイジけることはないだろう。
ふたりの弟子に別れを告げ、カフェ・グレコを出ていく。
裏路地を進むと【スラム通り】へ。
ガラの悪い奴らばかりで無秩序な場所にも見えるが僕が近づくと道が開いた。
これは彼らが親切だからでも僕と友達だからでもない。
『アーティ高等学校の生徒会長・森屋帝一はやばい』と根も葉もない噂が独り歩きした結果だ。
だから早くこの場を離れないと噂の帝一を倒して名を揚げようと考えている猛者からケンカを売られてしまう可能性がある。
トタタタッ。
そんなのはごめんだ。小走りで人の群れに突っ込んでいく(不良たちが避けていく様子はモーセの十戎)。
【オトナの階段通り】付近まで進むと不良の数は減った。
スラム通りでたむろしている不良のほとんどはアーティ高等学校の生徒であるのが関係している。
というよりも性に敏感な歳頃なのだろう、硬派の不良を気取るには『はんっ!別に女に興味ねーし』みたいな強がりが必要なのかもしれない。
……実際ここを異性と歩いてる姿を見かけられたら間違いなく後日事情聴取されることでしょう。
なんて考えながら僕も知り合いに会わないように忍び足で進んでいく。
すると電柱の裏に隠れている女子高生が目に入る。
ホムズ女学園制服でスカートの丈は短い、スマホを凄まじい速さでいじりながら──……
「「あ」」
互いに目を丸める、(どうしてお前がここにいるんだ)と。
白に近いグレーのツインテール、右目下にホクロ、イケメン俳優を兄に持つツンデレ属性。
SNS探偵マシュマロ様こと阿達マシロ。
「あー、久しぶりだなミニスカ妹」
「なにその呼び方。シスコンザコのくせに頭が高い」
シスコン?……ザコは見逃してもその呼び方は気にかかる。
むしろ君の方だ。
子供のころから芸能界にいて、誘拐してでも自分の彼氏にしたいと思われているイケメン俳優・ムクロが兄である君の方が疑わしい。
あんなイケメンと同居していたら家族だろうと恋心を抱くに違いない。
「なにアホヅラでぼーとしてんの?」
「君も大変だな……世間の声は厳しいものかもしれないが頑張って生きてくれ、応援している」
「なんで哀れみの視線を向けてくるし。ケンカ売ってんの?」
睨んでくるマシロ。
この娘、血の気が荒いよ……目の敵にされている穂花は学園でイジメられてないだろうか。
お兄ちゃん心配。
「どうしてミニスカはこんな場所にいるんだ?」
「……呼び方変わってるんだけど」
「ムクロがいないのに『妹』呼びはおかしいだろ。よって僕の『シスコン』呼びも不適切だ。新しいあだ名を用意したまえ」
「あほらし、なんでこんなザコをあにきはリスペクトしてるんだか。……マシュマロ様の依頼でここにいるの。『彼氏が浮気してるから証拠をおさえてほしい』って」
スマホをこちらに向ける。
ホストのように髪を遊ばせた男性と露出の多い服を着た人妻がお城みたいなホテルに入っていく写真。
「だから私は忙しいわけ。ザコにかまってる暇はないからさっさとどっか行けし」
言われなくてもそのつもりだ。
穂花を迎えに行かなければならないのだから。
知り合いの妹がいたから社交辞令として話しただけだ。
「可愛げない君のことだから心配はいらないと思うが、オトナの階段通りで女子高生ひとりは危ないから早く帰宅するかムクロを呼ぶんだぞ。あとスカートの丈を伸ばしなさい」
「きっっっも。余計なお世話……それにあにきは最近──」
言葉が途切れて袖がぐいっと引かれた。
罵倒されたすぐのデレですか?
「君を攻略した憶えはないが」
「ふんっ、そんなの未来永劫ないし。いいから黙って壁になれ」
ツンデレのデレが出てきたかと思ったがどうやら違うらしい。
僕の背中に隠れる。壁役にされた。
マシロが意識している方向に視界を向けるとひとりの少女がこちらに向かって歩いてくる。
茶髪のサイドダウン、寝ているんじゃないかと思ってしまう程の薄目、動物で例えるなら羊みたいな。ホムズ女学園の制服。
「あのーお兄さん。聞きたいことがあるんですがー、良いですかー?」
気が抜けるゆっくりな言葉。
「ああ、大丈夫だ」
「最近できた寝具店を探しててー、でも迷子にーなっちゃってー」
道を聞きながらうとうとしだす迷子、新しいタイプだ。反応に困る。
しかし寝具店……ホムズ女学園近くだった気がするが。かなりの方向音痴なのだろうか。
「まずここら辺は危険だから大通りに出た方が良い。そこを右に出たら15分くらいまっすぐ行って駅前まで着いたら分かるはずだ。気を付けて」
「ほー、分かりましたー。ありがとーございますー」
ぺこりと頭を下げるとゆらりゆらりと去って行く少女。
転ばないだろうか心配になってくる。
「……ニコル。なに迷子になってんの。びっくりしたじゃない」
後ろで深いため息をもらすマシロ。
珍しい表情をしているものだから眺めてしまう。
「君がそんなに焦るとは、友達だったか?」
「は?あんたみたいなザコとこんな場所にいたことを同級生に知られたら首吊りたくなるくらいの屈辱だからだし」
「あっそ」
誰しも『ザコ』とあだ名をつける彼女のことだ、名前をちゃんと呼んだということは大事な友人なのだろう。
こんな娘と仲良く出来るなんてさっきの迷子には敬意しかない。
「それでさっきなんて言おうとしてたんだ?」
質問に首を傾げるマシロ。
「最近ムクロが、とか言ってただろ」
「ふんっ。あにきが裏でコソコソしてんの」
「俳優の仕事が忙しいだけじゃないのか」
「スケジュールは私が把握してるし、SNSだって監視してるからあり得ない」
「こっわ」
妹じゃなかったら案件である。
やはりブラコンはこいつの方だ。
「あの感じ、おそらく女よ。べ、別に興味ないけどねっ!週刊誌に証拠抑えられて活動休止にでもなれば良いの──……」
荒ぶっていたマシロだが、急に動きが止まる。
視線の先、オトナの階段通りにある電気屋へ走っていく彼女を追う。
電気屋では外からも見えるように大画面のテレビが置かれていた。
音量はかなり小さいが店の前まで行くとかろうじて聞こえてくる。
───────────────────
〔ニュース速報〕
人気俳優 阿達ムクロ 緊急記者会見
───────────────────
「なに、これ。聞いてない」
青ざめるマシロ。
デビューしてから女性スキャンダルはおろか炎上発言ひとつないムクロのことだ、会見を開く必要もないはずだ。しかも妹のマシロに相談なしか。
ムクロが会見会場に現れるとカメラのフラッシュ。
続いて女性が現れる。マネージャーかと思いきやどうやら違う。
一瞬フラッシュが止んだ。
『せ、隻腕先生?……女子高生推理小説家として有名な赫赫隻腕先生も会見に現れました!』
「……っ」
イケメン俳優と美人作家が並んで座る。
いまから婚約会見でも始まるのだろうか。
『ムクロさん、記者会見を開いた意図をお聞かせいただけますか?』
『はい。まずぼくのためにここに集まっていただきありがとうございます。みなさまにお聞かせしたい真実があったので会見を開こうとした思いました』
『その真実とは?』
『ベストセラー作家・愚昧灰荘の正体です』
ざわつく会場。
『貴方は灰荘先生が執筆した『瑠璃色の瞳』の探偵役として主演をなさってましたが、それは俳優として契約違反では?』
『心配はいりません。だからこそ灰荘の弟子である赫赫隻腕に同席してもらいました』
『というと?』
『ぼくがその愚昧灰荘だからかな』
フラッシュの光でテレビの画面は真っ白になった。
電気屋の前で固まる僕とマシロ。
いったいなにを見せられているのだろうか。
まるで映画のワンシーンのように現実味がない。
「は?なんの冗談……あにきが愚昧灰荘なんてあるわけないじゃない」
「嘘だろうとあのムクロが灰荘だったなんて話題性がありすぎる。ニュースでも流れ続けるしネットでは拡散されまくるだろうな」
「なに考えてるわけ、どうしてこんなこと」
隻腕、君がこんな大それた手を打ってくるとは想像していなかったよ。
左手で口を覆ってしまう、こみ上げる感情がおさえられそうにないから。
気を抜いたら大声だして笑い転げてしまいそうだ。
──……楽しみじゃないか。出来るものなら僕を演じてみろよアダム。
探偵・森屋穂花と犯罪界のナポレオンの誰も死なない推理ゲーム。