四月一日のはなし。
「おはようございます。相馬さん」
「……おはよう、乃安。あれ、陽菜は?」
「……どなたですか? その方は……」
乃安がきょとんと首を傾げる。
「えっ……? 乃安、どうしたよ」
「相馬さんこそ。お友達ですか? 今日いらっしゃる予定は伺っておりませんが……今日は旦那様がご帰宅の予定です」
「そういえば、乃安、その格好……」
「仕事着ですよ」
メイド服に身を包んだ乃安。おかしい。
階段を駆け上がる。陽菜の部屋。開けるけど、そこにあるのは乃安の荷物だけで。
「これは……」
カレンダーの日付は2017年四月一日で。
「何が起きているんだ……」
「それはこっちの台詞だ。自分の顔を真正面から見る日が来るとはな」
振り返る。そこに僕がいた。いや、正確には自分の顔を実際に見たことないけど、でも、僕がいた。としか言わざるおえない。
リビングにて、僕と僕は乃安の淹れてくれたお茶をすする。
お互いそこそこ傷だらけである。まさか自分と殴り合いして圧倒する日が来るとは……。けど良い一発もらっちまった。
「ったく、急に殴りやがって」
「悪い」
ついやってしまった……。カッとなったってやつだ。
「つまり、えっと……相馬先輩は朝野陽菜という人物がこの家にいるはずだと」
「まぁ、そんなところ」
「そして、その人と恋人関係にあったはずだと」
「そうだね」
「朝野陽菜……」
ぼそっと、呟くもう一人の自分。自分の声って端から聞くと実感できないものだな。こんな声してるんだ。
「相馬さん、御存じなのですか?」
「あぁ。従姉妹の名前だ」
「従姉妹……」
「年に一回くらい会う。そういえば乃安に話した事無かったね。今はじいちゃんの旅館で叔母さんと一緒に手伝いながら高校通ってるよ。乃安も今年の夏休みに会うと思うよ」
「えぇと……」
考えてみる。いや、考えるまでもない。
……ここはいわゆる平行世界だろう。平行世界の自分と会うパターンとか聞いたこと、あるな。そういう作品もある。
自分もそこそこ色んな本とか読むから、普通の作品ならあるような、答えに辿り着くまでの紆余曲折を大幅に省略して察してしまったけど、はぁ。
いや、ここまでヒントをポンポン出されて察しない方がおかしい。
でもどの作品も、帰る条件とかあるんだよな。
もう一人の自分も同じ結論に行きついているのだろう。めんどくさそうに僕の方に向き直る。
「さて、それじゃあ平行世界の僕は、直前まで何してた? 僕と会う直前まで」
「乃安に会った。その前は寝てた」
「寝る前は?」
「陽菜と話してた。んで、陽菜が部屋を出て、そして寝た」
「一緒に住んでるのか。……僕結構苦手なんだけど、平行世界ではそうでもないのか? あの鉄面皮」
「もう一回やっとくか?」
手をにぎにぎして庭を親指で指す。
「その場合では無かろうよ。母さんもそろそろ帰ってくる。早めに解決したい」
「……母さん?」
「あぁ……」
唇を結ぶ。
なんだ、これ。
なんだよこれ。
「この平行世界の人生を歩んでも、僕はそこまで変わらないんだな」
「どういう意味だ」
繰り出した拳は見覚えのある手に捕まれた。
「……相馬さんが、もう一人……」
「乃安、帰ってたんだ。……って、なんでメイド服? じいちゃんとの料理修行はどう?」
「料理修行ですか……?」
「つまり、君は乃安と付き合っている大学生の日暮相馬」
「うん。莉々はこの世界ではどうしてる?」
「元気にしてるよ。さっきまで一緒にゲームしてた」
「えっ、まじ?」
「今、あっ、もどってきた」
「そうちゃん。莉々のノーパスどこ置いたっけ。って。そうちゃん増えてる? マジ? 面白い……」
棘を感じない君島さん。うそ、だろ……。
もう一人の、恐らく別の世界から来た僕も同じことに驚いているように見える。
とりあえず、君島さんに今の状況を説明する。
「なぁ、この手のパターンってさ」
「あぁ。あれか」
「なるほど。考える事は同じか」
「……あんたら同じ日暮相馬なら同じ考えに行きつくだろうさ。まぁ、莉々も同じ感想たけどさ」
「えっ、なに?」
「平行世界もの、時間遡行ものによくあるのは、同じ時間、同じ世界には同一人物は一人しか存在できないってやつ。他は世界の染み的なものとして消去されるっていうあれ」
「えぇ?! いや、でも、まだ……」
「この世界のそうちゃんが一番有利と考えるのが普通だけど……でも、どうだろう……って、もう一人……?」
「な、なにこれ……」
僕がまた増えた。
「なんで世界事に付き合っている相手がちがうのかな?」
この世界の日暮相馬の呆れた様子。
「相馬さん、他の世界の先輩はこんなにも立派に青春している様子ですよ」
「僕も青春してるから」
「後輩を家に呼ぶのは、確かに青春ですね……聞いてくださいよ別の世界の相馬さん。こちらの相馬さん、彼女は作る気が無いの一点張りで……」
「まぁ、僕もそう思ってた時期あったし。後の二人は……って、以下同文って感じか」
とりあえずそれぞれの日暮相馬の情報を共有する。夏樹と付き合う……確かに魅力的な女性ではあるけど。
「しかし。私と先輩が付き合う可能性もあったのですね~。なんか嬉しいです」
「ふん」
目の前に三つ同じ顔が並んでいる。
そしてそのうちの一人。
この平行世界の日暮相馬は、僕が失敗したと思ってきたことを、すべて成功させてきた。そう考える。
他の二人は、どうなのだろう。ほとんど僕と変わらない人生を歩んできた。なんて思っている。そんな雰囲気がある。
「それでもメイドは雇うんだな」
「あぁ。乃安は去年の春に来た。母さんは体が弱いからって、それは知ってるか」
「母さんなら……」
「おい」
鋭い声に諫められる。こうも同じ顔だと、誰がどういう世界から来たのかわからなくなる。
今ので確信した。今対面してる中で、この世界以外は、同じなんだろう。同じところで、躓いてきたのだろう。
「なんで乃安と付き合う事にしたんだ」
思いついたことを、聞いてみることにした。乃安と付き合っている日暮相馬に。
「あ、それ私も聞きたいです」
「乃安は……これ話して良いのかな? ちょっとうん。詳しい事は一応本人の前じゃ言えないけど。でも、必要としてもらえたから」
「何があったんだ一体……?」
訝し気なこの世界の日暮相馬。確かに、いや、言い辛いか。恋人になったきっかけなんて。
「それよりも夏樹と付き合う事になった理由聞きたいな」
「あぁ。えっと」
「胸に釣られた? とかですかね」
「それ乃安が言う?」
「私は標準です」
「莉々に喧嘩売ってる?」
さっきまででは考えられないような和やかな笑い声。
「夏樹は、僕を必要としてくれたからさ。そこにいる僕と一緒だ。陽菜と付き合ってるていう僕は?」
「……僕には陽菜が必要だから」
何を思ったのだろう。いや、考える事はきっと同じだ。四人、立ち上がる。
靴がなぜか四足同じものが並んでいた。なんでだろう。まぁ良いや。
「弱い自分だな」
「必要にされてるとか、傲慢だな」
「何となくわかったよ。君らに負ける気がしない。黙って消えてくれ」
「調子に乗ってんじゃねーよ」
癖はそんなに変わらないみたいで、一斉に踏み切る。そして僕ら四人は宙に舞っていた。スーツ姿の……父さんがやったらしい。なら納得だ。
「何だこの状況?」
「そうね、なんで息子が四人に増えているのでしょう?」
「叔母様。相馬君は四つ子だったのですか?」
「それも悪くないわね。兄弟喧嘩も微笑ましい」
「相馬が兄妹喧嘩は洒落にならないから勘弁してくれ。止めるのが大変だ」
「そのわりにはあっさり止めてましたね」
「何で、陽菜と父さんと母さんが?」
「言って無かったか? 春休みだからしばらくこっちに泊めるって」
「……あっ」
この世界の僕が間抜けな声を上げた。
「そうですか。なるほど、平行世界。難儀な話ですね……。私と恋仲になる相馬君があなたですか。どうですか? そちらの私とそんなに変わらないですか?」
「まぁ。そんなに」
安心すると同時に違和感である。なんか、あっちの陽菜よりさらに女の子女の子しているように見えて。頭の方とかはあちらと同じで良さそうだ。
でも、鉄面皮と言ってたけど、そうでもない。今も薄くではあるが微笑んでいる。陽菜の感情の薄さはどの世界でもやはり生来の性質のようだ。それがメイドの責任で強化されたとかそんな感じ?
でも鉄面皮って程ではない節穴かこの世界の僕は。
いや、ほんのり顔が赤い。なるほど、変に意識してるとか、そんな感じか。じゃあこちらの世界の普段とは違うのか……。うむわからない。
「あっちの世界の陽菜も、この世界の陽菜も、可愛いと思うよ」
「なっ、え、えっと、ありがとう、ございます」
尻すぼみになる言葉。なるほど、メイドとして鍛え上げられていない陽菜は、照れ屋なのか……。
「ありがとうね。乃安ちゃん。掃除までしてくれて」
「仕事ですから」
台所から出てくる乃安と母さん。
最初からメイドにならない。従姉妹としての陽菜。
「そうちゃん、どうかな? このゲーム。凄くない?」
「面白そうだ。やってみて良い?」
「うん」
仲違いしていない、莉々。
この世界は、僕の感じてきた後悔が何一つない。
しかし、日暮家の面々はこの状況をあっさり受け入れるって、恐ろしい。
「ご飯食べましょご飯。お昼ご飯-」
「そのわりには随分豪勢だね、母さん」
「まぁまぁ。高校生男子が四人もいればあっという間でしょ」
確かに豪勢だ。チキンステーキに山盛りのカルビ。冷しゃぶ。牛豚鳥の揃い踏みだ。
「ふんふーん」
呑気な母と胃薬を探し初める父さん。
幸せそうである。何となく気まずくて部屋の隅に立ってしまう僕が三人。
「ほら、あなた達も食べましょうよ」
「あっ、いや」
「もったいないから食べて」
「はい」
母の圧という物か。初めて感じた。
「いただきます」
……あっ、この卵焼き……。僕の知っている味だ。
「どう?」
「美味しいです」
「母親に敬語何て……礼儀正しいのね、別の世界の私の子どもは」
柔らかく微笑む母さん。実感が無いのは仕方ないか。って思える。
陽菜がこちらをチラチラ見てるのも何だか、元の世界の陽菜とはまた違う女の子らしさを感じた。
まだ僕らは帰る方法を考えていない。話し合ってもいない。
もし、僕以外のここにいる日暮相馬を、排除できれば。この世界の日暮相馬は、僕になるのだろうか。
陽菜と従姉妹として時たまあって、ちょっとしたことで照れるのを見たくてからかって。乃安とあちらの世界のように接して。莉々が楽しそうに見せて来る自作のゲームで遊んで。母さんと、どういう過ごし方すれば良いかわからないけど、親子として過ごして。
頑張れば、自分を倒しきることくらい、できる。
後悔の無い世界が、目の前に広がっている。
「僕は良いよ。僕は元の世界に戻りたいと思っている」
乃安と恋人になる世界の僕が言った。
「僕にとって、ここは一つ惜しい所があるから。だから、降りる。迷っているんだろ」
「この世界の僕に聞きたいことがあるんだけど。夏樹って、お兄さんいる?」
「……いや、聞いたこと無いけど、そっちの世界にはいるのか?」
「いや。聞いただけだ。うん、僕も降りよう」
「僕は……」
わからない。なんで、僕だけ迷っているんだ。
そして彼らは、この世界の日暮相馬の座は興味ないとして、帰る目星はあるのか。
「同じ人の筈なのに、それぞれ違う感じするのは、不思議ですね」
ぽつりと、陽菜が呟いた。
「それぞれ違う人生を歩んできたというのは、そういう事なのでしょう」
日暮相馬達が行っている会話は、きっと半分も理解されない。僕だってわかっていない。同じ人でも、それでも、歩んできた道が違えば、別人なんだ。
その中で。誰もわかっていない中で、母さんはスッと立ち上がった。
「ねぇ、相馬達。ちゃんと頑張ってる? 後悔してない?」
「大丈夫」
「ちゃんと頑張ってる」
僕に目が向いた。
この世界でも、陽菜に教えてもらうとは。
僕では。いや、日暮相馬ですら、この世界の日暮相馬になれない。
少し幸せそうで、満足そうで、自分を嫌っていない日暮相馬には、絶対になれない。
そして、僕は僕だけだ。
「うん」
「そう。なら大丈夫ね」
「あっ、そうだ。この世界の僕に一つだけ」
「なに?」
「もっと陽菜をよく見てみろよ」
面白いくらい、陽菜の顔が真っ赤になった。
「相馬くーん。朝ですよ~。おきてー」
体を起こして目を擦った。
「……おはよう、夏樹」
「おはよう。どうしたの?」
「いや、ちょっと頭がぼーっとして」
夏樹の家だ。昨日泊まったんだっけ。
「大丈夫? シャワー浴びる?」
「いや。良い……やっぱり浴びる」
「はいはい。全然起きないから何事かと思ったよ。びっくりしちゃった」
「ごめんごめん。あとでちゃんと聞かせるよ。聞いてくれる? ありえない話だけど」
「そういう振り方だと、逆に聞きたくなるなぁ~楽しみだなぁ~自分からハードル上げて大丈夫?」
「ありえないかどうかって話なら、かなり自信があるね」
「それなら是非とも聞きたいね。どちらにせよ、相馬くんの話なら、何でも聞きたいな」
「先輩、せーんぱいっ」
「うぐっ」
「起きてくださいよ~。折角今日はデートに行く約束なのに……予約もありませんし。莉々が早く―ってごねてますよ」
「あっ、あぁ」
帰ってこれたのか。
旅館の天井。そうだ。大学の春休みを利用して遊びに来たんだ。
「朝食、用意できてますよ。珍しくお寝坊さんでびっくりしてしまいました」
「色々あってね。聞いてくれる?」
「えぇ。大丈夫ですよ。先輩の話なら。何でも聞きたいです」
「相馬君……相馬君!」
「えっ……陽菜? あれ、三人の僕は?」
「三人の? 相馬君が三人……お世話のし甲斐がありそうな話ですが。残念ながらいらっしゃらないようです」
「せんぱーい。珍しくお寝坊ですね。朝ご飯できちゃいましたよ」
頭を振る。何で帰ってこれたんだ?
枕元のスマホには2019年4月1日とある。
それとも、夢……ではなさそうだ。父さんにやられたやつと、あの世界の僕にやられた傷が少し痛んだ。
「はじき出された、って考えるべきか」
あの世界で歩んだ日暮相馬の時間は、あの日暮相馬だけのものだ。
僕らは不要な存在。必要な部分に送り返された。
「なんて、真偽は知らないけどさ」
陽菜がきょとんと首を傾げる。
「うん。朝食がてら聞いてよ。不思議な話だし、信じてくれるかわからないけど」
「相馬君が明日から月が地球と入れ替わると言っても信じますよ」
「まあ、それくらい突拍子のない話」
そこそこ理想的な人生を見せられたけど、やっぱり陽菜が好きな世界の僕の話。