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●森屋穂花
なんというか、効果音で例えるならゴゴゴゴッ。
初めてにぃにがベストセラー推理小説家・愚昧灰荘に怒りを覚えている。
それもそのはず、ホノの次くらいには大切にしているカメレオンのハドソン夫人が誘拐されたんだから。
お世辞にも夫人のことは好きではないがいないとなると寂しい。かもしれない。
「誰だか知らないが……覚悟は出来ているんだろうな?」
にぃにの殺し屋のような顔。
怖すぎるからホノは部屋の隅にブルブルと震えている。
誘拐犯はどうやってこの家に侵入したのだろうか、ホノが帰ってきた時は玄関の鍵は閉まっていたし、にぃにが帰ってきてから家の中を調べ回ったが窓はひとつも空いていなかった。
不法侵入とか怖すぎ。
思いっきり警察沙汰であるがハドソン夫人がいない他は変化なしだからパパ以外は信じてくれないかもしれない。
「穂花、早くしてくれ」
「はいっ!にぃに、なんでしょうか⁉︎」
ここまでトゲトゲしたにぃにの声を初めて聞いた。
思わず飛び跳ねて敬礼。びしいっ。
目が笑ってない顔で微笑み、
「ハドソンを攫った不届き者がドコにいるのかお兄ちゃんに教えてくれる?」
「い、いえっさー!ハドソン夫人のご自宅に地図が入っておりましたっ‼︎」
にぃにが荒い手つきで鳥籠から地図を取り出して、ダンッと机の上で広げる。
地図の中で赤く塗られた場所。
「廃工場か……ここから20分くらいだな。行くぞ」
「了解であります。ハドソン夫人はホノが必ず助け出すから安心してっ!」
いつもなら『ハドソンは独身だ』と訂正が入るのだが、そんな些細なことが気にならないくらいに頭にきてる。
灰荘の弟子よ。
とんでもない人を怒らせたとすぐにでも後悔することだろうさ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
林を進んだ先、草木に埋まっている廃工場が朽ちかけていた。
窓も全て塞がられていて中を確認できないようにされている。
明らかに罠である。
なにかしら訪問者を驚かす仕掛けがあるに違いない。
しかし激オコにぃには(そんなこと知るか!)と言わんばかりに道場破りみたいにガシャンッと扉を開いた。
「にぃに、待って」
置いてかれないように走る。
続いて廃工場に入るとダンッと扉が閉ざされて、真っ暗に。
視界が奪われる。
「穂花大丈夫か?いまそっちに」
「うん。でも転ぶと危ないから気をつけて」
大画面のテレビに電源が付き、映画館のようにその場が照らされた。
にぃにがどこにいるのか確認出来たから、隣へ向かう。
不機嫌そうな顔でテレビの中に映る不気味な人物を睨むにぃに。
『クハハハハッ!ようこそ、我輩ドリトル・チャルマーズの推理小説へ!名探偵とその兄よ』
ひと言で表現するならスチームパンク。
自作のペスト(ペンギンのような)マスクで顔を隠し、多色の布を縫い合わせたスーツ、チェーン、ボルト、歯車。なんだかSF小説から飛び出してきたような人物だ。
「ハドソンを誘拐したのは君か?」
『むむっ?』
「連れ去ったにぃにのカメレオンのことだよっ!」
ドリトルはホノの言葉を聞いてパパンッと手を叩く。
そして大袈裟な手振りとカメラアングルで、
『そうか、彼女はハドソンというのだな?下宿の女主人、良い名前ではないか!……まあ、安心したまえ。まだ息はしている』
にぃにの焦りがこちらまで伝わってくる。
というよりも拳を握るグググッという音と歯ぎしりの音がこちらまで聞こえる。
映像のドリトルは大袈裟な動きで語り、カメラが引き絵になる度にからの水槽に入れられたハドソンが映った。
「……ハドソンになにかしてみろっ!僕は君を許さないからな」
『名探偵のおまけがそう熱くなるな。彼女が生きてお家に帰れるかは君達の頭脳にかかっている』
トントンとペストマスクのおでこを人差し指で叩くドリトル。
こんなのはもう。
「君は推理小説家じゃないのかな?こんなのはただの犯罪だよ。誘拐と監禁!」
藻蘭千尋は『誰も死なない』と言った。
四奈メアも美術館のおじさんもそのルールを守っていたはずである。
カメレオンであろうと命は命。弄んで良いわけがない。
しかしスチームパンクな男は楽しそうに高笑い。
『クハハハッ!おやおや、シラけること言うな名探偵。我輩の推理小説は他の奴らと違い殺人事件ではなく脱出ゲームを得意としているのだ。上質のスリルこそ、脱出ゲームのスパイスであろう?』
得意分野が違うから仕方ない、だから許してくれと。
それで許されたら警察なんていらないんだよ。
ここから出せ!
不気味なハドソン夫人を早く返せ!
それか早く始めやがれってんだいっ!
不本意にも興奮してしまう。
脱出ゲームなんて日常生活の中でそう簡単に出会えるものじゃないから。
そんなホノの感情をにぃにに気付かれてしまったようで、
「はぁ。分かった……ルール説明してくれ」
「にぃに、ごめんなさい。ホノが灰荘の挑戦に乗ったばっかりにハドソン夫人が」
ぽんっと優しくにぃにの左手が頭に添えられた。
「穂花に責任は無い。それに助けてくれるんだろう?名探偵」
「うんっ!楽勝だよっ‼︎ワトスン君」
パチパチパチパチッ。
テレビから聞こえてくるテンポの早い拍手。
『そうだともそうだとも。探偵は屈してはならんぞ!君達は結末を知る権利がある。未解決を許すな。正義は必ず勝つのだと証明しろっ!』
この推理小説家、情緒不安定にも程がある。
●森屋帝一
暗闇にも目が慣れてきた。
この廃工場の中は誰かの手によって改築されているようで、窓のない小さい部屋に僕等兄妹は閉じ込められてしまった。
扉はふたつ。
入ってきた扉を確認したところ完全に鍵がかかっている。
それともうひとつ。
『勘付いていると思うが愛しのハドソンはその扉の奥にいる。開けることが出来れば君達の勝ち、しかし扉を開けるためには暗証番号が必要である』
なるほど、それを解かない限りは出られないからこの四角い部屋内でそのヒントを探せと。
『ついでに暗証番号は円周率だ。3.1415というやつだな』
「「……え?」」
驚きの声が重なった。
犯人が呆気なく謎の答えを教えるなんて大問題だ。
穂花は僕に視線を向けながら、
「灰荘の弟子、君の負けは決まったよ!こっちには数学オタクのにぃにがいるんだからっ‼︎」
その通りだ、数学において僕が間違えるわけがない。
しかしペストマスクをかぶった男から余裕の笑い声が聞こえた気がする。
そしてテレビの映像はハドソンのドアップに。
『ならば安心だ。我輩も心を鬼にして本気になれるというもの』
「「なっ⁉︎」」
ドリトルはハドソンを掴み上げ中身が見えない箱に移し……いや待て。
たぶんこれ、ロウソクと毒ガスを入れてってやつだ。
『名付けるならシュレディンガーのカメレオンというところかね。10分だ、10分過ぎたらこの中に毒薬をたっぷり入れる……ただ、箱の中に有害物が元々入ってる場合もあるな?扉を開くまでが楽しみであろう』
「いい加減にしろっ!……円周率くらい簡単に解ける。だからハドソンには手を出すな!」
『脱出ゲームにはスリルが付き物と言ったであろう?それに君達の勝ちが確定してるのなら問題はあるまい。カメレオンが死ぬ前に扉を開けたまえ』
ふざけるな、たかが円周率。
間違えるわけがない。
ドリトルが映っているテレビを殴りつけてやろうとも考えたが、穂花が服の袖をぐいぐいっと掴み呼んでいる。
「にぃに、これはちょっと面倒臭いかも」
「どうした?……ははーん」
穂花が暗証番号の入力キーを見つけたようでこちらへ持ってきてくれた。
書かれているのは数字では無く。
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猿 虎 犬 鳥
猫 牛 兎 馬
猪 蛇 羊 龍
. Enter
────────────
……確かに、こいつは10分じゃめんどうだ。
『入力キーも見つけたようだな。では追加ルールを伝える。全てのキーを最低1度入力するまでが暗証番号。そして入力中に次の数字を5秒以内に打たなかったり、打ち間違えたら始めからやり直しだ。簡単であろう?』
カチャッ。
タイマーのスイッチが押された。
残り時間10分。
ハドソン〔♀〕
種/エボシカメレオン 大きさ/48cm
飼い主/森屋帝一 名付け親/森屋穂花
環境/大きめの鳥カゴ
餌/コオロギ(カルシウムパウダーをかけた).シルクワーム(時々)
【補足】実のところ嫌っているのは穂花だけではなく両親も少し苦手意識があるようだ。父親の浩二はカメレオンよりも餌用の虫の方が怖くて仕方がないのだとか。