妹は甘いものと推理小説で出来ている
●森屋帝一
ギギギギギッ。
「……穂花。痛いんだけど」
「そりゃあ痛くしてるからね」
なんとか批評家富子先生に認められ日曜日の朝にはクワノの宿を出た、自宅に着いたのは正午頃。
母さんは仕事を済ませるために部屋にこもるらしい。
長旅に疲れた僕はすぐベッドにダイブ。しかしどたどたっと登場してきた妹の穂花に腕を後ろに回され、腕拉手固をキメられた。
「にぃにはなにか言うことないのかな?」
『ただいま』は言った。
おみあげもちゃんと買ってきた。
……なにか忘れていることがあっただろうか。
むしろ聞きたいことがあるのは僕の方だ。
「穂花さんはなぜゆえにそんなに怒っているのでしょうか?」
「あんぽんたんっ!にぃにがいなくてホノは暇でした。暇すぎてどうにかなってしまいそうでした。そんなホノに言いたいことは?」
「友達作りなさい」
ギギギギギッ。
余計に力が入った。
このままでは腕が変な方向に曲げられてしまう。
「はいはい、ごめんなっ!寂しい想いさせて。少し休んだらクッキー焼いてやる!いたたっ」
「……うむ、許してやらんこともなし」
すっ、と力が抜けて解放される。
しかしヘイトはまだ溜まっているようでベッドに寝込んでいる僕の上に腰掛ける穂花。
少し息がしづらいくらいで重くはない。
背中がぬくい。
「それで、灰荘のファンクラブはどうだったんだ?」
「危ない人がいた」
「は?」
危ない人、とは。
穂花は『灰荘ファンクラブに行く』と言っていた。
鳩山先生が作ったファンクラブの活動を完全に把握しているわけではないけどただの推理小説オタクの集まりだ。
3番弟子というよりも宇多川姉弟が管理している過激派なファンクラブがあるそうだが……僕がいない日を狙って穂花に推理ゲームを仕掛けるようなことはしないだろう。
「アドリエッタっていう灰荘の弟子と推理ゲームして勝ってきた」
ボフッ、と枕に顔を埋める。
数々の無断行動、校舎裏に呼んでヤキを入れてやらんといかんのかね。
「ケガとかはしてないか?」
「う、うん。なにもされなかったよ」
なんだ、このぎこちない返事は。
隠し事をしているのか、それとも負傷したか。
でも見る限りは見当たらない。きれいな肌である。
「頼むから心配するようなことはしないでくれ。穂花になにかあったらお兄ちゃん困る」
「うん、今度はにぃにがいる時だけ危ない場所に行く」
そこは『危ない場所には行かない』と言って欲しかった。
「にぃには高校を出た後のことは決まったの?」
そういえば今回の言い訳はそれだったか。
実際帰りの車でそんな話をしたから嘘はない。
「どうだろうな、まだ検討中。母さんにも考えておけって言われたけど将来の話はよくわからん」
「海外留学はやだよ」
「どうして?」
「だって毎日通えないもん」
君はひとり暮らしを始めた兄に毎日会いに行くつもりなのか。
気のせいかもしれないけど枕から穂花が使っているシャンプーの匂いがした。
昨日は怖い思いをして、僕の部屋で眠ったようだ。
穂花に腰掛けられながらお昼寝した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ひとりぼっちにした謝罪としてクッキーを作ってやる。
薄力粉、バター、卵黄、グラニュー糖、塩。
まずはプレーンクッキーを作ってチョコ、カスタード、ホイップクリーム、自由に味付けできるようにしておく。
机に置くと穂花は目を輝かせた。
「飲み物はどうする?」
「ホットミルクっ!」
高校生になったというのにまだまだ子供のままである。
牛乳に砂糖を適量入れ温めながら混ぜる。
僕はコーヒーでいいや。
エスプレッソマシンを使えばすぐに出来る。
自家引きの味には敵わないがコーヒー豆が切れていた。
買い物リストにメモメモ。
「ねえ、にぃに。カフェ・グレコって喫茶店知ってる?」
ピクリッ。
動揺してしまったがなんとか顔には出さずに済んだ。
カフェ・グレコ。
あそこのマスターにはいつも良くしてもらっていて、地下室には僕らの仕事場がある。
なによりコーヒーがとてつもなく美味しい。
「知らん。その喫茶店がどうかしたか?」
「そこの喫茶店のコーヒーがファンクラブの会場に置いてあってね。美味しかったから調査ついでに今度一緒に行こう、にぃにに飲ませてあげたい」
……アドリエッタ。
なるほど、この推理ゲームに反対していた君らしい。
情報を流して台無しにするつもりだな。
それとも僕ならこの程度の証拠で捕まるわけがないという信頼か。
おそらく両方だろう。
「僕はコーヒーの味にはうるさいぞ?このエスプレッソマシンに勝てなきゃ話にならないな」
「なら簡単に合格点の味だったよ」
「それは楽しみだ」
ずずっとコーヒーを飲みながら頷く。
ホットミルクが出来上がったから穂花に手渡す。
「熱いから気を付けろ」と言う前からふーふーっと冷まし始めた。
テレビをつけてふたりしてクッキーをぱくぱく。
「平和だね」
「平和だな」
穂花がいて、カメレオンのハドソンがいて、どこにでもある日常の一場面ではあるけれど心地が良い。
こんな平和な日常がずっと続いてくれたら、それだけで充分だ。
『実はですね私、愚昧灰荘先生とよく食事に行くんですよ』
『ええっ⁉︎本当ですか‼︎……どんな方か聞いても』
『構わないと思いますよ、以前そんな話をしたら喜んで了承してくれましたから』
テレビ番組のコメンテイターがドヤ顔で自慢している。
話題は愚昧灰荘の推理小説『瑠璃色の瞳』が実写映画化したようで出演者を交えて宣伝している。
60歳くらいのおじさんコメンテイターは灰荘の友人なのだとか。
横を見ると不快そうにテレビを睨みつける穂花さん。
『彼とは中学からの友人でね。いい奴なんだが人前に出るとあがってしまうようで、テレビには絶対に出たくないと』
ピッと番組が変わった。
ニュース番組からサスペンスドラマの再放送に、ちょうど犯人が崖の上で自白を始めてるところだ。
母さんがこの場所にいたら舌打ちしているに違いない。
「嘘つきめ。灰荘があがり症?HAHAHA、ちゃんちゃらおかしいね。あの上から目線の文章を見たら分かるようにあの推理小説家はナルシストだよ」
おいおい、言われてんぞナルシスト推理小説家。
言い返してやらなくて良いのかよ。『自分の話を広めて欲しいけどあがり症のおじさんです!』って。
「それに灰荘はおそらく高校生くらいだね」
「……ん?初耳だ」
年齢は非公開、いくら勘の良い穂花だろうと文章だけで推測は難しいし死語とか混ぜて分からないようにしてるつもりである。
「アドリエッタとの勝負でそんな内容があったんだよ。彼らは高校生あたり、灰荘は同学年らしい……美玖ちゃんがなにか知ってるぽいから明日聞こうと思ってる」
「ふーん、世の中には高校生で大成功してる奴がいるんだな」
カフェ・グレコ。学年。与えた証拠はそのくらいだろう。
少しずつ穂花がベストセラー推理小説家、愚昧灰荘の正体に近づいていく。
危うく笑いそうになったが堪えた。
「性別は今のところなんとも。でも犯人像は出来てるから会ったらすぐにわかると思う」
「何度も言うようだが」
「分かってるよ。探すときはにぃにがいるときにする。でも呼んだらどこにいようと駆けつけてよ」
「やだん」
それは面倒臭い。
生徒会の仕事中に呼び出されたりしたらたまったもんじゃない。
「にぃに、クッキー美味しい。ありがと」
「お姫様の機嫌が戻って良かったよ」
「でもまた置いていったら許さん。次は張り付いてでも付いてく」
クッキーを詰め込んで口をぷうと膨らませるが、まったく怖くない。
なんだがリスみたいでとても可愛い。
撫で回したくなってしまった。
■愚昧灰荘の弟子(現在)
【1番弟子】
赫赫隻腕/藻蘭千尋
得意ジャンル・不明
【2番弟子】
畑地海兎/(ペンネームが多過ぎるため本名のみ)
得意ジャンル・不明
【3番弟子】
アドリエッタ
得意ジャンル・サイコサスペンス
【4番弟子】
四奈メア
得意ジャンル・ヒューマンミステリー
【5番弟子】
辺里葛蓮
得意ジャンル・贋作ミステリー
【6番弟子】
ドリトル・チャルマーズ
得意ジャンル・脱出ゲーム
【7~10番弟子候補(不明)】