ヴァイオリニストに鎮魂曲を 1/3
●森屋帝一
妹の穂花は入学初日を終えて帰ってくるとドタバタと僕の部屋に押し入ってきた。「にぃにっ!これは嘘じゃないんだ‼」とワケの分からない語り出し。
聞くに3年生の風紀委員長である藻蘭千尋という女性に呼び出されて頭脳勝負をしたいと言われたそうだ。
興奮しすぎていて、なにを言っているのかまったく分からないけど。
「灰荘だよ!あの暴君作家と頭脳勝負!」
「ちょっと待て、話が飛びすぎてお兄ちゃんわからない」
「だから、愚昧灰荘とホノが頭脳勝負をするんだってば!」
「藻蘭先輩とじゃなくて?」
「その人は灰荘の手先っ‼」
……手先って。
推理小説家をまるで悪の親玉みたいに言わないでほしい。
「まあ、ちょっと落ち着け穂花」
飲みかけのコーヒーを穂花に渡す。
学校から走って家に帰って来たようでごくごくと飲む。
間接キスとか言われそうだけど兄妹だし許容範囲内のはずだ。
先輩に呼び出されてからこんな調子だったのだろうか。
クラスメイトにドン引きされてない?お兄さん心配。
「ありがと」
「じゃあ、どうしてベストセラー作家がその話に関わってくるのか。僕にも理解できるようにゆっくり説明してもらおうか」
「にぃに驚くなかれ」
「努力するよ」
バッグに入れていた封筒を渡される。
開くとA4サイズの紙。
裏表を確認して頷く。
確かに犯行予告みたいな文面だ。
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名探偵には事件から訪れるもの、
ノックを待て。
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なんて少し悪役を演じすぎているのではないだろうか。
「ホムズ女学園に歴代トップで入学したホノに興味を持ったらしくてね。ただ『小手調べに弟子と勝負させる』って言ってた」
「それで知恵比べ。って言っても何するんだよテーブルゲームか?」
「藻蘭先輩は『誰も死なない殺人遊戯』って言ってたよ」
「……」
その先輩は厨二病なのかな。
流石に臭いだろ。役に入りすぎだ。
「もちろん断ったよな?」
「ううん」
「なんでだよ、そんなの怖すぎるだろ」
「だって面白そうだから。それになにがあってもにぃにが守ってくれるの」
「なに、その根拠のない兄への信頼は」
怪しい話にウキウキとしている。
新作の推理小説発売前日の顔だ。
「ようやくホノも名探偵の仲間入り!にぃにが相棒なんだよワトスン君‼」
兄なのかワトスンかどっちかにしてくれ。
そもそも兄ならマイクロフトだろうに、相棒なら他を当たってくれ。
ん?『相棒』と言ったか。
「穂花ひとりでやるんだよな?」
「ううん。にぃにを助っ人に推薦したよ」
「え、やだん」
そんなめんどうな役割御免だ。
ただでさえ忙しい身。
いろいろやりたいことがあるのです。
穂花ばかり相手にしていられない。
「だって藻蘭だよ⁉灰荘は犯罪界のナポレオンに違いない。だから一緒に謎を解こう‼」
【犯罪界のナポレオン】は故人である。諦めなさい。
そもそも灰荘を犯罪者にしないでほしい、可哀想だろ。
『推理小説界のナポレオン』とでも言い直してやってくれ。
「にぃに、お願い」
必殺上目遣いをかましている。
僕にそんなもの効くと思うなよ。
どれだけ才色兼備の黒髪ロングの美少女だろうと、実妹にそんな顔を向けられてもなんとも思わんね。本当。
兄はそんなに、
「にぃに」
「仕方ない」
ちょろくないのだ。
●森屋穂花
あれから3日。
土曜日になってもノックはない。
両親はデートに行っていて、にぃにも生徒会の仕事で家にいない。
抜けている様にも見えるがにぃには1年生からアーティ高等学校の生徒会長になった実力者。
忙しくて遊んでもくれやしない。
リビングにいるのはにぃにが飼っているカメレオンとソファーでだらけているホノだけ。
ニュースを見ているが気分が下がるものばかり。
退屈してしまったのでテレビを消してカメレオンのハドソンに餌をやる。
「ハドソン夫人。ご機嫌はいかがかな?」
カルシウムパウダーをかけたコウロギを口元に持っていくとペロリパクリッ。
何度見ても「うげぇっ」となるがにぃにから餌やりを頼まれているから仕方なし。
全く可愛いとは思えないけど。
=任務完了=
ダッシュでにぃにの部屋に行ってベッドにぼふっと飛び込む。
カメレオンの食事はエグい、忘れるための処置だ。
やはりにぃにのベッドは落ち着く。
ホノの部屋にあるものより弾力性があるというか、なぜかお高い。
兄妹なのにこの差はなんだ。
…
……
………
…………すー、すー。
「ただいまー」
帰ってきたにぃにの声で起きる。
すかさずベッドを整えて、バレないように部屋を出てリビングへ向かった。
「おかえり」
「穂花。ポストに手紙入ってたぞ」
ホノに手紙?
自分で言うのも悲しいが友人からの手紙ではないのだろう。
受け取ると包みに【ノック】と書いてあった。
「……ノック」
「いやいや待て。おかしいだろ」
にぃにが呆れたように呟く。
たしかにあのベストセラー作家の仕事にしてはえらい雑だ。
中身を確認する。
原稿用紙、なんだか刺激臭した。
そして丸くて可愛い文字で、
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三千回呼吸する者を産んだ女が飾られた場所で待つ。
──────────────
「ふふん、簡単すぎるね」
「ベストセラー作家の挑戦状なんだろ?」
いや、これは灰荘からの手紙ではない。
もっと洗練された性格の悪い暗号にするはずだ。
にぃには確認するが首を傾げる。
数学に関して天才的だが探偵には向いていないらしい。
「『3000』と『呼吸』で思いつく人物は」
「わからん」
「『殺人は呼吸するのと同じことだった』」
「……急に怖いんだが」
「ヘンリー・リー・ルーカスの言葉だよ。歴史に名を残すサイコキラー、確認されている被害者は11人。ルーカスが言うには3000だ」
にぃには顔を青くする。
「でも産んだ女。犯罪者の母親の名前まではわからないだろ?」
「いやわかるよ。彼女はルーカスの精神を壊した張本人として有名だからね」
「それで場所は。殺人鬼の博物館か?」
『いいから答えを言え』の顔。
謎解きを楽しまないなんて罪だよ、このおたんこなす。
「正解は楽器店」
「なんでだよ、楽器関係ないだろ」
「母親の名前はヴィオラ」
「……それでヴァイオリンが置いてある楽器店?安直すぎる」
【ヴィオラ】。
低音を奏でる大きめサイズのヴァイオリン。
確かに直接的すぎる。
ホノもまさかと思ったよ。
でもこの刺激臭が何よりの証拠。
「それにこの手紙を嗅いでみて」
鼻を近づけるとにぃには目を細めて、
「なんだ、この臭いっ⁉ツンってした、ツンって」
「びっしり塗られた松脂」
松から取れる天然樹脂。
ヴァイオリンの弓の毛につかう塗布剤。
「じゃあ行こうか。ワトスン君」
「ハドソンにエサは?」
「夫人ならお腹いっぱいで寝ているところさ」
「……生徒会の仕事で疲れているんだが。それにハドソンは独身だ」
そんなおぞましいカメレオンはいいからとホノはにぃにの手を引っ張って駆け出す。
この街の楽器店といえば一軒しかない。
事件がホノを待っている。
●森屋帝一
「着いたよ、にぃに。ここがホノ達の探偵物語の第一の事件の舞台。ハー・マジェスティーズ楽器店であぅる」
「名前のわりに古臭い楽器店だよな、ここ」
ボロボロな楽器店。
ため息をつく僕に対して瞳を輝かせる穂花。
「怖くないか?名探偵」
「誰に聞いているんだい。推理小説家がホノに頭脳勝負をしかけてきたんだよ?夢にまで見た探偵役。しかも助手はにぃにときたっ!こんなに嬉しいことはない」
太陽のような笑顔。
周りまで温かくなったような錯覚を覚える。
ここから始まるんだ。
読書家・森屋穂花と推理小説家・愚昧灰荘の知恵比べが。
歴史に残るかは知ったこっちゃないがサイドキックの先輩達に顔向けできるような働きを僕もしようと思う。