アプロディタのように美しく 1/5
●森屋穂花
5月土曜日。
にぃにとリビングでのんびり。
ホムズ女学園に入学してからほぼ1ヶ月いろんなことがあった。
ベストセラー推理小説家やその弟子達との頭脳勝負が始まり、初めての友達となる新聞部部長・浅倉美玖と出会う。
他は。……はあ。
思わずため息が出そうになる。
実力テストがあった。それ自体は別に苦とは思わない。むしろ簡単なくらい。
しかし採点が終わってテスト用紙が1教科ずつ帰ってくるたびに他クラスの生徒が駆け込んできて『お花畑ザコ!何点っ⁉』と叫ばれるストレス。
芸能人の兄を持つSNS探偵・阿達マシロ。
憎まれる覚えはないがホノに敵対意識があるようで勝敗をつけたがっている。
こちらからしたらいい迷惑だ。
体育の合同授業でドッチボールをしたときなんてかなり酷い、顔を狙われた。
言わずもがなテストの点数では圧勝、実力差ってやつを思い知らせてやったよ。
ふふん、ざまぁみやがれってんだい。
「にぃにはテストどうだったの?」
「聞くな。現実逃避に忙しい」
にぃにがうつ伏せでソファーに寝転んでいたから、その上に仰向けで乗っかる。背中合わせ。
『重いからどいて』とも言われないからその体勢で推理小説を読み始めた。
部屋隅にいるカメレオン・ハドソン夫人が羨ましそうにこっちを見てくるが威嚇。
にぃにはホノのもんだい。
「今回はどの教科が危なかった?」
数学だけならホノ以上に賢いにぃにだが、他の教科となると怪しい。
古典と英語なんて目も当てられないくらいだよ。
「英語が赤点ギリギリ。まったく分からんかった」
「勉強してないからだよ」
「穂花の相手とか生徒会で忙しかったから仕方ないだろ」
「なにかのせいにするなんてカッコわるい。さては偽物だね、ホノのにぃにを返してもらおうか」
「現実を見ろ妹よ。これが君のお兄ちゃんだ。残念だったな」
腑抜けおって。
お仕置きとして足をバタバタさせてやろう。
「いたたたっ、ごめんごめん」
ゆるい悲鳴。
なんだか疲れているようだから放っておいた方がいいかもしれない、
まあ落ち着くからどくつもりはないけれど。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
すー、すー。
下から寝息が聞こえてくる、うつ伏せのまま眠りについてしまったらしい。
起こさないように静かに推理小説を読む。
ガチャリッ。玄関の扉が開いた。
トタタッと小走りでこちらに近づいてくる何者。
音的に軽いからママだろう。
「おかえり」
ぎょっとこちらを見て立ち止まるママ。
黒髪ボブ。美魔女と呼ばれている小説批評家・富子先生。
「……いつもイチャついてますね貴女達は。いつになったら兄離れするんですか?」
「ママだって子離れしてないじゃん。勝手に旅行とか連れて行っちゃうし」
「母は良いのです。子供が可愛いのは当たり前。誰にも文句は言わせません」
「なら妹も良いんだよ」
ママは頭に手を添えて深いため息、ホノになにか言いたそうだけど諦めた。
「仕事は終わったの?」
「いえ、シャワーを浴びて着替えたらまた出ます。帝一と穂花の顔を見たら疲れだって吹き飛びますからね」
休憩時間にお家に帰ってきてくれたみたい。
反対側のソファーに腰掛ける。
「あ、そういえばポストに手紙が入っていましたよ」
「誰宛?」
「……書いてませんね、ただ小さく【ノック】と」
パシンッ。
封を開けようとしていたママから手紙を取り上げる。
「多分にぃにだよ、生徒会のメンバーで文通してるって言ってたから!」
心が痛むけど嘘も方便。
ママは批評家だ。それも推理小説に口うるさい。
もしホノと愚昧灰荘が推理ゲームをしていると知ったら心配させてしまうし、ホノが勝つ前に辞めさせられてしまうかもしれない。
「そうですか、しかしこの時代に手紙なんてコスパが悪くありませんか?まあ帝一が良いなら私からは言うことはないのですが」
「手紙の方が気持ちが伝わるからだよ」
不思議そうに首を傾げるママだけど納得してくれた。
「たしかにレトロの良さはありますからね」
うむ、探偵とレトロはよく似合う。
黒電話だとか、クラシックレコードだとか。
けれど推理小説家たちが手紙を使うのは情報の保護だろう。
インターネットを使ってしまうとマシロみたいに技術がある人間に特定されてしまう。
それに手紙の方が知的な悪役っぽい。
「私はお風呂に、シャワーだけのつもりでしたが時間も少しあるのでお湯にも浸かってきます」
「うん、ゆっくりね」
「……息は出来ているのですか?」
ホノに潰されてるにぃにを見て心配そうなママ。
でも大丈夫だ、ちゃんと呼吸をしている。
「可愛い妹の体重を感じて良い夢を見てるさ」
「それはそれで帝一の将来が心配です」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
お風呂に入ったママが再び仕事へ向かい、またリビングは静かになる。
推理小説をパタンと閉じて、
「起きてにぃにっ!出掛けるよ!」
上から降り、揺らして起こす。
にぃにはけだるげにまぶたを開けたがホノが手紙を見せると再び瞳を閉じる。
「今回は僕じゃない。美玖と交代制だったはずだ。休みはとことん寝るんだい」
なにを言っているんだ、このあんぽんたん。
今まではたまたま交互だっただけでそんな決まりはどこにもない。むしろにぃに固定が良い。
「にぃに」
傷付いたふり、演技は上手くないからバレバレなんだけど。
「……はあ、仕方ない」
意外に効く。
妹にはとことん弱いのである。
ガバッと起きるにぃにの隣に座って手紙の封を開ける、いつも通りA4の紙。
推理小説家からの挑戦状。
─────────────────
↓
○
×
×
×
○
○
×
×
゛
→
!
─────────────────
空白の場所には魚が口紅をしているイラスト、種類はカクレクマノミ。
「なんだこれ?」
意味不明だ、と固まってしまうにぃに。
「書き方を見る限り3列と4列の作り、最後に濁点とビックリマークときたら」
ヒントを与えてもまだピンと来ていないようだからボールペンを持ってきて、暗号に書き足していく。
─────────────────
↓あ
○か
×さ
×た
×な
○は
○ま
×や
×ら
゛
→わ
!
─────────────────
「なるほど……と言ってやりたいけど、まだ理解出来てない」
「つまりこの文字入力を使って解くんだよ。ワトスン君」
スマホを出しにぃにに見せる。
「フリック入力か」
「その通り。それで◯はそのまま使って×は使わない」
「方向キーはフリックの向きってことだな」
「うむ、分かってきたね」
そうして浮かび上がってくるヒントは、あ行の↓「お」、か行の◯「か」、は行の◯「は」、ま行の◯「ま」、「濁点」、わ行の→「伸ばし棒」。
「!」は謎解きのヒントだから使わなくても良いだろう。
ほとんど見えているがトドメのヒント。
「にぃにはこのイラストの魚を知ってるかな?」
「カクレクマノミだろ。アニメで有名な、オレンジと白の海水魚だ」
「そう、そして驚くことに性別が変わるのだよ」
魚のなかには生きているうちに性転換をする種類がある。
短い期間で何度もメスとオスに入れ替わることもあるらしい。
雄性先熟と言う。
カクレクマノミもその1種。
群れのなかにメスがいなくなるとオスがメスになる。
そんな魚が口紅をしているとなると。
「今回の推理ゲームの舞台は【オカマバー】だろうね」
「なっ⁉︎」
引きつった笑いになるにぃにの手を引いて家から出て行く。
オカマバーの場所は知らないけどスラム通りを抜けた先に【オトナの階段通り】という謎の場所があるからそこだろう。
「ほ、穂花。教育的にどうだろうか?お兄ちゃんとして止めた方が良いと思うんだけど」
「気にするでないワトスン君、ホノは憎っくき灰荘に負けたくないから行かねばならんのさ」
子供が行きづらい場所を指定して楽しんでいるに違いない。
性格が悪い愚昧灰荘が考えそうな事だ。
「オトナの階段通りがどんな場所か知らないけどにぃにとならなにも怖くないよ!」
「……嬉しいがシャレにならないぞ」
ホノの背中に隠れ始めるにぃにである。