鳥篭
検問近くまでキングに乗って行った。警備の目を掻い潜るなどたやすい仕事だ。入ることは難しくとも出る事はできる。ベンジャミンが把握していないルートもあるからこそだ。キングは毎日城の横の馬小屋にいるわけではない。別の馬でもよかったが、あれは他の馬とは違う。城下の広い馬場を備えた小屋に忍び込み一緒に旅に出た。せめてキングが一緒ならば不安も減ると勝手に考えたが馬車に乗せられ、キングは心無ない鞭を受け山へ駆け入ってしまった。
キングがいないから寂しいと言い訳をしたところで一番足りないものは理解している。ただそれはここに来る前からなくなったものだ。
「趣味が悪いな」
ひとり呟く。高い天窓があるだけの部屋に連れてこられた。その中には文字通り鳥かごがあり、巨大なそれに入れられている。吊られているので中で動くと揺れる。中にあるものはソファと小さい丸テーブルに椅子。それに簡易のトイレがおかれている。家具の類は全て金属製で、下に溶接されている。投げて檻を壊すのには使えない。見た目はとても美しい作りだが、鳥かご鉄の柵は頭は通るが肩以降を通すとなると鋭く磨かれた突起が刺さる構造だ。余程の曲芸者でない限り通れないようになっている。ひざ丈ほどの高さしか浮いていないが、不安定で居心地が悪い。
これが小さく中に小鳥でも入っていれば愛らしいが、本物の人を使った人形遊びのようで気味が悪い。
ソファに腰掛けると一人ため息をつく。流石に留守がばれたころだろう。オオガミに国を任せれば安泰だ。時代は変わる。だから、今更女が王であることに固執する必要はなくなるだろう。
手枷と足枷はここに入れられてから外された。馬車の中でも横になっていたが碌に眠れるわけもない。鉄枠の上に置かれた薄いクッションに横たわり目をつむる。しばらくしてまどろんだころ、大きな水音で目を覚ました。
天窓近くの穴から、大量の水が落ちてきている。ぎょっとした後に理解した。ここは拷問部屋でもある。そして家具が固定されているのは、水の中で浮いて中の人形が怪我をしないようにだ。
じわじわと水が床にたまる。美しい蒼い大理石の床と壁がゆらゆらと揺れる。腰まで来たそれを見ていっそ美しいと思う。頭の中で、恐怖はある。だが、死体でいいならばもっと楽に運べたはずだと冷静に判断する。苦しめて殺すのが目的かもしれない。長く恐怖を与え苦しめて殺す事もできる手法だ。
体が浮いて鳥かごの天井に頭が着くまでの高さになる。そこで、けたたましく音を立てて落ちていた水が止まった。
すぐに水死させずに恐怖を与えるためなのだろう。どこかで冷静に思うことはユマを産んでからでよかったということだ。もし身籠ったままならば流産していても不思議はない。
どれだけそのままだったか。止まったと思った水はその後も細く流れていた。じわじわと息をするスペースが減っている。ジェゼロの子供は湖で泳ぎを習う。水がいかに恐ろしいものかを知り、それよりも恐怖で混乱することが最も危険だと学んでいる。最初はさほど冷たいと感じなかったが、水は体温を奪う。無意識に唇が震えていた。時折口や鼻に水が入るようになってきたが、ゆっくりとした呼吸を心がける。どうせ死ぬならばもがき苦しむ様など見せはしない。助けをこうても喜ばせるだけだ。最後にゆっくりと大きく息を吸い。完全に鳥かごが水中に沈む。肺に残った空気が徐々に減りゆっくりと沈む。天窓から差し込む光と壁の蒼。そこに自分から漏れ出す命の泡がとても美しかった。幼いころに水中から見た太陽を思い出す。泡が混じり美しかった。
最後だというのに、ユマではなくベンジャミンの姿が浮かぶ。今ならば母の気持ちが少しわかる。愛した男の子供だからこそ、辛い。




