議会院長の気苦労
エラ様の体にどうしても触れたくなった。いや、積もり積もった欲求の結果であって突発的なことではない。体を労わるふりをすれば、エラ様は何の警戒もされることはなかった。
どこまでも卑しい。自分は本来ならばその尊き髪の毛一本にすら触れる権利を持っていないというのに。
厳しい顔でやってきたエユ・バジーに見られなかったのはせめてもの救いだった。いや、もし見られていても、今咎められることはなかったかもしれない。
「つまり、コモ・バジーが私を追って国を出て行方不明になっていたが、ローヴィニエの親族の家に行きついて、その婦人からの使いが直ぐにコモ・バジーを返すように言っている上に、コモは幼くして亡くなった息子だと思っているのだな。さらに、私と恋仲で、私の子までも権利があるから寄越せと言ってきているのだな?」
「あくまでも、まずは議会院長としてお話を、昔にジェゼロへ亡命したバジー家の一部はローヴィニエに戻り、その後正式に公爵家として認定されました。かなりの権力を保持していたようです。現在のエリザ・バジー婦人には跡目がなく、バジーの血筋であった夫は既に他界。代行として公爵の地位を継いでいますが、彼女が死亡した場合は公爵家は二つに絞られてしまい、内乱の可能性が高くなる。そのため、バジー公爵家を支持するほかの貴族から、コモ・バジーだけでも養子にと懇願の手紙が別途ついておりました。本人の意思で故郷へ戻るだけでしたらそれほど大ごととは考えておりませんでした。次いで、ジェゼロに忠誠を尽くすバジー家のエユ・バジーとして、あまりにも無礼な手紙を陛下にお渡ししなければならなかったこの失態を深く謝罪させていただきます。妄言であっても言ってはならぬ愚行、コモ・バジーを処刑、並びにエユ・バジーの議会院長解任と議会院追放が妥当だと思っております」
背中が見えるほど深く頭を下げる。エラ様は呆れてはいるものの怒りは見えない。
「いやはや、可笑しな奴だとは思っていたが、私よりも余程愉快な旅をしてきたようだな。私の事よりもアレの体験を史に記した方が受けがよさそうだ」
コモ・バジーは現在牢に入れられている。ハザキの独断で反省させるためと可笑しな老婆の命令に従いユマ様の誘拐のような事が万が一にもないように保護の意味でだ。
「まさか、ユマの誘拐がその公爵夫人の策ではあるまいな?」
口調は変わらないが、それだけは厳しい目で問われる。
「今朝方、検問所に来たローヴィニエの代表貴族から書簡を受け取り、早馬がつい数刻前に来たところです。完全なる否定は致しませんが、攫うならばユマ様よりもコモかと。多少歳はいっていますが、殿方は女性と違い子孫を残す期限が長いので、国に連れ帰り妻を与えた方が安全に子孫を得られます」
「まあ、王の部屋から子を盗む危険性は武道の心得もない非力な中年男を攫うより厄介だろうな。それに、国に着く前なら簡単に連れ戻せただろう」
皮肉気に小さく笑う。
「オオガミは、貴族のいる検問所へ行かれたのですか?」
世間話ならばまだしも、国政のかかわる話にベンジャミン・ハウスは口を出さぬが、疑問に思いそれだけ問う。途中で件のコモを拾ってきたのはオオガミだ。
「オオガミが?」
「ちょうど下でキングを借りてどこかへ行っていたな」
「いえ、この事はシューセイ・ハザキにはエラ様が留守でしたの相談をしましたが、私からは特には。彼がオオガミに話したとしても、態々行く理由は思い当たりませんし、そこまで出しゃばりはしないかと」
エラ様が一度こちらを見る。理由がわからず小さく横に首を振る。
「本日、オオガミが誘拐時捕らえた男を尋問しに行ったはずですが、その関係では?」
場合によっては拷問になるだろうからと、エラ様に外の空気を吸わせに行った。ハザキにも報告はしている。
閉ざしていた窓を風が叩く。まるでタイミングでも計ったように鷹が窓辺に留まった。オオガミが飼っていた大鷹だ。窓を開けると、足に結わえられた筒から紙を取り出す。頭を撫でてやれば目を細め、すぐに飛び去った。
「オオガミか?」
内容を検めてから、エラ様にお渡しする。
「……オオガミは狩りに出ていたようだ」
一読して、エラ様がそれをエユ様に渡す。
「議会院長としての謝罪事が増えました」
とても短く、トワス、逃亡、確保、移送中と単語がつづられていた。ジェゼロ家の動物に好かれる血はエラ様も継いでいるが、長い間森で暮らし、家族のようにそれらと暮らしていただけにオオガミは動物に愛され過ぎているとすら言っていい。
「手放しに信頼できるものは多くない。コモの代わりにローヴィニエに行きたいのでないなら、その任を全うしてくれる方が、私はありがたい」
エラ様がエユ様に対して慰めの言葉をかけられる。エユ様自身が犯した罪ではないというのに、役職を持てば下の面倒まで背負わされる。だから、自分は唯の国王付きでいいとも思う。エラ様の安全に直接かかわる事は自分で面倒を見るが、それは失態などできないからだ。他の事は、荷物として背負いたくはない。