腹ぺこなダスピルクエット 1/5
●森屋帝一
金曜日の下校時、アーティ高等学校の校門にて仁王立ちしている美魔女様。
ツンッとしたオーラで、近づく者全て凍りつきそうな……。
気付かないふりをして通り過ぎようとしたが、
「帝一、今からデートに行きましょう」
そんな甘々なセリフが飛び出して来るとは思わず、ぎょっと目を丸めてしまう。
と言っても相手は実の母。推理小説に口うるさい批評家、美魔女の富子先生。
……ロマンティックなんてどこにもない。
目撃した生徒から「生徒会長は熟女好きかっ⁉︎」と困惑の声が上がる。
「母さん。これは一体?」
車の中で縛られ口をハンカチで塞がれている3人。
僕に助けを求める視線。
ホムズ女学園の風紀委員長・藻蘭千尋。
ガタイが良くてうちの学校の番長・畑地海兎。
褐色の肌で金髪のショートヘア中学生・四奈メア。
特に母さんに会ったことのないメアは困惑していることだろうな。
「説明が必要ですか?愚昧灰荘。貴方は弟子を増やしすぎです。ちゃんと親交を深めなさい」
「……となるとまだいるのか?」
「残念ながら、3番弟子君は用事で来れないと。葛蓮さんとドリトルさんはお仕事ですね」
……全員連れ去ろうとしてたようだ。
3番弟子は他の弟子と馴れ合うことを嫌うし藻蘭先輩が『狂人作家』と呼んで敵視している。
美術館館長と獣医は忙しいらしい。
「親交を深めるってなにをしろと?」
「今日から連休ですし小説の強化も兼ねて旅館に泊まりましょう。パパと穂花にはバレないようにごまかしておきます」
男女で旅館。なんだか良い響きだ。
枕投げして、風呂の覗きを強要してくる親友がいて、男湯と女湯を入り間違えちゃったりして……そんなイベントは僕には無縁か。
母さんが一緒では尚更。
親交を深めるどころかこの車に乗ったら【地獄の小説強化合宿】に直行である。
「やだん」
「帝一に拒否権はありません」
「っ言わせてもらうけど僕は母さんに怒ってるんだからな!ドリトルにハドソンを渡したのって母さんだろ⁉︎」
ピッキングの傷も無かったから正当な方法でハドソンは誘拐されていた。
3番弟子なら合鍵を知らぬ間に作っていてもおかしくはないが僕の部屋に誰かが入った形跡も無かったから考えにくいだろう。よって家族の中に協力者がいた。
「ええ。ですが3番弟子君はハドソンの無事を約束してくれました。それにタダで健康診断をしてくれると」
「なら良いか」
納得するべきではないが、相手は獣医。
ハドソンのためだったと思えば良かったのかもしれない。
「早く行きますよ」
ぐいっと母さんに手を引かれ、車の助手席に座らせられた。
バックミラーを恐る恐る確認してみると、誘拐された3人の弟子。
完全に事件だ。
後ろの座席に苦笑いを向けると背筋をぴんっとさせて頭を綺麗に下げてきた。
4番弟子になったメアの初印象は気の強い中学生ギャルだったのだが礼儀正しい女の子にしか見えない豹変ぶり。
「ごめん、突然のことで驚いてるだろ。嫌だったら断っていいからな」
ぶるぶるぶるっ。
音が聞こえてくるくらいに強く首を振る弟子たち。
どうやら地獄の強化合宿に行きたくて仕方がないらしい。
まぁ、溜まりに溜まった日々の疲れを旅館のお風呂で癒すのもやぶさかでない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その旅館は山奥にあった。
もちろん旅館付近に駐車場があるのだが結構離れた場所に車を停める。
しかもビニールシートで覆い隠し、ナンバーすら確認できないようにした。
これは僕と母さんが家族に言えないことを企んでいるときの常識行動。
母さんは評論家としてテレビに出演しているから話しかけられたり写真をせがまれることだって少なくない。
もしもそれがSNSなんかで話題になったりしたら、アリバイが虚偽だったとバレてしまう。
だから逃亡犯と同じくらいに慎重に行動しなくてはならいのだ。
「お母様っ!私がその荷物を持ちます」
「藻蘭さんありがとうございます。お願いできますか」
藻蘭先輩こと赫赫隻腕は母さんのバッグを代わりに持つ。
隻腕よ、そんなことしたって地獄の強化合宿の難度は変わらんぞ。
そして僕の横には海兎とメア。
ボディガードみたいに周りを警戒する。
「……君達はなにをしてるんだ?」
「見ての通りだぜ愚昧先生。山の中は危険だ、なにがあるか分からねぇ!」
「そうよ灰荘大先生、怪我でもされたら困るわ」
旅館まで山道を歩いていく。
不良番長と中学生ギャルに守られてる僕って一体。
なんだか弟子達が落ち着きがないように思える。
危険なんてあるわけが。「心配ない」と言おうとした瞬間。
ガサガサっと草木が揺れて巨大な影が僕に向かって襲い掛かってきた。
──それはイノシシ。
驚いている暇もなく、メアが前に出て盾に。
海兎は拳を鳴らし、
ドシンッ‼
……まさか、獣相手に相撲。
「うりゃあっ!」とイノシシの身体を持ち上げてかなり遠くまで飛ばした。
「愚昧先生っ!ケガねぇか⁉︎」
「それはこっちのセリフだ。イノシシを投げ飛ばしてけろっとしてる奴のほうが心配だぞ」
「鍛え方が違ぇ。グリズリーまでなら勝てる!」
まったく。どんな鍛え方したらそんなばかげた力を出せるのやら。
メアに視線を向けると身体が震えていた。
怖いのに無理して僕の盾になってくれたらしい。
頭に手を置く。
「……なによ?」
「嬉しいけど次は君が後ろに隠れてくれ。海兎のようにはいかないけど中学生の女の子ひとりを守れるくらいには頑丈なはずだ」
「え、ええ。分かったわ」
メアはムスッとした顔になり、いまの珍事に気がつかないくらい先に進んでいる母さん達のところまで走って行ってしまった。
「怒らせたかな?」
「逆だと思うぜ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2時間ほど歩き、ようやく目的地である旅館へ辿り着いた。
クワノの宿。
良くも悪くも推理小説に出てきそうな落ち着きのある旅館。
そして別名、作家の悲鳴が聞こえる缶詰宿。
母さんがチェックインを済ませる。
男性陣が206号室。女性陣は207号室。
男女で分かれたが執筆をするために207号室に集まるように指示されている。
僕の隣に海兎、前に隻腕、斜めにメアが座る。
母さんから原稿用紙を渡された。
「30枚で私を喜ばせなさい。気に入らなければ書き直しです。全員がクリアするまで帰ることを許しません」
…………しんっ。
空気が固まった。
休めるとしても日曜日まで。
月曜からは普通に学校だが母さんのことだ、本気で缶詰させられる。
もしそんなことになったら勘の良い穂花には全てのことがバレてしまうかもしれない。
愚昧灰荘との推理ゲームに支障をきたす可能性がある。
「ノックスもヴァン・ダインも今は考えなくて良い。型破りで構わない。むしろ使い古された設定もトリックも芥です。泣き落としなんて恥知らずの行為だと知りなさい。貴方達にしか書けない推理小説を読ませてください。帝一が選んだ作家なら出来ると信じています。では」
『ノックスの十戒』『ヴァン・ダインの二十則』は推理小説家が誰もが知っている心得。
分かりやすく言うなら入門書。
だがこの批評家はそんなものは知るかと……無理難題をおっしゃる。
凍りつくようなセリフを残して母さんは部屋から出て行く。
どうやら206号室の方で批評家の仕事をするようだ。
「も、藻蘭先輩。胃が痛いわ。今すぐ帰りたい」
「そんなこと言ってられませんよ。弟子を続けたいならやるしかありません」
「1万2千文字を日曜まで、それでも遅ぇな。しかも批評家が喜ぶ作品ときた」
現実逃避で笑いがこみ上げてくる。
馬鹿げてるよね、でもあれが冷血無慈悲な富子先生です。
『出来ないならそこまでの才能』と切り捨てられてしまう。
原稿用紙と一緒に渡されたのは大量の栄養ドリンク。
考えてもどうしようもないから僕は万年筆を手に取り書き始める。
続いて隻腕と海兎。
筆の進みが遅いのはやはりメア。
手もかなり震えている。
カタカタカタッと万年筆の音だけが207号室に響く。
「しりとり」何気なく口から出ていた。
「リチャード・コティンガム」隻腕が返す。
「ムツオ・トイ」
「それはずるいですよ。イスラエル・キーズ」
「ステファン・レッテル」
「ルイス・ガラビート」
「トマス・ニール・クリーム」
執筆中にしりとりをするとアイディアが浮かんでくるのだ。
しかし海兎が呆れた顔で。
「犯罪者でしりとりすんじゃねぇよ」
メアの方はそんなことも気にならないくらい焦っているようで、頭をガシガシしながら「これもダメ」「あれもダメ」「あー、終わる気がしないわっ!」と目を回していた。