彷徨いのデュスノミアー 1/5
●森屋帝一
日曜日、朝食の用意。
両親は仕事へ出かけたからふたり分だけでも良いのだが多めに作っている。
スタンダードな日本食。焼き鮭、白米、みそ汁、納豆。
初めはナンを焼いてインドカレーでも出そうと思ってたけど穂花から『朝から重いよ』と言われてしまったから断念。
ピンポーン。
玄関チャイムが鳴って、穂花が走って来客を迎えに行く。
「おはっす、帝一さん」
「おう、おはよう」
相変わらずへにゃっとした笑い方をする娘だ。
穂花の友達であり新聞部部長・浅倉美玖。
首に一眼レフカメラをぶら下げている。
僕がベストセラー作家・愚昧灰荘だと怪しんでいる人物。
穂花の推理力と同じくらい厄介なのが彼女の勘。
出会った頃はうるさいくらい問い詰められていたが容疑者が増えたおかげで疑惑も薄まったように思える。
気は抜けないんだけど。
みんなで席について手を合わせる。
食材に感謝を込めて。
「「「いただきます」」」
お腹が空いていたのかバクバクっと口の中に放り込んでいく美玖。
競っているわけではないだろうけど穂花の食べる速度がいつもより早い。
「ノドに詰まらせるなよ」
「はーい」
「うぃっす!めちゃくちゃ美味いっす!」
美玖はなんでも美味しいって言ってくれる。
悪い気はしない。
僕はテレビをつけてゆっくり食事を嗜むことにいたしましょう。
ニュース番組、ニュースコメンテーターとして俳優の阿達ムクロが出演していた。
あら、相変わらずイケメンですこと。
内容は高校生作家・赫赫隻腕の新刊が発売したということで宣伝。本人も出ている。
もちろん隻腕はペンネームで本名はホムズ女学園3年の風紀委員長・藻蘭千尋。穂花達の先輩にあたる。
「藻蘭先輩とムクロさんって仲が良いんすかね?」
「目線も身体をムクロに向けて話してるから嫌ってはなさそうだね」
なにやら分析している。「ビジネスなんだから嫌ってても視線は合わせるだろ」なんて言いそうになったが美玖から「なんで言い切れるんすか?理由を聞きたいっすね」と返ってくるのが予知できたから止めた。
隻腕は灰荘の弟子である。この話は結構有力な噂だ。実際そうだし。
そして美玖曰く阿達ムクロも[愚昧灰荘の可能性がある人物]のひとりだそうだ。
深読みしたがるのも無理はない。
確かに隻腕は親しげに話している。
僕といる時よりも表情が柔らかい気が。
「嫉妬、すか?」
「ん、どうした急に」
「いやぁ、藻蘭先輩って実はすごく美人すよね。もしも帝一さんが愚昧灰荘だったらあまり見たくない絵だと思ったんすけど、いたたたっ」
悪巧み顔をしているジャーナリストのほっぺをつねって伸ばす穂花。
「だから藻蘭先輩とにぃにには接点ないんだってば」
「わ、分かったすよ!だから手を離して、いててっ」
涙目。
どれだけ力強く引っ張ってるんだ、おいひねるなひねるな。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
美玖がうちに来た理由、女子高生らしく休日ショッピングに行くそうだ。
性格に問題がある妹にとって初めて出来た友達。嬉しくて泣きそうになってしまった。
「帝一さんも行きましょっす!」
「やだん、僕は部屋でぐだぐだするんだい」
「えー、にぃにも行こうよ」
「こんな可愛い女の子達と出歩けるなんてなかなか無いっすよ。ボディガード役として来て欲しいっす!」
ボディガードなんて役目は僕には不適任ではないだろうか。
出来たとしても固め技と関節外しくらいなものである。
上目遣いでお願いしてくる穂花と美玖。
そんなものが効くと思うなよ。
どんなに才色兼備な美少女だろうと、へにゃ口のジャーナリストだろうと、なんとも思わんね。本当。
僕はそんなに、
「にぃに」「帝一さん」
「仕方ない」
ちょろくないのだ。
みんなで食器を洗ってから、出かける用意をする。
可愛いエボシカメレオン・ハドソンにも朝食のカルシウムパウダーをかけたコオロギを忘れずに与える。
後ろで見ていたふたりから「「うげぇっ」」と奇声。
「可愛いだろ」
威圧的に僕が聞くとブンブンっと全力で首を振られた。
どうしてみんなにはハドソンの可愛さが分からないのだろうか。
唯一理解してくれた人物と言えば6番弟子である獣医ドリトル・チャルマーズくらいだ。
ペストマスクやスチームパンクで身を包み、生き物への愛情が深い。
まあ、ハドソン誘拐犯でもあるのだが。
「それでどこ行くんだ?」
「ホノはテレビでやってた藻蘭先輩の新刊を買いたい」
「わっちは電気屋でカメラとか見たいっす、お金は無いんで見るだけなんすけど」
本屋と電気屋か。目的がちゃんと決まっているのはありがたい。「テキトーにぐるぐる回るっす」とか言われたら面倒臭いから断っていた。
「帝一さんは見たいお店とかあるんすか?」
「別に……いや、そういえば特売やってたな」
今日の新聞を持ってきて挟まっているチラシを取り出す。
ほほう、なかなか良い品揃えじゃないか。
戦利品で今日は鍋にでもしようか。
「急に行く気になったすね」
「にぃには特売のことになると本気だからね」
「当たり前だ。僕が家族の食事を考えているんだから上手くやりくりしたいじゃないか」
お金が無いというわけではないけど食費を抑えられたら他の生活費に使える。
と言っても美味しいものを作れなくちゃ意味が無い。
安く美味しく。工夫する。
料理とは戦場なのだよ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
繁華街の一角、大型ショッピングモール【ハロッズ・ロンドン】。
ほとんどの物はここで手に入る、客が多すぎて疲れてしまうのだけど。
いやぁ、大量大量。
肉、魚、野菜、大満足なお値段で揃えることが出来た。
少し使いすぎた気もするけども許容範囲。
〔特売〕の文字を見るといつもよりも無駄買いしてしまうのが人間の性だ。
エコバッグがパンパンになったから椅子に座って穂花と美玖の帰りを待つ。
店内はここからでも見えるからボディガードの役目は放棄してはいないはずだ。
「ねえ」
ショッピングモールの天井を眺めていたら、大学生くらいの女性に声をかけられた。
外ハネの青髪、服装はなんというかヴィジュアル系の女性。
シャツもズボンもダメージ系。目の下に薄らクマが出来ている。
「はい、なにか?」
歳上だから敬語。
「デッサンしても良い?」
こちらを指差してそんなことを言ってくる。
よく分からないからとりあえず頷くと、女性は隣に座りスケッチブックを取り出す。
僕の顔を描き始めた。
「急にごめん。一目惚れした」
「……ナンパ、ですか」
「違う。あまりにキャラのイメージに合ってたからさ。アンタしかいないと思った」
「な、なるほど」
ズレてるな。
視線だってどこ見てるか分からないし、言葉のペースが独特だ。
キャラのイメージとなると、同業者だろうか。
「流石に本名は教えられないけど青山シュガーって呼んで。そんでアンタは」
「森屋帝一です」
「ふーん、面白いペンネームだね」
「……本名ですけど」
なんだコイツ、僕が推理小説家だと知っている?
いや、そんなわけがない。
「隠さなくて良いよ。同業者は見たら分かるから。でも知られたくないなら深入りはしないよ。帝一」
「あの、青山さんって」
「推理漫画家、てところ。て言っても単行本も出せてない駆け出しなんだけどね」
青山の手が止まって、スケッチブックをこちらに向ける。
「どうかな、これが帝一」
漫画に出てくるようなデフォルメされたキャラクター。
威圧的で冷たい印象を受ける少年、なんだか人の命をなんとも思っていない悪人のように見える。
犯罪界のナポレオン、悪の帝王。
「……ははっ、やだなぁ。僕こんな怖い顔してました?」
「ううん、上手く隠せてるよ」
気が緩んで本性でも出していたか。
自分の顔を左手で触り確認するがいつも通り無害なお兄ちゃんの顔をしている。
「にぃに?誰その人」
「うおっ!なんすかなんすか。もしやナンパに合ってるんすか?助けたら好感度爆上げイベントすか⁉︎」
パシャパシャとカメラのライト。
嫌なタイミングで用事を終えて帰ってくる穂花と美玖。
青山もふたりに視線をやると、
「帝一、この娘達は?」
「妹とその友達です」
「て、帝一⁉︎なに気安く呼んでるんだい君は‼︎」
「穂花ちゃん落ち着くっす、粘着質な彼女みたいになってるすから」
怒鳴る穂花を取り押さえる美玖。
僕の隣に座っていた女性はにこりと微笑み立ち上がる。
寝不足か栄養不足なのか身体がゆらゆらと揺れながら、
「うん、惚れた。探偵役はアンタがピッタリだよ」
青山シュガーと名乗る推理漫画家は穂花を指差してそう言うのだ。