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●森屋帝一
土曜日の朝、206号室。
起きてスマホを確認するとメールが13件。
全て妹の穂花からだ。
僕と母さんの旅行に着いて行きたかったと抗議するメールが3件。
他の10件は諦めたのか近況報告を定期的にしている。
『ミートソーススパゲティを食べた』『今からお風呂入る』。『死ぬまでに読むべき推理小説百選』なんてものもある。
「穂花、暇なんだな」
苦笑いが溢れてしまう。
どうやら父さんは仕事を休めなかったようだ。
つまり家には穂花とハドソンのみ。退屈していることだろう。
発狂していないか、お兄ちゃん心配だよ。
今すぐにでも帰って相手してやりたいところだがこれからお仕事だ。
推理小説家たちを誘拐して自分好みの作品を書かせる批評家を納得させないと永遠に開放されないのだ。
だから我慢だ、妹よ。
ハドソンと仲良くやってくれ。
スマホに向かって敬礼しているとブブッと新着のメールが届いた。
14件目。
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美玖ちゃんが遊びに来た。
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「……まさか本当に仲良くなったのか?」
冗談だと思っていた『友達っす!』を信じても良いのだろうか。
僕のことを嗅ぎ回っている新聞部部長・浅倉美玖。
へにゃっとした口、下っ端口調、あまり関わりたくないタイプだけど穂花と仲良くしてくれるのなら、今度なんか奢っても良いかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同室で寝ていた海兎は先に207号室に行っているようで僕も着替えてから向かう。
部屋に入ると、重たい空気。
背筋をピンッと伸ばして手を震わせながら原稿を書いている3人の弟子の姿。
そして家庭教師のように背後で見守る母さん……批評家富子先生と言った方が正しいかな。
「帝一、おはようございます」
「おはよう。206号室が空いたから母さん使って」
「そうさせてもらいます」
鍵を渡すと母さんは部屋から出て行った。
その瞬間「「「ふはぁ」」」と弟子たちのため息。
張り詰めた空気が一瞬にして消える。
「灰荘先生遅ぇよ。すげぇ精神削られたじゃねぇか」
「……私なんて書き終えてもないのに3ページ分ボツ食らったわ」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
文句を言ってくるふたりと違い、礼儀正しく挨拶する隻腕。
「ああ、安眠できたよ」
そう返すと本当に安心したように微笑む。
執筆のためかメガネを外しているからもう色っぽいのなんのって。
僕みたいな恋愛経験皆無な奴からしたら即死レベルの破壊力がある。
座布団に腰掛け、原稿を書き進めた。
昨日のうちに25枚終わらせてあるからすぐに完結する。
隻腕22枚、海兎19枚、メア10枚。
心配は無い。
僕の弟子はみんな優秀だもの。
●藻蘭千尋
正面に座っているあの方を気付かれないように眺める。
出会ってからずっと背中を追ってきた。
推理小説家なら誰もが憧れるカリスマ、愚昧灰荘先生。
とても凛々しく、気品がある顔立ち。
優しさの中に冷酷さを持ち合わせている高嶺の花。
……それなのに。
「灰荘大先生、この描写をもっと盛り上げたいの。アドバイスが欲しいわ」
「そろそろ仲居にメシ頼まねぇか?腹減っちまった」
2番弟子である海兎さんはまだしもですね。
メアさん?いつの間にか馴染んでませんか。
別に羨ましくなんかありませんけど、師匠と弟子なのですから。
それに見合った距離感というものがあるでしょう。
それにしてもメアさんに書き方を教えるあの方の表情は柔らかい。
やはり年下なのでしょうか、甘えるより甘えられたい派なのでしょうか。
……別に友達みたいな距離感が羨ましいとかではありません。
「隻腕」
「は、はいっ⁉︎」
なんてぐるぐる考えていたら名前を呼ばれて飛び跳ねる。
正しくはペンネームですが『藻蘭=隻腕』。意味合いは同じです。
こちらの原稿用紙を指差して。
「誤字ってる」
いたずらっ子みたいに笑う。
原稿用紙を見ると【舌打ち】と書いたはずが【慕うち】と、ありえないほど恥ずかしい誤字。
顔の熱が上がっていく、真っ赤になっているに違いない。
急いで修正。
それでも顔が熱いのは治らない。
手をパタパタさせるがほぼ無意味。
「君も間違えるんだな」
「うくっ……お恥ずかしい」
穴があったら入りたい。
●森屋帝一
腹が減ってはなんとやら、空腹で筆の進みが遅くなっている海兎とメア。
仲居さんに頼んで朝食を持ってきてもらう。
色とりどりの料理。
花を見立てられた野菜や魚の刺身。
ローソクの熱で焼かれるステーキ。
ゴクリっと唾を飲み、手を合わせ。
「「「「いただきます」」」」
ガツガツと勢いよく食べる海兎とメア。
腹ぺこだったんだな。僕が起きるまで我慢させちゃってごめんよ。
「メアさん、口元に」
「ん……あら、ありがと」
ハンカチを取り出してメアの口に着いた食べカスを拭う隻腕。
親子に見えてしまって不意に笑ってしまう。
横を見れば海兎の顔にも食べカスがあるのだが、取ってあげるべきだろうか。
「そういや中学生ギャル。いつぐらいに終わる見込みなんだ?」
「き、今日中には。終わらせてやるわよ」
苦笑いで強がるメア。
本人は自信が無いようだが明日には帰れそうだ。
弟子の成長の為ならいくらでも時間を割くつもりではあるが、期限を守ってくれるのは嬉しい。
「メアさん、もう少し時間をかけても良いんですよ」
「そうだ。明日の昼くらいに終わらせれば間に合うからな」
「はあ?新入りだからって甘く見ないでくれるかしら!……す、すぐに書き終わらせるわよ」
ん?なんだなんだ。
メアを甘やかそうとする先輩弟子たち。
「こら、なにをバカなことを。メアが今日中に終わらせると言っているのだから変な誘惑はするな。甘やかされて筆が遅くなったらどうする」
「そうよっ!」
仲裁すると気まずそうに視線を外された、なにやら企みがあるらしい。
もしや反逆。
この強化合宿を長引かせ、穂花に僕の正体を気付かせる魂胆かもしれない。
覚悟を決めたのかハシを置いて正座をする隻腕。
あまりの気迫に僕まで同じように正座に。
「申し訳ありません。貴方は忙しい身ですのでこんな機会なかなかありませんので……少しでも、長引かせたいと思ってしまいました」
顔を真っ赤にさせて謝る隻腕と恥ずかしそうに舌打ちする海兎。
そして意味がわかって目をぎょっと丸めるメア。
なにこの子達、可愛すぎるでしょ。
いっそこの旅館に住んでしまおうか。
「……たしかに師匠らしいことだってあまり出来てないしな」
「そ、そんなことはありませんっ!貴方はいつだって私たちの目標であり学ぶことばかりです」
バンッと机を叩いて否定してくれる。
「つまりだな愚昧先生……楽しくて帰りたくねぇんだ」
「うわ、不良がなに言ってんのよ……まあ賛成だけど」
心惜しい声。
まるで捨てられている子犬のような視線が3つも僕に向けられた。
「はあ……別に今回が最後じゃない。また母さんに拉致されることもあるだろうし、僕も君達とは良い関係を築いていきたい、また近いうちにこの旅館のお世話になるだろうさ」
「「「────っ!」」」
次は3番弟子と美術館館長葛蓮と獣医ドリトルもつれてかな……うおう、かなりカオスなメンツ。
穂花に勘付かれないようにするのは骨が折れるが、母さんが協力してくれるだろう。
弟子達はこの旅館をとても気に入ったようだ。
ネタの宝庫、推理小説家の為に作られたような施設だから当たり前か。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
30枚を書き終えた僕は206号室のベルを鳴らして扉を開ける。
(女性ひとりでいるのに鍵をかけないなんて危なすぎじゃないか)と思ってしまうが外からでも伝わる不機嫌オーラによって近づく奴はいないだろう。
ほら見てみなよ、部屋の中には美魔女。
眉間にシワを寄せて原稿用紙に怒りをぶつけている。
たまに歯ぎしりまで聞こえた。
「やはり最初は貴方でしたか。愚昧灰荘」
息子ではなく推理小説家として僕を見る母さん。
同じく批評家富子先生として見る。
原稿用紙を差し出すとペコリと頭を下げて読み始めた。
ぺら、ぺら、ぺらら。
まるで絵本を読むかのペースで原稿用紙をめくっていく。
たまに手が止まってぴくりっと口元が緩んだような気がする。これは好感触だ。
母さんは退屈すると鼻をつまむクセがあるのだが、これが出ない。
むしろ嬉しくなったときのアゴをつまむクセ。
「合格です。……偶然にピタゴラスイッチ的に起きてしまった事故。しかし被害者を恨んでいる人物が多かったため推理は難航。犯人はボール遊びをしていた無邪気な子供だった。ひねくれているにもほどがありますが、面白い」
ぎゅううぅぅぅっ。
抱きつき。
「……母さん、分かったから」
気に入った作品を読み終わると抱きつき魔に豹変する。
新刊が出るたびに僕に抱きついてくる。
この状況を弟子の誰かに見られたらかなり恥ずかしい。
「流石です、これからも期待しています。弟子達の作品も楽しみですね」
「どうも、批評家さん。終わったことだしお風呂にでも入るとするかなー」
安心して部屋を出ようとしたけど「ひと言、良いですか?」と母さんに呼び止められた。
振り返って顔を確認するが、どうやら息子になにか言いたいわけではないらしい。
「穂花を危ない目には合わせないで下さいよ。もしも怪我でもさせたら」
「言われなくても分ってるよ。僕はお兄ちゃんなんだからさ」
出来るだけ爽やかに笑ってみせた。
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脱衣所でブブッとスマホが鳴った。
確認しなくても分かるがほったらかされている穂花だろう。
『いい加減帰ってこい』かな。
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美玖ちゃんと一緒に
灰荘ファンクラブに潜入してきます。
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「ん?」
知らないうちに急展開しすぎててお兄ちゃん置いてきぼり。
その経緯を教えてもらえるだろうか。
【Q&Aコーナー】
Q『クワノの宿の推理ゲームで帝一たちをモデルにしたキャラを被害者にしたのはなぜですか。不満があるんですか?』
A藻蘭「たぶんそれは私が『作品に好きを入れた方が面白くなる』と言ったからでしょう」
メア「ば、ばかっ!あの時は時間がなかった…だけだし」
帝一「あらやだ可愛い」
海兎「やめとけ。顔真っ赤じゃねぇか」