ひな祭り
三月三日。陽菜祭りの日と我が家では制定された。
「いえ、私は全く賛同していないのですが」
「と、言いますけど、やはり陽菜先輩はメイドですね。相馬先輩がやると言ったらちゃんとそこに座って頂けるのですから」
「乃安さんはなぜそこまでノリノリなのですか……」
「面白い事は大好きですから。それに、こうしてちやほやされれば、少しはメイドではない自分に慣れるのでは無いのですか?」
そう。メイドを辞めたのに相変わらずメイド服を着ている僕の彼女は、全く。一体何をやっているんだと、軽く説教したくなる。
「そう言われましても、この服が一番しっくりくるのは事実ですし」
「なんて言われてもねぇ。あっ、二人ともそろそろ着替えないと」
「そうですね」
相変わらず綺麗な家。毎日綺麗に掃除され、空気も澄んでいる。
家事をするなとは言わない。誰かがやらなきゃいけない。なら、得意な人に任せるのは一番良い。
「でもなぁ。今まで報酬を与えてやってもらっていたことを、今度は無償でやらせるのってすごい罪悪感がある。うーん。父さんに相談するか……」
「やらせるではありませんよ、相馬君。私がやりたくてやっているのです」
「その理論は危険じゃない?」
「その危険な理論をこれから行使しようとしている相馬君が何を言いますか」
ニコニコとお互い牽制し合う感覚、これを陽菜との間で味わう事になるとは。乃安とやっているのはよく見ていたけど。
「さて、では早速ですが、始めましょう。ひな祭り」
「そうですね……せっかくの料理ですし。他の皆様方がいないのは寂しいですが」
みんなそれぞれ、地元を出た。残ったのは僕らだけだ。あと、君島さんはまだ二年生だから当然いる。今年で無事三年生になれるそうだ。結構授業サボっていると聞いていたから。でも、彼女なら、テストは問題ないとも思っていた。
「莉々はもうすぐ来ますよ。あっ、来た」
玄関まで迎えに行く乃安を目で追うと、すぐ、扉は開かれた。現れたのはいつも通り眠そうな君島さん。
「おはよう」
「もう夕方ですよ。莉々。まさかさっきまで寝ていたのですか?」
「流石にそれは無いよ。一時間前に起きた」
「寝すぎです。それとも、朝まで起きていたのですか?」
「うん。ちょっと頑張ってた」
「変な方向に頑張らないでください」
微笑ましい後輩二人が席に着く。
揚げたてのから揚げ。酢の香り漂うちらし寿司。
その他色々。陽菜も主賓なのに台所に立った。
僕は何もしていない。陽菜のご奉仕精神は相変わらずだ。こればかりはしょうがないのかもしれない。十八年、そうしてきたのだ。根付いてしまっているのだろう。
根付いた精神をいきなり変えろとは、言えない。間違っても。それは、その人の人生を否定するようなものだから。
「美味しいよ。二人とも」
だから、称賛する。その人の生き様を。これまでの人生を。その人が歩んできた足跡を。
皿はすぐに空になる。いつものように美味しい。いや、いつも以上に美味しい。何が違うのか考えて、でもわからなくて、ただ余韻に浸った。
自分が何者なのかを見失う時期は誰にでもある。僕の高校三年間がそうだった。
「ねぇ、あんた」
「んー」
「ほんとにさ、あんたは誰かのために生きるつもりなの?」
「そうしたいと思った」
「ふぅん。可笑しな話。誰かために生きるなんて、それは、あんたが一番無理だと思ってた事じゃん」
「自分のためにやったことが、「「結果的に誰かのためになっているだけ」」
「あんたがよく言ってたこと」
「そうだね」
君島さんが隣座る。春の夜。まだ肌寒い。
「莉々は、あんたの生き方、あまり賛成したくない」
「なんで」
「あんたの事が嫌いだから。だから、あんたが苦手な生き方、あんたが幸せになる生き方をして欲しいと思った」
「自分が幸せになって、その幸せを分けていき……」
「違う。あんたは多分、結局自分の幸せも誰かにあげる」
「それは無理ですよ。莉々さん。私がそんな事させませんから」
声を荒げそうになった君島さんの言葉が止まる。ようやく、莉々の目を見ることができた。これ以上ないくらいに睨んでいた。
「やっぱり莉々はあんたが嫌い」
「知ってる」
「先輩は、なんで日暮相馬が好きになったのですか?」
「……恐らく、莉々さんが相馬君が嫌いな理由と同じかと」
「なるほど。先輩は余程の物好きなのですね」
「かもしれません。けど、好きでも嫌いでも、誰かにそこまで感情を割けるのは幸せだと思います」
えっ、待って、教えてと思ったけど、聞かないことにした。二人が聞かれることを望んでいないと直感したから。
「じゃあね、日暮相馬。精々生きててよ」
「殺すとか、死ねやとか言わないとは珍しい」
「言って欲しいの? ドM?」
「いや、別に」
乃安にも声をかけず、足音が遠ざかって行く。
台所からは食器を洗う音が聞こえる。開きっぱなしの窓からは風が流れ込んだ。
「相馬君。一つ、話があります」
「改まって。どうしたの?」
陽菜が見せたのは、メイド服だった。
「この服と、私は決別したいと思います」
「決別って?」
「燃やします。一緒に見届けてくれないでしょうか。一人では、流石に怖いので」
「んな勿体ない事、させないよ」
奪い取る。柔らかい生地。この服を着た少女に、三年間、助けられたんだ。
「いらないなら貰うよ。これ」
「えっ、着るのですか?」
「女装癖なんて無い」
目を見開く彼女の前で。抱きかかえる。ほつれ一つない、きっとしっかり手入れされていたのだろう。
「うん。勿体ない。僕が貰うよ」
「……しかし」
「性に合わないことしてるのはわかってるけど、でも、それでも、これだけは大事にしたいんだ」
これまでの自分を捨てようとしてる陽菜だけど、でも、それでも、今の僕を形作ってくれた少女の記録だ。これは。
「わかりました。では、預かっていてください」
「うん」
「デザート……あれ、莉々は何処に?」
「帰ったよ」
「えー。もう、相変わらずですね。明日口に突っ込んであげましょう」
絶対タイミング図っていただろと思った。
部屋にしっかりとかけて、定期的に手入れして、陽菜のメイド服を自分の服よりも大切にしている。可笑しなことしてるなと思うけど。預かったからにはしっかりとしたい。なんて、柄にもなく思うんだ。