子守り
国王付きの帰還と言うよりも、騎士の称号を持つ男が大国での任から無事帰還した。そういう扱いを今のベンジャミン・ハウスは受けている。
国王付きなんぞをやらせていていいものかと思いもするが、ベンジャミンが傍にいるのが当たり前であったし、やはりあれがいないと仕事の進みが悪いと実感もしている。議会院も利害を考えて外せとは言ってこない。
旧文明の遺産に対しても今回の帝国行きで多くを学んできているだろう。それを含めた仕事もある。
「会いに行っては迷惑だろうかな?」
せっせと食事を摂るユマに話しかける。寝る飲む泣くが仕事とはなんとも羨ましい生活だ。あれだけ長く腹で育ててやったというのに、平均よりも小さく生まれた。産んだときには自分が出血過多で死にかけたので、落ち着いてからベンジャミンが戻ってくれてよかった。妙な心配をさせてはあれの寿命が縮みかねない。
眉は父親に似ている気がする。髪の毛は細く少し茶色いか。瞳は緑だが青みが強い。元気に育ってくれればそれでいいと今は思える。なんとも不思議な生き物だ。
昨日はまともに見せてやることもできなかった。夕食の後にでも自慢をしてやろう。ユマを見ていれば、怒りも消えるに違いない。それに、少なくとも女児を産まねばならないのだから、その時に身重の世話はできる。
「よし……」
飯が済んで寝た赤子をそっとベッドに寝かす。このままいい子で寝ていてくれればもう少し書類に目を通せる。
椅子に戻った矢先、泣き声が上がる。ユマはとてもかわいいが、ため息が出た。急ぎの仕事があればシスターに頼めるだけまだよい環境だが、夜中にも何度も起こされる。寝不足もあって体調はまた悪化し始めている。
ノックがあった後、返事を返すとシスター・ハシィが入ってくる。
「ベンジャミン・ハウスが報告書を届けに来ました。少しの間、見ておきましょう」
書類を執務机に置くと、ハシィが代わりにユマを抱き上げる。
「ベンジャミンは外か?」
「もう下がりました。他に事務手続きがあるとかで」
「そうか……」
体調が戻ったのならば、会っていってもよかっただろう。別に、晩餐まで会ってはならぬ決まりではないのだ。
「あれも、少しは弁えることを知ったようです」
「……」
ハシィが小さく小言を唱える。
子の面倒を見るのは上手いが、ハウスの子に対して誰よりも手厳しい。特にベンジャミンに対しては侮蔑的と言える。ハザキやエユの厳しさではない。
「乳母を雇って母乳を止めれば次の子を早く授かれましょう。次は相性のいい閨を選ばれた方がよろしいですよ」
世話になっているが流石に耳を疑った。それ以上の事をハシィは続ける。
「甥御がまだ結婚をしていませんので、よろしければエユ様にお話をしておきますが? 平穏ではありますがとても優秀にございます」
「ユマを」
手を伸ばし、ぐずったままのユマを自分の腕の中に引き戻す。
「シスター・ハシィ、私が未だにハウスに預けられていた子供だと勘違いをしているようだ。私が何者か、私に対して閨の話を持ち出すことがどういうことか、理解していないようだ」
年端のいかない子供を見るように一瞬見下した目を見せた。王として敬えとは言わない。人として言ってはならぬ事まで口にした。
「これは、大変に失礼をしました」
深々と頭を垂れて、シスター・ハシィは部屋を出て行く。子守りを失ったも同然だった。今夜、そのまま連れて行くしかないか。エユは、才女で美人だが子供の世話だけは全く駄目だ。他に頼れる当てもない。
「エラ様、ご昼食をお持ちしました。けど……ハシィさんの分はどうしましょう」
「出て行ったか?」
「ええ、まーあ怒った顔で。おもったより早かったですねぇ。あれであの人から自分がやりますって言い出したんですよ。怒って投げ出すなって、若いシスターを何時間も説教していたっていうのに。歳とってからいっそうですね」
入ってきたのは城の台所番たるふくよかな婦人だ。確か名はヒラソルだったか。女の噂話は末恐ろしい。自分も知らぬ話をホイホイと言う。自分たちの事もどんな風に言われている事か。まあ、国王など噂話の種を提供するための存在だが。
「まあ、世の母親は世話役などなく育てているのだから仕方ない」
「いやですよ、王様やるのも大変なんですから。私達だって、昔は義理の母に預けたりもしてましたからね。頑張り過ぎちゃ大変ですから。あっ、新しいお世話役が決まるまで、私達でたまに手伝いましょうか。まだ専属のメイドも選ばれてませんし、大変でしょう」
前に自分に付いていたメイドはもう国には戻ってこれない。それが寂しくてならないこと、また、何かあったらと思うと、決めかねていた。必要であることはわかっている。
「ああ……そうだな」
国としての問題だけでなく自分の生活にも問題が出ている。ユマが生まれたからだけではない話だ。