意思をこの口で
エピローグ
別に辞めてやると意気込んでいたわけではない。
秋の祭りの一か月後、国民投票が行われた。王の存続についてだ。
「ジェーム帝国とナサナ国から結果に対して祝いが届いています」
戻ってきたベンジャミンが正式に届いた書を差し出す。
ナサナ国からは、国民投票に先立って他国に口出しはしないが、やはり頭の可笑しな女の子供だなと愚痴の書が来た。同じ王制の国としては国民が同様の国民投票を求めかねない。そうなれば中々に厄介だったろう。秋の祭りでは他所にまで目が向いていなかったのは確かだ。
「ここまで、圧勝してしまっては辞める口実がなくなってしまうではないか」
三日前の休日に投票は行われた。投票率は一部の病人などを除けばほぼ全員で、九割以上が存続を賛成した。
「仕方ありません。ジェゼロにとってジェゼロ王は神の使いであり家族でもあります。打算的に考えれば、ジェーム帝国の異常な後ろ盾とナサナ王との交友などを鑑みれば、外交としてもいていただいた方が有利です。別に暴君でもなく、元々権限も多くない事を考えれば、国費を使っても損はないと計算できない頭の悪い国民が少なかったのはよい知らせです」
平時と変わらない仕事をテーブルに広げベンジャミンが言う。
エユたちからは理由を問われたが、ベンジャミンはただ一緒にいてくれると言ってくれた。もしも、不要論が強かったとしても、これだけは変わらないだろう。
「……私にとって。国民の意見はどうでもいい事です。エラ様が違う人生を歩みたいとお考えなら、我慢は不要ですよ」
こちらの考えを見透かしたようにベンジャミンが優しく言う。
「そうは言っても、お前の……ベンジャミンとしての意見はどうなのだ?」
少し意地わるい口調で返す。
「この生活を私は案外気に入っています。エラ様の為だけに尽力でき、何よりもお傍にいられます。他の生活となれば、普段の生活の雑務や生活費を稼ぐためにエラ様から離れる時間が増えますので」
「どちらも大して変わらん気がするぞ?」
四六時中一緒にいるわけではない。兵への指示や他の雑務でよく席を外す。ベンジャミンを国王付きから外した時に来てくれた手伝いは継続している。王の仕事の効率化と軽減はしていても、結局ベンジャミンの仕事量は大して変わらない。
「私は、あなたがいるならどこでも構いません。エラ様が少しでもよく暮らせるように尽力するまでですから」
いつもの涼やかな笑顔で言われる。
城に戻ってから、これが距離感を違える事は滅多になかった。誰もいない執務室で、たまに口づけを交わす程度だ。体調を気遣ってのことかもしれないが、主従である前に、その……好き合っている事を大事にして欲しい自分がいる。
「どうかされましたか?」
執務机の前にあるテーブルで雑務をこなしていたベンジャミンが立ち上がり、近づいて顔を覗き込む。
「……いや……その」
言葉足らずでお互いを傷つけた。ベンジャミンはこちらの異変に機敏に察知しても、全ては理解できない。それに、ベンジャミンが自惚れられるほど、自分はベンジャミンを甘やかせていない。
「……オオガミが言っていたドアだが、開ける時は……事前に言った方が、よいか?」
自分の寝所には隠し扉や抜け道が隠されている。オオガミが、ベンジャミンが眠る隣の部屋へ続くドアがあると言った。ベンジャミンがいない時にそっと確かめたが、確かに、人が一人何とか通れる小さなドアが開いた。ベンジャミンの部屋から外へ抜けられる抜け道があるから、本来の目的はそこへ行くための物だろう。
「………」
ベンジャミンの沈黙が長いので溜まらず見上げる。
「……私から、求めてもいいと言われましたが、その……」
手で口元を覆っていても、隠れきれていない頬が赤い。普段すましているだけに珍しい。
「ご期待に添えているのかが、わかりかねますので……」
そっぽを向いてしまう。
立ち上がって、その前へ立つ。手を掴んで顔を隠す手をどけて、啄ばむような口づけをする。
「そもそも、夜まで待つ必要はないな」
リセは日暮れには弟のところへ返してやらねばならない。それに今日の仕事は急ぎのものではない。
太陽が三つになったと、ジェゼロの初代王が記していた。二つの異質な太陽が何を指すのかはわかる。その歴史の中で、自分の先祖はずっと約束を守ってきた。これからは、違った形で国を守る者にならなければならない。でも、その前に、自分は家族を大切にしたい。血の繋がる者だけでなく、唯一人、血の繋がりのない相手も。
まだ全てを自分の中で飲み下せていない。けれど、自分の芯は変わらない。
アーバンの瞳に自分が映る。この目に見られていれば自分はちゃんと立っていられる。
「お前だけのエラにはなり損ねたが、それまでは闇閨で我慢してれ」
普通の家族にはなってやれない。それでも、私はこれがいい。




