散歩にいこう 後
「ベンジャミン。ユマを借りるぞ」
「……エラ様、キングは男嫌いですのでお気をつけて、賢いと言われていても、所詮は畜生です」
「そんなことばかり言っているから、特に嫌われるのだぞ」
ユマ様を抱きかかえて無邪気にエラ様が言う。こちらの心配など気にもせず、馬にユマ様を見せに行く。エラ様にとって、キングは昔なじみの友人のようなものなのだろう。
「エラ様は母親になられても少年のままみたいだな」
少女というよりも、少年の方が確かにふさわしいのかもしれない。サウラ様と同じく、子育てにそれほど向いているとは思っていない。何よりも、普通の母よりもエラ様が抱える責務は大きい。世の王が男である事が多い理由も理解ができる。
「お前は、あんま気ぃ張ってないで、少しは肩の力抜けよ。また倒れでもしたら国の損失ってやつだろう」
「五月蝿い」
短く言い返す。昔からの知り合いだ。いくらか譲れば友人とも言っていい相手ではある。それでも、触れられたくはない話だ。ずっとここにいたこれならば、ユマ様の親を知っているのか。詰問しそうになる自分もいる。
鬣を引っ張られても怒ることなくでれでれとしているキングを見て反吐が出る。あれは気性が荒く、殺処分対象にすらなっていた。それをエラ様が気に入ったからと助かった。馬にも各々個性もあれば頭のよさや身体能力の違いもある。あれは気に入った者しか背に乗せない。だが頭はよくエラ様にはとても忠実だ。ほかの馬よりも立派な体をして体力もある。名馬と呼ばれるだけはあるが、ベンジャミンとしては駄馬と紙一重だ。
「また、来るからな。ちゃんといい子にしているのだぞ?」
エラ様が顔を寄せて大きな馬の頬を撫でる。馬にすら嫉妬する自分を自覚する。エラ様が離れてから、長いまつ毛の下の目がこちらを見て鼻で笑うようなしぐさを見せた。
「エラ様、毛が付いていますので、手を」
馬場内の水場でエラ様が手を洗った後、ユマ様の手も洗わせて清める。
「犯人が捕まれば、乗って少し遠出もできるというのにな」
ここまで厳重な警備は過去を振り返ってもそうはない。それだけ平和な国だった。国民が王制に対して不満を抱えることも少なかった。今は国民ではなく外部にもよく注意をしなくてはならない。
湖畔に降りてから、乳母車にユマ様を乗せる。それをエラ様ご自身で押しながら、時折立ち止まって他愛ない事を語り掛ける。警備は前に一人、後ろに二人、それに周辺探査に一人。エラ様のすぐ近くには自分だけがいる。あまり近くに兵がいては気が休まらないだろうという配慮と、あまりに近くで何人もが守っては、自分が陛下を守り辛いからだ。
湖の中心には一つ小島が見える。ジェゼロにおいて最も神聖な土地だ。広い湖には点々と船が見える。漁に出ているそれらの船もあの島には近づく事は許されていない。
あそこには、ジェゼロの王しか入れない神聖な場があった。内密事だがそこに入る許可を頂いている。それよりも、自分は別の権利が欲しかった。
「今年も暑いな」
エラ様が木陰に入ると振り返って言う。
木漏れ日の下にいるエラ様も美しかった。