リセの危惧 後
促されて、執務室のソファにかけた。向かいにエラ様が腰掛ける。ベンジャミン様はエラ様から少し離れた場で待機していた。
「あまり、いい記憶ではなさそうだったから、これまでの事を聞いてこなかったが、どうして国を出ることになった? 親の保護下から完全に離れるにはまだ早かっただろう」
それほどエラ様とは年が離れていないが、風格が違うと感じる。下手に隠してしまうとよくない。少なくとも、エラ様に打ち明けることが一番安全に思えた。
「私の村は、ローヴィニエ国に焼かれました。家族も失って……近くの村でも残党狩りと称して家探しがされていたので、少しでも離れようと一人、旅を。資金が尽きて、住み込みで何とか雇ってもらった場で、給与どころか宿泊費だと法外な値段を請求されて、しばらく奴隷のように働かされていたところを双子のお二人と、お二人の手伝いをしていた荷馬車の夫婦が助けてくれました」
「他国との戦事か?」
「……違うと、思います」
続きを話すか酷く迷う。
緑の双方が、まっすぐに見ていた。家族も、歳の離れた弟もみんな殺された。自分も見つかれば殺される。でも逃げる場所も頼る親戚もいなかった。いや、一つだけ村の伝説を信じれば頼る場所はあると思った。けれど、ここに来る途中、ジェゼロ国が一時偽の王に支配されていたと聞いた。だから、自分はもう誰にも助けを求められないし、唯の哀れな女であろうと口を閉ざそうと思った。
「話すのがまだ辛いならば、無理にとは言わない」
この人は自分に声を荒げる事はなかった。中々ユマ様が泣き止まなくても、カップを割ってしまった時も。些細な事で権力者は怒るモノだと思っていた。
「……私の村は遠い異国の地から追い出された王族がその地に住み着き出来たと言い伝えられていました」
意を決して口にする。それから慌てて立ち上がり、低い机越しにユマ様をエラ様に渡す。受け取りながら、いつの間にか眠ったユマ様を一度見下ろし不思議そうにこちらを見た。大事なご子息を自分が抱いたままする話ではない。人質を取っているようなものだと思った。座りなおしてから口を開く。
「村を作ったのはリラ・ジェゼロと言う女性です」
それを聞いて、エラ様は小さく小首を傾げた。目端に入ったベンジャミン様の表情は大きく変わらないが、それが怖い。
「それで、ジェゼロを目指して来たか」
「はい……」
「話してくれたと言うことは、私はお眼鏡にかなったと思ってよいのか?」
冗談交じりにエラ様が言う。
「すぐに、申し出るべきだったと思います。ですが、私の村はジェゼロ家の分家の末裔であるとわかった上で滅ぼされたと思っています。ここにきて、エラ様の災難も耳にしました。エラ様にお会いする前は、もしかしたら、国の安定の為に他国にいる親族をすべて粛清しているのではないかとすら考えてしまいました」
ジェゼロに入ってから、城に行くよう言われたとき、場合によっては二度と戻れないと思った。国の王となれば、自分などたやすく擦り潰せる存在だ。
「もっと早く、聞いておくべきだったな。故郷を追われる辛さを少しは知っているつもりだ。それでも、なくなる辛さまでは知らない」
気を悪くするでもなく立ち上がるとすっと横にやってきて座る。
「すまないが親類に会った喜びよりを分かつのは後にして、ローヴィニエについて知っている事を教えてもらえるか。それに、リラ・ジェゼロが作ったリセの故郷についても聞いてみたい」
もしも、この王にもあの女王の様な心根があるのならば、もう何も信じることはできない。けれど、今目の前にいる小さい子供の母親を自分は信頼したいと思っていた。復讐を代わりに果たしてもらうためではない。そんなことをしても誰も帰ってこない。けれど、これ以上自分の様な人を作ってほしくない。ずっと蓋をして沈めたものを心の底から引き上げる。自分は、誰かに話したかったのだ。あの日の事を。