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●森屋穂花
【シネマピカデリー・サーカス】。
巨大な映画館で、スクリーン数も多く新しい技術も全て備わっているため他県からの来場者も多いのだとか。
先に入ったホノはにぃにが来るまで入り口付近で待つ。
……阿達兄妹。
妹さんはホムズ女学園の制服を着ていたけど、正直顔を合わせるのは避けたい。
出会った瞬間に『ザコ』と鼻で笑うような失礼が許されるわけなかろう。
耐えきれなくて映画館の中で叫んでしまった。
それはさておき、兄のムクロ。
美玖ちゃんから見せてもらった資料でベストセラー作家・愚昧灰荘の可能性がある5人(もちろんにぃには抜いている)のひとり。
推理ゲームをする映画館の前にいた事。
来るのを知っていたかのようにふたり分のチケットをプレゼントしてくれた事。
本人が言っていたように偶然かもしれないけれど不審な点が多い。
「穂花、大丈夫か?」
アゴに手を置き考えていると遅れてやってきたにぃにが心配そうに顔を覗きこんできた。
「うん、なんでもないよ」
首を振って安心させる。
考えるべきは推理ゲームだ。ナルシストな黒幕のことは後回しにしてしまおう。
「シナモンチュリトスとキャラメルポップコーンMサイズとコーラLサイズお願いします」
「かしこまりました、番号札でお呼びしますので少々お待ちください」
映画館のフード担当の従業員から番号札12番を渡された。
どうやらにぃには推理に参加する気はなく完全に遊びに来ている。
サイドキックの役目を完全に放棄するあんぽんたん。
そして悲しいことに、
「へー、自分の分しか頼まないんだ」
「すねるなすねるな。映画見る前に買ってやるから」
ほっぺをふくらませると、にぃにの左手で掴まれて空気を抜かれてしまった。ぶー。
『番号札12番のお客様』
頼んだものが出来上がったから番号札を返して食べ物を取りに行く。
甘い香り、映画館はチュリトスの匂いがするから好き。
「で、どこに行けばいいんだ?」
「9番スクリーン」
上映スケジュールのディスプレイを確認すると9番だけが【シアターレンタル】と書かれている。
しかも借りている人物の名前が【犯罪界のナポレオン様】。
名探偵ホームズの宿敵である数学者またはそのモデルになった大怪盗の呼ばれ名。
「……まさか僕のことをおちょくっているのか?」
チュリトスに噛み付いて苦笑いのにぃに。
相手は推理小説家軍団、にぃにの名前を知ったらちょっかいかけたくもなるだろう。
しつこいようだけど『や』だから。
「そうかもしれないし、愚昧灰荘が『自分こそが犯罪界のナポレオンだ!』っていう意思表示だったりして」
「痛い人だなー」
「ねー、どんな神経してんのかなあ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
従業員さんに止められるかとも思ったが名前を言ったら通してくれた。
ご丁寧に「9番スクリーンにお進み下さい」と指示までされる。
通路の奥、右手側に目的地。
にぃには食べ物で手が空いてないから仕方なくホノが扉を開ける。
結構重い、どっこらせ!
ガバッと。
「ご苦労、うい」
労働に見合わないがチュリトスひと口くれた。
不機嫌にぱくっ、と食べて中に入っていく。
「「ん?」」
異質。
ホノたちは動揺して足を止める。
他の推理ゲームとは違う異質さだが、意図が分からないからこちらの方が怖い。
「透明のビニールシート、ずいぶんと大掛かりなことしてるな」
「まったく意味は無さそうだけどね」
シアター内がビニールシートに覆われていた、床も壁も天井も、無事なのは映像スクリーンくらいだ。
まるで犯罪小説家ジェフ・リンジーが生み出したデクスター・モーガンという殺人鬼の仕事場。彼は表向き血痕専門の鑑識官だから犯行現場に証拠を残さないようにしていた。
今回の推理小説家もそういった思考なのかな。
……それにしても、静か。
「いないのかな?」
「待つのに疲れて帰ったかもしれないな」
あの阿達兄妹と話したり道草してしまったからあり得るかもしれない。
「じゃあ、10分くらい待っても来なかったら先に映画を見ちゃおうか」
椅子に腰掛けて待つことにする。
ビニールシートがあるせいで違和感しかない。
「あのぉ、いるんですけどぅ?」
「「うわっ⁉︎」」
「ひぃっ⁉︎ごめんなさいっ!影が薄くてごめんなさいぃ!」
驚きのあまりずるっと椅子から崩れ落ちてしまうホノたちとペコペコと頭を下げてくる女性。
……目の前にいるのにまったく気付かなかった。
顔が隠れるくらいに長い前髪、白い肌。黒いワンピースを着た(失礼だけど)貞子にしか見えない。
幽霊のような見た目な推理小説家。彼女が今回の推理ゲームの相手らしい。
「はじめましてぇ。遊ヶ丘幽といいますぅ……ワタシなんかのために学生さんの貴重なお時間を使わせてしまいごめんなさいぃ」
とても小さな声でボソボソっ、気の弱い人なのだろう。
ただ首と指をクネクネっと常に動かして、歯ぎしりでグギギギッ鳴らしているせいで、とても怖い。
にぃになんて足を震わせている。
「帰る──すみません、冗談です」
出口に向かおうとしたにぃにだったが遊ヶ丘さんに睨まれた瞬間に戻ってきた。
もう、ホラーだよこれ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
遊ヶ丘さんはスクリーンの前に立ち一礼。
髪が長すぎるせいで床についてしまっている。
「赫赫隻腕先生に言われましたぁ。先に自己紹介しないとすぐに終わってしまうと……ですので興味は無いと思いますがワタシ語りをさせてくださいぃ。っごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ」
無言のホノ達の視線に耐えきれなくなったのかうずくまってブルブルと震えだす。
「歳は28歳の独身。見ての通りの特技もないつまらない喪女ですぅ。職業は映画脚本家、主にミステリーを担当していますぅ。──ひっ!『その見た目ならホラー書けよ』って思ってますよね、ごめんなさいぃ」
だんだん可哀想になってきた。おびえることなんてなにもない。
慰めようと近づこうとしたら前髪の隙間から恐ろしいほどの眼光。
『近寄るな』と言われたような気がする。
にぃにを確認すると目を閉じて首を振り続けていた。
こら念仏を唱えないの。
ラチがあかないから挙手して発言することにする。
「あの、遊ヶ丘さん。このビニールシートって」
「ごめんなさいぃ、気持ち悪いですよね……こうすることで落ち着いて執筆が出来るんです。髪を落とすこともないしぃ、汚すこともないですから」
潔癖症、とは違うような気がした。
自分よりも誰かに気を遣っているような。
業界に口うるさい人物がいるのかもしれない。
「……じゃあ、灰荘の弟子になった理由とか」
「いえいえっ!まだワタシなんか弟子じゃなくて、というよりもこれからその試験がある──っごめんなさいぃ、違いますよね!そもそもワタシなんかが灰荘先生の弟子になりたいってだけで烏滸がましいですねぇ」
めんどくさいぞ、この人。
そもそも愚昧灰荘の弟子は全員クセが強すぎて話が通じない。どうにかして欲しい。
「別にそんなことは思っていないさ。妹の些細な疑問に答えてくれないだろうか?」
先ほどまで念仏を唱えていたにぃにの優しい声。
話が進まないからフォローに入ってくれた。
「で、でもワタシの話なんてつまらないですよぅ……それでも聞きたいですかぁ?」
「ああ、君の話を聞きたいんだ」
エンジェルスマイル。
全てを許して包み込んでくれるような破壊力がある、これを食らって無事だった者はいないだろう。
遊ヶ丘さんも心打たれたのかダンゴムシみたいに寝っ転がるのをやめて立ち上がる。のだがやはり不気味なモーション。
前髪が揺れて口元がニタリとしたのが見えた。
「批評家・森屋富子を黙らせたいからですぅ」
「「…………」」
場の空気が凍る。
「以前彼女はワタシが書いた脚本の映画に『コピー&ペースト』『サークル活動の延長』『観る価値なし』と批評してくれましたぁ」
とてんとてん、と裸足で1歩ずつホノ達に近づいてくる。
逃げようと思ったが、恐怖のせいで身体が固まって動かない。
「『オリジナル作品には盗品を持ち込み、原作のある作品にはオリジナリティを出そうとする。なぜ逆のことが出来ないのでしょうか?』『規制が悪い?時代が悪い?観客が悪い?ふざけないでください。感受性を表現する仕事をしているのになにかのせいにして逃げるなんて最低です。自分の全身全霊を注ぎ込んでないから批評を浴びても誰かのせいにするのですよ』」
ママから受けた批評をまるで呪文のように唱えてホノ達の目の前でピタリと止まる推理映画脚本家・遊ヶ丘幽。
「貴女達のお母様に『顔が見えない』と言われましたぁ」
目と鼻の先まで近づいて顔を覗いてくる。
ルックスのせいで危うく漏れる場面だ。
「だから愚昧灰荘先生から『顔』をもらうんですよ」
……ママ、もしかしたら貴女の子供たちは無事にお家へ帰れないかもしれません。