二年生夏、僕らの七夕。
「先輩、陽菜先輩が笹背負って歩いてます!」
「あぁ、七夕か……」
京介を連れ戻しに、隣県まで渡って二週間くらい経った頃の事。
もうすぐ夏休みかー、なんてぼんやり考えていた。
陽菜と別れたけど、ネガティブな別れ方をしていなかったからか、別に気まずくはない。元々、そこまでイチャイチャベタベタする方でもない、とてもドライな付き合い方をしていたと自負している。
玄関の扉が開き、閉まる音。すぐにリビングの扉が開く。
「今年も笹を頂いてきました。相馬君。乃安さん。短冊をどうぞ」
「ありがとう」
「ありがとうございます。先輩」
ソファーに座る僕の横に立っていた乃安。スッとその隣に立つ陽菜。何となく、この感じ、懐かしい気がする。なんか、こう、さりげなく事務的な対応しながらも、それを感じさせず、優雅な雰囲気すら感じさせる動き。メイドの真骨頂をその一瞬に見た。
「さて……」
そう呟くと、すぐに横から筆ペンが差し出される。
「……それとも、私が書きますか?」
「まだ内容すら決まっていない」
今年も、悩むとしますかね。
「今年も用意しました」
「おー、嬉しいねぇ。流石陽菜ちゃん」
学校にて、七夕だからとそこまで盛り上がるわけではない。思えば、伝説自体は非常にロマンチックなのに、そこまでカップルとかが盛り上がる印象は無いな、七夕って。
「一緒に空を見上げるくらいしかやることはありませんから。曇ってたら台無しですし」
「あぁ、まぁ」
「甘いね陽菜ちゃん。七夕とは、遠距離恋愛の二人にとってはとっても大事な日なんだから!」
「……理解できました」
なるほどな。織姫彦星は一年に一回しか会えない難儀な二人だったな。
「恋愛にうつつ抜かして神様にキレられるってなかなかだよな」
「あは、確かに。神様が短気なのかそれとも二人のイチャイチャが凄まじかったのか」
「案外神様に恋人いなくて嫉妬した説ある」
「……相馬君。一応伝説上、神様……天帝に奥様はいるはずです。織姫は天帝の娘ですから」
「へぇ」
そういえば、あぁ、そんな話だった気がする。
「……彦星に娘と結婚してくれないかと持ち掛けておいて、思い通りなら無いから引き離すというのも、なかなかの話ですよね……。そういう強引な手を打てば、伝承の通り、二人がショックで逆に仕事にならなくなるのは予想が着くはず。しかも妥協案が年に一って、孫を見たいと思わないのですかね、天帝は」
顎に手を当てながら、陽菜がそこそこ早口で呟く。
「そう考えると、結構ツッコミどころ満載だね、あの伝説」
「だな」
僕らの中で、天帝が後先考えない厄介親父という人物像が出来上がった。織姫彦星に同情心が湧いて、おすそ分けなんかせずに幸せを満喫してもらいたいなんて思った。
何て言っても、やはり行事は行事、きっちりとやる事はやろう。
学校から帰ると、陽菜は折り紙でせっせと飾りを作り、乃安は台所で夕飯の準備をしている。
去年はこれらを一人で陽菜がやっていたのかと考えると、少しは手伝いたかったな、なんて考える。
「それは違いますよ、相馬君。乃安さんがいることにより、去年よりさらに豪華になるのです」
「は、はぁ」
思っていることに対する答えを平然と言ってくる。ほいほい心を読まないでくれ……。
「相馬君の顔を見ればわかります」
また読まれた。
「さて、吊るしてきます。相馬君、短冊が出来上がったのであれば、貰いますが」
「あぁ……」
相変わらず、願い何て何も無い。去年の願い事、叶わなかったな、結局。
「僕は……」
僕は。でも。
願いは無くても。でも。
「そうだね。陽菜とか乃安とか、みんなには、幸せでいて欲しい、かな」
そう。
正直な気持ちは。それだった。
「今は、それで良いと思います」
陽菜は、静かに、微笑んだ。
「唐揚げとビール。唐揚げとハイボール。どっちが美味しいのだろう」
「未成年であるところの先輩が何を言っているのですか?」
乃安が呆れたような視線を向けて来る。
「仕事終わりの一杯なら、どっちも美味しいのではないでしょうか?」
「……陽菜も一日の終わりの楽しみとか、あるの?」
「はい。相馬君が安らかに眠っていることを確認することでしょうか?」
「……さらっと何を言っているの?」
「ご主人様の健康管理も、メイドの責務ですから。うなされていたりすると、添い寝もしていたことありますよ? 気づいていませんでしたか?」
「いや、全く」
なるほど。
……ふむ。
「先輩。今度は私が添い寝します?」
「いや、結構です」
「大丈夫です。冗談ですから」
ニコッと笑う。
陽菜を見るが、特に何とも思っていないように見えた。
乃安は帰り、家は二人になった。途端に、音が全部抜け落ちたように家は静かになった。
シャワーの音が聞こえる。陽菜が入っている。
「……よくもまあ、僕は一年も陽菜と付き合って、深い関係に持って行かなかったものだ」
そうだ、危なかったのはクリスマスの時だけ。
ずっと一緒に住んでいて、望めば陽菜は確実に受け入れる。それでよくもまぁ。別に欲が無いわけでも無い、そうじゃなかったら自分が怖くなる。
「相馬君?」
「ん?」
すっと隣に座る。
「あれ?」
「? どうかされましたか?」
あぁ、僕は。わりといちゃついていたんだな。
ぴたりと寄り添っていた距離が、拳二つ空いた。
それは、意識してなのか、無意識なのか。
「はぁ」
何となく、何となく、陽菜の頭に手を伸ばした。
「……? 何か?」
撫でられても特に表情を変えず、不思議そうな目をこちらに向けた。
「別に。しばらくこうしてる」
「どうぞ、そんなに良いものですか?」
「うん」
今は、今はこれで良い。
もう少し、何か、勇気が起きるまで。
後から振り返ると、この時の僕は、何もわかっていなかった。




