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●森屋帝一
黒いワンピースを着た幽霊のような女性は自分に批評を浴びせた女を見返すために愚昧灰荘の弟子になりたいと言った。
折れるのでもなく、諦めるのでもなく、自分が持っていないものを手に入れるために弱さを認め、ベストセラー作家に頭を下げる。それを強さと言わずなんと言うか。
だから僕はビニールシートがかかった椅子から立ち上がって高々に宣言するのだ。
「お手洗いに行ってもよろしいでしょうか?」
まさに作家と読者の知恵比べが始まろうとしているのに空気を読まない言葉がその場に響いた。
穂花も遊ヶ丘も(え、このタイミングで?)と口をあんぐり開けてこちらを見てくる。
緊張感を途切れさせるようなことはしたくないのだけど、半分以上飲んだコーラLサイズのカップを左手で軽く振って苦笑い。
「だからにぃにも後で買えば良かったんだよ!考えなしに飲み過ぎ!」
「……ごめん、でもヒマ潰しに必要かなと思ったわけで」
「推理に参加しないなんてワトスンくん失格だよっ!」
鬼の形相で指をさしてくる穂花。
確かに飲むペースは考えなしだったかもしれない。枯れた大地くらいカラカラだったから許して欲しい。
「とりあえず我慢できないんで行ってくる」
すたすたと立ち去ろうとしたのだがガシッと穂花に身体を掴まれて足止めされてしまう。
顔を覗けば、(こんな怖い女性とふたりっきりにしないでください)と涙目で首を振っている。
まったく失礼な妹だ。
この遊ヶ丘幽は君の宿敵である愚昧灰荘の弟子候補であり、君の母親に作品を批評されて怨みがあるだけの映画脚本家です。怖がる要素がどこにある。見た目は貞子だけれども。
とりあえず遊ヶ丘に視線を向けて席を外しても良いか、許可をもらわなくてはいけませんね。
「全然構いませんよぅ……っごめんなさいぃワタシなんかが上から目線でぇ!気にせずお花摘みをお楽しみくださいぃ!」
悲鳴をあげながらダンゴムシみたいに丸まって震え出してしまった。
母さんの批評のせいで自信喪失してしまったのかそれとも元からこんな性格なのか。
気弱な人ではあるけれど穂花を任せても問題は起こらないだろうな。
「すぐに帰ってくるから始めててくれ」
「……うん。待ってる。急いでね」
そして僕はお手洗いに行くために9番スクリーンから出ていく。
意外に扉が重いな、よっこいしょ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
パタンッと扉が閉まると意識を切り替えた。
お手洗いではなく反対側通路の【12番スクリーン】へ向かう。
チュリトス、ポップコーン、コーラ、いつも以上に無駄遣いしてしまったのも理由がある。
この映画館で働いている連絡役に待ち合わせ場所を教えてもらった。
それにしてもふたつもスクリーンを貸し切るなんて大掛かりなことをしてくれる、正体を隠している僕のせいではあるけれどご苦労様だ。
扉に手をかけ開ける。
もちろんビニールシートは敷かれていない、広い空間にひとりの女性が笑顔で迎えてくれた。
私服の白い長袖と黒い長ズボン、露出がまったくなくシンプルだが目が奪われるくらい綺麗に見えてしまう。
ホムズ女学園の風紀委員長・藻蘭千尋先輩。
僕からしたら推理小説家・赫赫隻腕のほうがしっくりくるし呼びやすい。
いつものメガネではなくコンタクト。
「お疲れ様です」
「他の弟子はカフェ・グレコで鑑賞か?」
質問にコクリと頷き肯定。
巨大スクリーンに映るのは9番スクリーンの状況。
探偵・森屋穂花と7番弟子候補・遊ヶ丘幽が推理ゲームを始めていた。
あちらでは映画の予告編らしきものが流れている。事件に関係しているのだろうか。
「こんな大画面で観たら面白いだろうな」
「一緒にご覧になりますか?」
『良いご身分ですこと』と茶化すつもりで言ったのだけれど。
可愛らしく首を傾げてくる。
戻った時に『バラの木も伐採してきた』と言えば良いし、少しだけ観ておこうかな。
真ん中の席まで進んで座った。
隻腕も真横に腰掛ける。
『こんなにも席があるというのにどうして真横?』なんて思ったが話しやすいし、まあいいか。
「妹さんをひとりにしてよろしかったのですか?」
「変わっているが、君が選んだ候補なら信用するさ」
「……ありがとうございます」
今の間はなんだろう。
もしかして言葉選びを間違えたか。
「それに理由が気に入った。愚昧灰荘の弟子というブランドよりも作家としての顔を欲しがるなんて。批評家を打ち倒すっていう目標もはっきりしていて好きだ」
「安心しました」
「でもあの性格は昔からか?……それとも母さんのせいだったりして」
「もともと気の弱い方だったようです。それに作家にとって進む道が見えないのは怖いことですから。怯えてしまうのも分かります」
複雑そうに笑う隻腕。
「新人の頃は個性派の脚本家として人気だったのですが、客足が途絶えるとスランプに陥ったそうです。改善しようと意見を求めたのですが……世論はことごとく矛盾していますから」
「万人に愛される作品なんてあるわけが無いしな」
立場が違えばもちろん思想も違う。
そしてネット社会というのは称賛はもちろん批評もすぐに分かってしまう。
全ての意見に耳を傾けていたら目が回る。
ましてや学生にもヘコヘコしてしまうような人だから言われたい放題だろう。
「すべての期待に答えようと努力しました。結果、誰に向けているのか分からない作品が完成。かなり酷評されたそうです。だから彼女は考えることを放棄した。……それが個性のない脚本家になった生い立ちです」
道が見えなくなって行き着いた先で辛口の批評家に『顔が見えない』と斬り捨てられたわけか。
泣きっ面にハチ。
まるで『哲学的ゾンビ』みたいだ。
オーストラリアの哲学者が感覚質の説明をする際に用いた架空存在。
感情表現や行動は普通の人間と変わりないがクオリアだけを持っていない。
ひと言で説明するなら『人間の真似をするゾンビ』。
クオリアを奪い去られて、他者の真似をしなくちゃ生きていられなかった。
「なら彼女に執筆の楽しさを思い出させてあげなきゃな」
「ええ。そう言ってくれると思っていました」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
学力テストに被らないように次回の推理ゲームの調整をして、そろそろ探偵の所に帰らないと怪しまれるから、立ち上がる。
くいっ。
袖を握られた。
「……もう、行ってしまうのですか?」
隻腕は椅子に座ったままのせいで上目遣いでこちらを見てくる。
「なにかあったか?」
「い、いえ。そういうわけでは」
髪をかき分けて恥ずかしそうに下を向く。
「そういえば、君に伝えたいことがあった」
「は、はい⁉︎」
ビシッと姿勢を正す隻腕。
常に優等生な彼女が戸惑っている姿を見ると、失礼かもしれないが可愛らしく思えた。
「シアターレンタルの【犯罪界のナポレオン様】はなんだ?びっくりしたぞ。なにか怒らせるようなことしただろうか。乱発されたら流石に怪しむ」
「申し訳ありません、布石を打って置きたかったのです」
「布石?……僕が負けるとでも」
「その逆です。どんなことがあっても貴方は必ず勝つ。だからこそ」
言葉を切った。
気にならないわけはないが弟子を問い詰めるようなことはしたくない。
それに推理ゲームが中断される事態以外はなんでも受け入れるつもりである。
器の大きさには定評がありますので。やかましいわ。
「楽しみにしておこう。どうなるか見ものだな」
立ち去ろうしたが、今度はズボンのポッケを掴まれた。
なんだか許しを求める子供か捨て犬みたい。
「なにがあっても、私は貴方の片腕です……貴方だけの」
僕は慰めるように隻腕の頭を右手で撫でる。
「どんなことがあっても君が1番弟子で良かったと思うよ。でも思い通りには動いてやるつもりはないから、本気でやってもらわないと困るぞ」
「……はい。頑張ります」
おちょくるように笑ってみせた。