キスの日特別編 パラレル日暮相馬のもやもや。
「ん……」
「おい、起きろ」
布団に包まるその子は、抵抗するように布団にさらに深く潜り込む。
「はぁ。起きろって」
「すいません。……あと五分、お願いします」
「いや、駄目だろ」
朝野陽菜、僕の従姉妹。関わり方がよくわからないが、変な夢の中で、この子の事、ちゃんと見てやれと言われた。
「……乃安、起こしておいてくれるかい?」
「良いですよ。陽菜さん、起きてください」
さて、僕は僕で日課をしに行こう。夢の中で自分に負けたのが、悔しすぎる。
「あっ、待ってください。私も行きます!」
陽菜が飛び上がるように起きて、僕がいるにも関わらず着替え始めたので、部屋を飛び出す。すぐに陽菜の着ていたパジャマを持って乃安が出てきた。
「お待たせ、しました」
はにかむような表情で出てきたその子に、できるだけ優しい雰囲気を向ける。
「行くよ」
「はい」
「はぁ、はぁ……」
陽菜は息も絶え絶えだった。まぁ、慣れてきたか。先月までは神社に辿り着く前に歩いてたし。
まぁ、人間得意不得意あるよな。メイドとして家にいる乃安も、料理以外はむしろ苦手な方だ。なんて言ってたし。「料理のおかげで試験合格したようなものです~」と言いながら、掃除してるけど。
……夢の中のもう一人の僕は何て言ってたかな、乃安について……。「乃安はわりと何でもできる。料理が特別上手だけど」聞いた覚えないけど何故か頭に浮かんだ。
……オカルトとかあまり信じないけど、平行世界は信じても良いかもしれない。平行世界の乃安は家にいる乃安より総合的に能力値が高い的な?
「座り込むなよ、歩け」
「は、はい」
素直だ。
あっちの世界の陽菜ってどんな感じなのだろう。確か、恋人同士とか言ってる奴がいたはずだ。
やっぱりあっちの陽菜も頭が良いのだろうか。僕の通う高校は結構な進学校だが、陽菜は平然とついてきて、僕が教わる側だった。
でもそれは努力の上に成り立っていることも知っている。
旅館を手伝っていた時期もあってか、家事もできるみたいで、乃安の仕事を見て、色々聞いているのも見た。逆に乃安に教えているのを見た。
「相馬君。私にもそれを教えてもらっても良いですか?」
「護身術?」
「はい」
……。うん。良いの、かな……。
「じゃあ、とりあえず。僕と同じように立ってみて」
「はい」
「そう、んで、身体の軸を意識して、ブレないように、こうやって突き出す。腕だけじゃなくて全身を使って」
「はい」
「そう、それをとりあえず十回。今日はもう時間無いからそれだけね」
「ありがとうございます」
嬉しそうに小さく笑う。……確かに、可愛いかもしれない。
「おはよう、そうちゃん。知ってる、今日がキスの日って」
「なにそれ」
「去年も説明したと思うけど。日本映画で初めてのキスシーンが登場する映画が封を切られたとか、なんととか」
「ふーん」
莉々が当たり前のようにうちで朝食を食べている。
「乃安ちゃんの料理美味しい。お母様の卵焼き、美味しいですね。ところで作り方は……」
「教えません。日暮家秘伝だから。教わりたかったら相馬を落として見せなさい」
「らしいからそうちゃん、婚姻届け取ってきて」
「阿保か」
卵焼きのためだけに人生賭けすぎだろ。毎朝見るやり取りだけどさ。
「キスの日……」
隣に座る陽菜がぼんやりと呟く。
「陽菜さん、どうかしました?」
陽菜の目の前に座る乃安がそう声をかける。
「いえ、素敵な日だな~って。乃安さんくらい美人ですと、やっぱりモテモテですか?」
「実際、そんなことありますね。まぁ、こういう身分ですし、全部断ってますけど」
「別に良いのにね~」
「本部に怒られちゃいますから」
のほほんとした母さんと明るく笑う乃安。圧倒的女子率、少し肩身が狭い。いつまでも慣れない。
「ほら、そろそろ食べ終わらないと」
「はい。叔母様」
控えめな陽菜の応答を合図に、続々と食べ終わり、身だしなみを整え、四人で家を出る。
「はぁ」
「……陽菜さん、ため息なんてついて、具合でも?」
「! ため息ついてました?」
「はい」
「具合悪いなら無理するなよ。医者つれてくから」
「全然、問題ないです。大丈夫です」
手をブンブン振り回しアピール。そんな、慌てなくても……。
まぁ良いや。
それから、電車の改札を通って、律儀に僕らが改札を通るのを待って、揃ったのを確認すると、なぜか微笑んで、一番後ろを歩く。
電車の中、小さな体をさらに縮ませて、扉の方に身を寄せている。
「陽菜さん、可愛いですね。相馬さん」
「う、うん」
「あれ、素直ですね」
「ずっと変な気分」
上手く言えない。さっきから陽菜の事を目で追っているのがわかる。
「最初は心配だったからだけど、もうそんな気にする必要も無いのにな。我ながら過保護だと思うよ」
「あは、せんぱーい、鈍いのもほどほどにしてくださいよ」
「乃安に先輩呼びされるのも変な気分だよ」
「私から後輩キャラ奪わないでください」
「そんなものついてたか?」
僕の中で、そんな認識はあまりなかったのだが。……莉々も後輩っぽくないよな。そういえば。
「そうちゃん、今果てしなく失礼な事考えたでしょ」
「レーダーでもついてるのか?」
頭を振って思考を追い出す。今はなんか余計な事考えそうだ。
「おはよ」
「おはよう。相馬くん、陽菜ちゃん」
教室につくと、布良さんが迎えてくれる。
「そういえばさ、布良さんってお兄さんとかいるの?」
何となく聞いてみる。
「ん? どうして? いないよ」
「いや、布良さんって何か妹っぽいなって。そっか、いないか」
頭を掻く。今日はどうも余計な事考えるなぁ。
「妹っぽいか。そうなると、陽菜ちゃんはどうなんだろう」
「わ、私ですか? えっと……」
「妹だな」
「だね。じゃあ、相馬くんがお兄さんだ」
「なぜ僕が」
まぁ、母さんの認識の中でもそうなっているだろうけど。
そんな風に始まった一日も、あっという間に終わる。
「陽菜さん。手際良いですね~」
「乃安さんに料理を見てもらえているので、少しだけ張り切っています」
仲睦まじく、姉妹のように、乃安の方が姉に見えるのがたった一つの問題か。問題でも無いか。
そんな訳で出来上がったのは海老天丼だった。
「弥助さんからいただきました。旅館で貰ったそうなのですけど、譲ってもらっちゃいました」
陽菜がはにかみながらそう説明する。
味はとても美味しかった。乃安がついてたからだと思ったけど、全く手を出していないそうだ。
そして、時計がそろそろてっぺんを指す頃。
「そうです。相馬君。流石です」
「流石なのは陽菜だろ。わかりやすく教えてくれた」
「ありがとうございます。えへへ」
少しだけ眠そうだ。
「そろそろ寝るか」
「あっ、はい」
キリが良かったのでそう言った。
「あ、あの。良いですか?」
「ん?」
「……えいっ」
片づけを終えて、部屋を出ようとした僕の頬に触れた、少しだけ湿っぽくて、柔らかい感触。
「ひ、陽菜? なんで?」
「わ、私もよくわかりませんけど、キスの日と、今朝聞いたので、はい、そういう日は、大切にすべき、だと、思ったので。おやすみなさい」
半ば押し出されるように廊下に出た。
「……グっ」
叫び出しそうになったのを、どうにか堪えた。
「くっ……」
寝よう。頭がごっちゃだ。
よくわからないもやもやを抱えながら、僕は眠る。




