晩餐 後
思考よりも本能的な判断に従った。
エラ様を追い越し、問答無用でその兵の首に肘を落とす。いきなり殴られるとは思っていなかったのか、素人か、一撃で撃沈する。
エラ様が驚くのを無視して、ドアを開けようとしたが中から鍵がかかっている。ドアを蹴破り、中に入れば女が一人倒れている。執務室へのドアは空いていた。何かが通る。咄嗟に駆け出し、腕を伸ばしていた。白い包みを抱えた何者かが窓を破り飛び降りる。身を乗り出して白い包みを奪い取ろうとする。左腕に巻き込み抱き寄せる事に成功したが、相手に右腕を摑まれ、体重を乗せて引き落とそうとされる。
「ベンジャミンっ」
足が浮いて、しまったと青ざめた時、後ろで足を押えられ留まる事に成功する。
「……っ」
無理を悟ったのか、手を放した相手は帳の下りた中庭に猫のように着地した。
「その者を捕らえろっ!」
声を上げると、兵が対応する。その顛末を見届ける前に、乗り出した身を戻し、エラ様の無事を確認する。
「無事か!?」
「はい」
答えを聞くよりも先にエラ様が執務机の横に駆け寄る。
「ユマっ!」
真っ青な顔で振り返る。それに驚いたのか腕の中で、猫が鳴き声をあげる。包みを開けると、放り投げてしまいかけたが直ぐにエラ様がそれを抱き寄せた。
「………」
ほとんど猫と変わらない重さの赤子だったのかと、今更理解する。
「どうされました」
音を聞きつけ、兵がやってくる。
「廊下の兵を拘束しろ。偽物だ。何者かが侵入していた。窓から逃げた何としてでも捕まえろ。侍女の介抱後話を聞き報告を。ハザキを至急ここへ」
兵への指示を済ませ、陛下の許へ戻る。
「お怪我などは」
包みを解き、ユマ・ジェゼロの確認をするエラ様に問う。
「……誘拐目的か? 殺すつもりだったのか?」
エラ様が声を荒らげる。泣き声に負けない声に一層泣き声が大きくなる。未だに真っ青な顔をされ、手が震えている。国を追われた時ですらここまで怯えてなどはいなかった。
自分は捨て子だ。深層では、自分よりも子を思う気持ちはあり得ないと思っていた。だが、目の前のそれは、明らかだった。
自分を産んだ者とエラ様は違う。
「エラ様、強い負荷をかけてしまった恐れがあります。まさかユマ様だとは思わず、手を出してしまいました」
頭を垂れるとエラ様の手が伸びる。
「いや、よくやった。お前がいなければ、今頃……」
縋るように肩に乗ったその手が震えている。
「エラ様っ、どうされたんですかっ」
駆け入ってきたのはエユ・バジー議会院長だ。
「……何者かがユマを連れて行こうとした」
「そんなっ」
ショックを受けた様子のエユ議会院長がこちらを見る。
「警備の臨時指示を任せます。議会院を招集しますから、あなたはエラ様とユマ様から片時も離れてはなりません」
「わかりました」
頷く。エユ様が去る前に、兵が駆け込んでくる。
「ハザキ外相が意識不明です」
「襲われたのか?」
「わかりません、お部屋で倒れておりました。外傷はなく目が覚めません」
多少歳とはいえ、ハザキが負けるほどの手練れがいればこんな下手な手は打つまい。
「ホルーに娘とハザキ婦人を呼びに行かせろ。至急だと伝えろ」
「はっ」
出て行くのを見送る。ハザキよりも夫人の方が助産師として妊婦と赤子には詳しい。難ありの娘はあれで医師としての腕だけはいい。
エユ様が部屋を出てから、警備兵に細かく指示をする。その後で、改めてエラ様の許へ戻る。
「……泣き止まないっ」
腕の中で泣くユマ様を見てエラ様も今にも泣きそうな顔で訴える。
「こちらに、陛下に何か暖かい飲み物を」
ユマ様を受け取り、昔を思い出してあやす。ハウスでは肥立ちの悪い母親と子供を泊めることも間々あった。シスターは常に足りず、手伝わされて子供の世話は言葉よりも先に達者になった。
腕の中に、弱々しい生き物がいる。それがエラ様にとって大事な物であり、自分以外の男の血が入っている。腕の中の子供は、とても複雑な生き物だ。だが、あのまま落としてしまったらと思うと、手が震える。
適度な揺れで、ユマ様が泣き止む。こちらを晴れた日のジェゼロ湖と同じ色をした目が見上げていた。子供は自然に笑う。それが親相手でなくてもだ。だが、その笑顔はあまりにも愛くるしい。
この子が自分の子ならば、どれだけ幸せだったか。それでも、笑い返していた。大丈夫だ、自分はまだエラ様の傍にいられる。