王の馬 前
湖の中の孤島は、本来は王族と限られた管理者だけが入れる場だったが、ベンジャミンはオーパーツ管理の関係で特別な許可を受けている。衛生通信機は空に打ち上げた星を使って遠く離れた帝国とも瞬時にやり取りができるものだ。
必要であれば城に入ることはできるが、エラ様の顔を見ることは避けていた。自分ができることはもう傍に仕え支える事ではない。国の役に立つことを、自分にしかできない事を行うことだ。エラ様が決めたことに口出しはできない。だが、自分のこの感情を変えることもできない。
「ベンジャミン。ベンジャミン・ハウス。降りて来なさい」
島を守るシスターが時計塔へ声をかける。見下ろすと小柄な老婆が城の方を指さしていた。正しくはその間にある。
「キング?」
馬が泳げることは知っているが、そう熱くもない日に、それもキングがどうしてと眉根を寄せる。階段を下りながら考えたのはエラ様のことだ。ばかばかしい。馬が泳いだ程度でエラ様に何かあったと思うなど。ただ傍に行きたい名目ではないか。
図々しくも国王しか使えない船着場から上陸した水浸しのキングがこちらを見るなり高く蹄をあげ盛大な地団太を踏み始める。
「どうした。ここにエラ様はいないぞ」
真っ黒い巨大な馬は明確に自分を嫌っている。だが島に来て他のどこへ行くでもなく自分の前から動こうとしない。馬が賢いと言っても畜生でしかない。人ほど複雑な思考などないだろう。
見下したようなため息に近い嘶きを上げた後、それが足を降り、地面に腹をつけ身を屈めた。それに唖然とする自分がいた。殺処分が決まるほど気性の荒いキングはエラ様に見初められ命を助けられた。エラ様がこれに対して高いから屈めと馬鹿みたいに命じたことがある。調教されたわけでもないのに、あれは今と同じようにして身を引くくし、エラ様をその背に乗せようと必死だった。自分を見ただけで殺そうとする馬が何の計略だと思ったが、鞍もつけていないその背に跨る。途端に立ち上がり湖に戻っていく。おかげでびしょ濡れだ。それでもその鬣を強く持ち、泳ぐままに従う。
「何のつもりだ。俺はもう」
国王付きを外されたと、馬に言ってどうなる。いまではこいつの方が自分よりもよほどいい身分だ。エラ様の馬なのだから。
川を渡り切り、そのまま休みもせずに城へ続く急勾配の坂を駆け上がっていく。
「なんだキング。お前ベンジャミンを乗せてたのか」
そんなことを言うホルーを無視してキングが城内まで入ってしまう。乗っているのが自分でなければ兵は止めたかもしれないが、そもそもキングの巨体を生身で止められる人間はいない。国王陛下の部屋の下につくと、垂直に近いほど前足を上げその背からどけとばかりに角度をつける。叩き落される前に飛び降りる。こちらを向くとまた不機嫌に足を鳴らす。
「エラ様に乗っていただきたいなら……」
見上げて執務場の窓が可笑しいことに気付く。




