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●森屋穂花
カチカチカチカチッ。
集中したいのにテレビから流れてくるタイマーの音が耳に入ってくる。
あのハドソン夫人の命がかかっていると考えるたら手が震えてしまう。
すー、ふー。
「……大丈夫か?」
心配そうに顔を覗いてくるにぃに。
いつものホノならもう謎は全て解けている頃合いなのにモタモタと考えているからにぃにも不安になってしまったのだろう。
「うん。入力キーの謎はもう解けた」
『ほほう、開始30秒で気付くとは流石は灰荘先生のお気に入りだ。感心するな……考えた側からしたら憎たらしいがねっ!』
……うるさい。
謎解き中に邪魔をしないでくれるかな。推理小説家ドリトル。
話の通じないスチームパンクにくれてやる時間なんてないから、入力キーをにぃにに見せる。
────────────
猿 虎 犬 鳥
猫 牛 兎 馬
猪 蛇 羊 龍
. Enter
────────────
左一列が獣偏だったり置きかたに意味があるように見せてはいるが、ミスリード。
「書かれている生き物は12種類、単純にこれは『干支』を表しているんだよ」
「……だとしても始まりの『鼠』がいないじゃないか、代わりに『猫』はいるけど」
干支を数字にするとしても『鼠』がなければ【1】が使えない。
代わりにあるのは鼠に騙されたせいで神様への挨拶が出来ず干支になることが出来なかった『猫』。
干支ではないのだから【0】として扱う。
────────────
9 3 11 10
0 2 4 7
12 6 8 5
. Enter
────────────
「だけど『1』が無いのは困るぞ。鳥、犬、猪だって1の次が3以上だったら使えない」
『お困りかな?あと7分しか無いぞ。どうするんだ名探偵とその兄よ!』
「「お黙り、ドリトルっ‼」」
ホノたちの怒鳴り。
焦ってる時に画面の向こうから挑発されるとこの上なく不快だ。
入力キーをテレビに投げつけたくなってくる。
『わかったとも。我輩抜きで謎解きを楽しむが良いさ!ふんっ』
シュレディンガーのカメレオン状態のハドソン夫人を置いて画面外に消えるドリトル。
頼むからそのまま静かにしておいてください。
邪魔者がいなくなったところで暗証番号の謎解きを再開。
「にぃに……『1』を使うためには今のハドソン夫人がヒントになってるんだよ」
「ハドソンが、ヒント?」
『シュレディンガーの猫』
オーストリアの物理学者が提唱した思考実験。
密閉された箱に猫を閉じ込めて有害ガスなどを使い50%の確率で死ぬ仕掛けを作っておく。そうすることで箱を開けない限り猫は【生きている状態】と【死んでいる状態】が両立する。
つまり猫は1と0。
ふたつの意味を持つ。
「作者の気持ちになれば作品の最後はおのずと解るっ!」
ドリトルは画面外に行ったからハドソン夫人しか映っていないテレビに指を刺して決め台詞。
聴いていないだろうけど大声を出して少しでも落ち着きたい気分なのだ。
残り6分。
●森屋帝一
タイムリミットが迫ってきて焦る穂花だがちゃんと謎解きをしてくれたおかげで不自然な助言をせずに済む。流石である。
「にぃに、聞きたいんだけど……暗証番号はどれくらいかかりそうかな?50桁は超えるよね」
「心配するな、2分あれば終わる」
「そっか。なら余裕だね」
「……派遣社員なら、な」
「ホノの安堵を返せっ!おたんこなす!」
穂花のタイピングの速度なら遅くても3分くらいで打ち終わるはずだ……もちろん時間がないから打ち間違いは許されない。
ひっひっふー、ひっひっふー。
「にぃにが円周率、ホノが入力キー。良いよね?」
すぐに肯定する。
正直謎解きより暗証番号の方が厄介だ。
ひとりしかいなくて円周率を解きながら入力キーに書かれた文字に変換するなんて穂花でも苦行。
しかも入力の合間は5秒だけ。考えてる暇はない。
『円周率係』と『入力係』に分担。
「大丈夫。穂花はお兄ちゃんを信じて文字に集中してくれ、数字は僕の領分だ」
「うん、にぃにを疑ったことなんてないよ。世界の誰よりも信頼してるもん」
グサッ。
あれれー、妹からすごく嬉しい言葉をもらえたのに胸の痛み。
くそう、良いパンチ持ってやがる。
残り4分。
すー、ふー。
僕らの深呼吸が合わさる。
穂花は指を伸ばし、僕はノドの調子を整えて。
「「せーのっ!」」
虎.猫兎猫龍猿牛蛇龍虎龍 羊猿馬猿虎牛虎羊兎蛇
牛蛇兎虎虎羊虎牛馬猿 龍猫牛羊羊兎猫猿馬猫
蛇猿虎猿猿虎馬龍鳥 龍羊牛猫猿馬兎猿兎兎
龍猿牛虎猫馬羊猫蛇兎 猫蛇牛羊蛇牛猫羊猿猿
羊蛇牛羊猫虎兎羊牛龍 虎兎牛犬馬猫蛇馬猿
羊牛猫兎羊猫羊蛇龍猫 虎牛羊牛虎猫蛇蛇兎馬
猫猿虎羊兎蛇猫猿龍 龍猫龍羊牛牛虎猫馬牛
龍虎龍猿兎猫羊猪 Enter
──カチャリッ。
部屋のロックが解除された。
テレビのタイマーを確認すると残り1分。
タイムリミットものでは残り秒単位が好ましいのだが森屋兄妹を舐めるなよ。
「ノド痛いん」
「指いたあい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
落ち着く余裕もなく扉をバンッと開く。
10分は経っていないがドリトルが言っていたように箱の中に危険物が入っている可能性だってあるんだ。
「ハドソンっ、無事か⁉︎」
「ハドソン夫人、助けにきたよっ‼︎」
「おや?おやおや。本当に10分以内で扉を開くとは……聞いていた通り馬鹿げた推理力だなあ。我輩達の仕事が上がったりだ!クハハハッ‼︎」
撮影スタジオ顔負けの機材が置かれた部屋。
ハドソンが閉じ込められている中身が見えない箱、僕と穂花が入って来たことに驚くドリトル。
右手には木製のピンセット、カサカサッと動いているなにかが先端で摘まれていた。
「……なにをしてるんだ?誘拐犯」
部屋に入って、一発くらい殴ってやろうかとも考えたけど……なんだか様子がおかしい。
「なにって、そろそろ夫人がお腹を空かせているころだと思ってな。新鮮なコウロギを食べさせたいのだが構わんか?名探偵の兄よ」
「ハドソンは独身だ……毒は仕込んでないだろうな?」
「クハハハッ!なぜそんなことしなければならない?可哀想ではないかあ」
ドリトルは箱を開きハドソンを出す。
どうやらカメラ側からは中身が見えないけど裏はガラスで中身が見えてちゃんと空気が入る穴が空いている。しかも箱の中に温度計が置かれカメレオンを飼う際の適正温度が維持されていた。
全く怪我はなく、むしろ元気なハドソン。
ドリトルがピンセットの先で摘んでいるコウロギをハドソンの近くへ持っていくと。
ペロリパクリ。
後ろにいた穂花から「うげぇっ」という声が漏れる。
一緒に住んで、何度も餌やりをしてくれるんだからそろそろ馴れてくれよ。
それからドリトルは僕に近づいて深々と頭を下ろした。
「まず謝罪からだな。推理ゲームを盛り上げるためとしても不快な思いをさせた、すまない」
●森屋穂花
いち段落つき、ホノたちは椅子に座る。
淹れたての紅茶と動物クッキーが机に並んだ。
にぃにはハドソンの安全を確信すると、先程までの苛立ちが嘘かのようにいつも通り。
はあ、良かった。
「健康的なカメレオンだ。愛情を持って育てているのが手にとるように分かる。君のような男に愛されてハドソンも幸せだろう」
「あ、ありがとう」
照れくさそうに頭を下げるにぃに。
ダメだこれ、完全に心を掴まれてしまった。
この件でにぃにも愚昧灰荘を嫌ってくれるかな、と思っていたが無理かもしれない。
「で、でも君はハドソン夫人を脅迫をした!推理ゲームの余興にしてはやりすぎだよ。命をなんだと」
「我輩が命を軽視していると?それは違うな名探偵。推理小説家というものはいつだって死と向き合っている。我輩達は命の尊さを知っているからこそ冷酷に奪う。命を軽視している者に執筆をする資格などないのだからね」
……言っていることはめちゃくちゃだけど説得力がある言葉に衝撃を受けた。
なんじゃい、このスチームパンク。一瞬カッコよく見えちまったよ。
「気をつけたつもりだがハドソン夫人にはストレスを与えてしまったかもしれん。なにかあったらすぐに連絡したまえ」
ドリトルは奇抜なスーツから名刺を取り出してにぃにに手渡した。
「だからハドソンは……ああ、その時は頼らせてもらうよ」
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チャルマーズ動物病院
ドリトル・チャルマーズ
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この怪しい見た目で獣医もやっているなんて驚きである。
レパートリーが多すぎるぞ……おのれ、灰荘。
ドリトル・チャルマーズ〔♂〕
スチームパンクな獣医さん
誕生日/12月25日=山羊座=
血液型/B型 髪/紫色
身長/175cm 体重/78kg
性格/好奇心旺盛
年齢/不明
好き/生物.クッキー
嫌い/納豆.梅干し
得意ジャンル:脱出ゲーム
【出版】『Jail・Zoo』
目を覚ますとそこはジャングルだった。
高校生。女軍人。クライミング選手。数学者。科学者。女優。
集められた6人は疑心暗鬼のなかでともに行動することになった。
ジャングルから出ようとするが見えない壁に邪魔される。
迫りくる猛獣たち。理解不能なサバイバル。才能を使い危機を脱せよ。
……生きて帰るためには謎を解き続けなければならない。