第8話[超天才は後悔する]
「そうか……、残念だ」
グレイは自身の性質をあらためて知り、事の経緯をフレアに話してカルラ学園を辞めることにした。
「一応訊いておく。取り下げるつもりは?」
「ない」
「わかった」
入学初日からいがみ合っていたけれど、このときは本心から残念がってくれたように思う。
手続きはすべて学園側でやってくれるらしいので、帰宅する。
「グレイ? 今日は随分早いのね……、って、あれ?」
「…………」
アンナとも話す気になれず、部屋に戻った。
祖父の遺影が目に入る。
「ごめんね、おじいちゃん。"普通の女の子"にはなれなかったよ」
最初から無理な話だったのだ。
自分は自分以外の誰かにはなれない。
元の価値観が違う者同士を一ヶ所に留めれば必ず不都合が生じる。
そう、必然。
すべては必然だった。
予想していた未来、予想通りになった未来。
起こるべきことが起こり、起こるべきではなかったことが起こらなかった。
たったそれだけの話。
何もおかしなことはない。
荷造りは簡単に済んだ。
トランクケースが一つあれば充分だった。
最後に、祖父の遺影を額縁から取り出し、コートの内ポケットにしまう。
生活感も飾り気がなく、見ているだけで寂しくなるほど殺風景な部屋をあとにして、リビングに出る。
テーブルで作業中のアンナがこちらに気づき、面を上げた。
そこに貼り付いているのは困惑だ。
「アンナ。今までありがとう。あたし、故郷に帰るね」
「ち、ちょっと!? いきなりどういうことよ!?」
「カルラ学園にあたしの居場所はないってわかったんだ。前みたいに山奥で動物や精霊たちとひっそり暮らすよ。もう普通の人とは関わらない」
「…………。正直、全然話が見えてこないんだけど、あんたがそう決めたなら私は止めない。好きに生きな」
「うん、そうする。締め切り近いんでしょ? 邪魔してごめんね」
「あんたがきたくらいで締め切りは延びも縮みもしないよ。おじいちゃんによろしく言っといて。当分、墓参りは行けそうにないから」
「わかった」
アンナと、アンナの家に別れを告げた。
魔法で瞬間移動することもできたが、どうせ最後なら街を見て回りたいという気持ちが芽生えていたグレイは、自分の心に従って散策を始めた。
まず、アンナの家の周り。
この辺りは未開発だ。
小さな公園と古い商店街くらいしかなく、一昔前の風景が残っている。
寂れ具合がいい、アンナは言っていた。
都心に近づくにつれ、建物は煌びやかに、そして天高く伸びていく。
時代が急速に進んでいく。
人も物も、だ。
田舎と都会がごっちゃになった街だな、とグレイは不意に笑ってしまった。
こんなふうに景色を眺めるのは初めてだと思う。
案外、悪くない。
「あ……」
なぜだろう。
気づけばカルラ学園の前にいた。
体が自然と通学路をなぞっていたのか。
ネアと歩いた、通学路を。
「……最初からわかってた。当たり前のことが当たり前に起きただけだ。最初からわかってたんだ」
自分に言い聞かせるように何度もつぶやく。
「何も悲しくはない。寂しくもつらくもない。鳥は泳げなくても泣かないし、魚は飛べなくても泣かない。それと同じ」
だから、ここに居場所がなくても、あたしが泣く理由にはならない。
海に憧れた鳥も、空に憧れた魚も、それぞれがそれぞれの居場所にいるから、互いの居場所が美しく見える。
遠いから憧れる。
憧れるから美しい。
生きられるはずのない世界で、生きてみたいと思ってしまう。
……ただの馬鹿だ。
「でも……、おじいちゃんの願い、叶えてあげたかったな……」
『普通の女の子になってほしい』
今際の際、祖父がグレイに遺した言葉。
それを遂げられなかったことだけが心残りだ。
──帰ったら墓の前で謝ろう。
そう誓いを立て、再び歩き出した。
さようなら、カルラ学園。
さようなら、ネア・リーグネス。
「……ん?」
精霊たちが騒がしい。
普段は風と一緒に大気中を漂っているのに、今は乱気流に飲まれたかのように荒ぶっている。
「ねえ、ちょっと。なんかあったの?」
一番近くにいた精霊に話しかけると、彼あるいは彼女の意思が伝わってくる。
『悪しき者が動き出した。貴方の学び舎が危ない』
「悪しき者? 学び舎? ……まさか」
カルラ学園が襲撃されている──!?
「みんなを助けに行かなきゃ……!」
勢いよく振り向く。
振り向いて、ハッとする。
自分がどうしてトランクケースを引いているのか、その理由を思い出す。
「……いや、あたしにはもう関係ない。普通の人とは関わらないって決めたんだ」
そのとき、ネアの顔が脳裏をよぎった。
「し、知るかあんなやつ。お節介で、図々しくて、どこにでもつきまとってきて。いっそ死んでくれたほうが清々する」
首を振って忘れようとした。
けれど、どうしてもネアのことを考えてしまう。
「なんなんだよ、もうっ。いったいあたしはどうしちゃったんだ? 新手の病気か? 帰ったら詳しく調べて抗体を作らないと。ってゆーかなんでさっきからあたしはずっと独り言しゃべってる? 完全にヘンな人じゃないかっ」
追い払えないなら置き去りにしてやる、そんなつもりで駆け出す。
目の前に光の壁が生まれ、行く手を阻まれる。
精霊たちがとおせんぼしていた。
『助けに行くべきだ』
「だから戻れって? なんであたしが……。そこどいてよ。通れないだろ!」
叫んでみるが、彼らは動こうとしない。
『恐怖している?』
「うっ……。別にテロリストごときにビビってるわけじゃない。あたしが行けばどんな戦いも一瞬だ。……でも、みんなとは会いたくない」
会えばまた拒絶される。
本当はそれが怖い。
「お願いだよ、そこをどいて。あたしはここにいちゃいけないんだ」
『きっと後悔する』
「もうしてるよ……。こんな街、くるんじゃなかった」
『友が貴方を待っている』
「そりゃそうだろうよ。でもみんなが望んでいるのはあたしの力だ。あたし自身は歓迎されない」
『貴方自身がみんなに歓迎されたいと思っている』
「っ……」
頑なに動こうとしない精霊たち。
強行突破はダメだ、彼らを傷つけたくはない。
つまり、道は一つ。
「……ああ、わかったよ! 行くよ! 行けばいいんだろ! ちくしょう!」
投げ捨てるようにトランクケースを手放し、カルラ学園へと逆走した。