第1話[凡人は超天才と出会う]
「あ、あのぉ〜、私、教室に行きたいんですけど……」
傭兵育成機関、カルラ学園校門前。
ネア・リーグネスは、端的に言うと超ビビっていた。
見るからにガラの悪い上級生三人組に絡まれているからである。
「まあまあまあまあ。そう固いコト言うなよ新入生」
左、長身でそばかすの目立つ女子生徒。
「そうそう。まだ外にいるってことは、つまり遅刻したんでしょ? このままアタシらと遊ぼーよ」
右、ふくよかで目の細い女子生徒。
「もちろん費用はアンタ持ちね。後輩だもん。当然だよねー?」
正面、両耳に大きなピアスをつけた女子生徒。
ちなみに三人の中では一番美人だ。
立ち位置からしてリーダー格なのだろう。
つまり、あとの二人は取り巻きということになる。
「でも、教室に行かないと……」
「髪と目ぇ!!」
「はいぃ!?」
突然、両耳ピアスのリーダー格が咆哮した。
「濃紺の髪に、茶褐色の目……。髪と目の色が原色に近いほど魔法使いの才能に恵まれてるっていうの、常識だよね?」
「は、はい」
才能がないことを誤魔化すために髪を染める人も多いんだよね、とネアは脳内で補足する。
「つまりアンタは?」
「落ちこぼれ」
「つまりサボっても?」
「問題なし! やったー!」
「「いえーい!!」」
パチン!
「って、問題ないわけないでしょう! ハイタッチしちゃいましたけど!」
「あぁ!? ガタガタうるせーな! いいから付き合えってんだよ!」
「ひ、ひぇ〜……!」
「心配すんなや。たっぷり可愛がってやるからよォ」
怒り顔から笑顔に急変する両耳ピアスのリーダー格に合わせて、取り巻き二人も口角を上げる。
が、三人とも、とにかく顔が怖い。
笑っているけど笑っていない。
まるっきり獲物を狙う獣だ。
ネアは草食動物よろしく震え上がった。
「あーあ、ビビっちゃって。可愛い〜」
ドンッ、と。
長身そばかす女が何気なく後ろ歩きすると、誰かにぶつかった。
「……あ?」
振り返る。
「…………」
そこにいたのは、燃え盛る炎のように真っ赤な髪を腰まで伸ばした、白いコートの女の子。
コートはブカブカで、裾は地面スレスレ。
余りまくった袖を何度も折り曲げてボタンで留めている。
その下には制服を着ていた。
背が低く、前髪が長いので、表情を窺い知ることはできない。
「何? このチビ」
小太り細目女が赤髪白コートの女の子を睨みつけた。
さらに細くなった目は、もはや糸だ。
「…………」
赤髪白コートの女の子は依然として沈黙を貫いている。
怯えているのか、単にめんどくさいだけなのか。
道が開くのを待っているようにも見える。
「おいコラ。先輩にぶつかっといてだんまりとはどういう了見だ」
両耳ピアスの美人、リーダー格らしき女が、そう言いながら赤髪白コートの女の子に詰め寄り、乱暴に胸ぐらを掴む。
「ぶっ殺すぞ」
「…………」
赤髪白コートの女の子はようやく面を上げた。
碧眼。
世間一般的なサラリーマンが一生涯かけて働いても買えなさそうな最高級の宝石を想起させる、透き通った碧い瞳。
ネアはその美しさに思わず息を呑んだが、他の三人も同じリアクションを取った気配があった。
赤髪碧眼白コートの女の子の唇が動く。
どんな声で、どんなことをしゃべるのか、ネアは夢中になって耳を傾ける。
「……《エクスプロード》」
呪文。
魔法の呪文だ。
魔法とは、万物に宿る魔力を使って現象を起こす技術であり、詠唱のあとに呪文を唱えることが鉄則だ。
しかし、少女は呪文のみを口にした。
中でも《エクスプロード》は指定した位置を爆破する高難易度の呪文で、戦争でも頻繁に使われるほど殺傷能力が高い。
一応、詠唱破棄による魔法の簡略化および高速化という技術も存在するが、それ自体にも本来以上の魔力を要求されるし、とても子供が扱えるものではなく、扱っていいものでもない。
もしかして、ハッタリ?
隙を作って逃げようとしているのかも。
ネアがそう思った瞬間──
ズガァァァァン!
「「え?」」
目の前で起こった爆音と熱波と白煙に、取り巻き二人が声を揃えた。
「────」
それらを直接浴びたリーダー格の女は、ふらりと仰向けに倒れ、著しく焼き爛れた顔と張り裂けた衣服を日の下にさらす。
焦げの濃淡からして、爆破されたのはおそらく胸から顎にかけての辺りだろう。
「ウソでしょ……」
呆然とつぶやく長身そばかす女。
「こいつ魔法で人を丸焦げに……!?」
ガクガクと震えだす小太り細目女。
二人は一旦互いを見合わせ、
「「きゃあああああ! 人殺しぃぃぃぃ!」」
と、なりふり構わず逃げていった。
「チッ、先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろうが」
やさぐれた口調。
ネアは今しがた行われた暴行といい、本当にこの可憐な少女がしゃべったのかと現実を疑う。
何が何やらさっぱりだ。
いきなり現れたと思ったら人一人を爆破した。
少女は心底めんどくさそうに重たいため息をつき、コートについた埃を払い落とし始めた。
焼死体寸前の人間より衣服の汚れのほうが気になるらしい。
超然とした佇まいは常人のそれではない。
「あ、あのっ」
ネアは勇気を振り絞って、少女に声をかけてみた。
結果はどうあれ救われたのだ。
まずはお礼を言わなくては。
「何? あたし教室に行きたいんだけど。邪魔するならコレと同じ目に遭わすよ」
ネアを睨みつけながら丸焦げ上級生を足蹴にする少女。
脅しではない。
彼女なら本当にやるだろう。
焼死体2号にはなりたくないので全力で首を横に振る。
「いえ、そんなつもりは! 助けていただいてありがとうございました。私はカルラ学園中等部一年生、ネア・リーグネスと言います。あなたは?」
手短に自己紹介を済ませ、相手のことも尋ねる。
すると、少女はもう一度心底めんどくさそうに重たいため息をつき、
「……グレイ・バーンアウト」
憂鬱げな眼差しを斜め下に向けて、そう言った。
*****
その後、ネアとグレイは職員室に呼び出されたが、理由は語るまでもなかろう。
かたや遅刻、かたや傷害。
お説教を受ける条件は充分に整っている。
「まったく……。ようやく登校したと思ったら上級生を半殺しだと? 問題児にもほどがある。なんだか頭が痛くなってきた」
眉間を押さえるのはネアのクラスの担任教師、フレア・トールギス。
元軍人で、あだ名は『教官』。
前職において新兵の指導教官を務めていたことに由来する。
紫髪金眼の麗人、性格は男勝りでどちらかといえば同性にモテるタイプ、突然の戦闘にも対応できるよう改造したパンツスーツを着ており、大きく開いた胸元と両腰に吊った二丁拳銃は思春期男子のハートをこれでもかとくすぐる。
女子生徒からの信頼も厚く、優れた実力と美貌は彼女たちの憧れの的だ。
「あいつが先に『ぶっ殺すぞ』って脅してきたんだもん。あたしは被害者で、今回のは正当防衛だよ」
グレイが拗ねた様子で言った。
目線の高さは椅子に座るフレアとさほど変わらない。
「先生には敬語を使わんか」
「自分より弱いやつに払う敬意なんかない」
「なっ……! まあいい。おまえが私より強いのは事実だからな」
「き、教官。彼女はいったい何者なんですか?」
ネアは遅刻した気まずさも忘れて、ずっと気になっていたことを尋ねた。
好奇心には逆らえなかった。
「君のクラスメイトだよ、リーグネス。名前はグレイ・バーンアウト。かの有名な『最も偉大な魔法使い』、アデルソン・バーンアウトの孫だ」
「ええええぇぇぇぇ!?」
思わず叫んでしまう。
隣でグレイがうるさそうに耳に指を入れた。
「さっき自己紹介したと思うんだけど」
「いや、でも、アデルソン・バーンアウトの孫は魔法使いじゃなくて絵本作家になってるって聞きましたよ!?」
アデルソン・バーンアウトは世界一有名な魔法使いだ。
あらゆる魔法を使いこなし、数多の神霊や精霊と意思を交わし、噂ではまだ誰も見たことのない新しい魔法の開発にまで着手していたという。
それほどの人物だ、彼の血筋もまた魔法使いとしての活躍を期待されるのは当然の帰結。
──なのだが、ただ一人、アデルソンの孫娘だけは魔法使いの道から外れ、絵本作家の道を歩んだ。
今時、子供でも知っている話だ。
「それはあたしのお姉ちゃんのほう。血は繋がってないけどね」
「血は繋がってない? 何やら複雑な事情がおありのようですね……。グレイちゃんはなんで今まで学校にこなかったんですか?」
「別にあんたに関係なくない?」
横目で鋭く睨まれる。
やだ、私踏み込みすぎ……?
「私が教えてやろう」
そんなふうに後悔していると、すかさずフレアが助け舟を出してくれた。
ネアにとっては無料の豪華客船だ。
ありがたく乗せてもらうことにする。
「こいつはな、リーグネス。入学試験で、魔力測定器をぶっ壊し、試験官をボロクソに叩きのめした、規格外の超天才魔法使いなんだよ。しかもあまりに容赦がなく、試験官を殺そうとまでした」
「うわぁ……」
「殺すつもりでかかってきなさいって言ってきたのは向こうだし」
声音が、あたし悪くないもん、と言外に訴えていた。
「つもりだ、つ・も・り! 本気で殺しにいくやつがあるか! ──で、そのことを責めたら授業初日から一週間、つまり今日までずっとサボっていたわけだ。だからバーンアウトのことを知っているのはごく一部の人間のみ。生徒はほとんど知らないだろう」
「ほえー、すごい」
なんだか非現実的で理解が追いつかない。
隣にいるのは、あの『最も偉大な魔法使い』アデルソン・バーンアウトのもう一人の孫娘で、規格外と称されるほどの超天才。
しかし一方では、一週間も学園をサボり、挑発してきた相手を躊躇なく半殺しにする前代未聞の問題児。
フツウ・オブ・ザ・フツウの自負があるネアにとってはまるっきり未知の存在だ。
「せっかくやる気になってきたのに……。もういい、帰る」
ほうけるネアをよそに、未知の存在は自由気ままな猫のような足取りで職員室から出ようとした。
「ちょっと待たんかい!」
フレアの一喝がそれを阻止する。
「教師としてサボりを見過ごすわけにはいかん! 今日はこのまま教室に行け!」
「でも授業なんて今更聞いても意味ないよ。低レベルすぎ。……友達もいないしさ……」
「じゃあ私と友達になりましょう!」
「は?」
今度はグレイがほうける。
表情からは「馬鹿かこいつ?」という思いがヒシヒシと伝わってくる。
実際、馬鹿なので言い返す気にもならない。
「友達がいれば教室に行く理由ができますよね? そういうことですよね?」
「え、まあ、うん」
グレイは面食らったのか、少したじろぐ。
「つーか突拍子なさすぎない? そもそもあたしと友達になってあんたになんのメリットがあるの?」
「さあ?」
「さあ、って……」
深い考えなんて一切ない。
純度100%の思いつきだ。
「強いて言うなら、グレイちゃんが『友達いない』ってつぶやいたとき、寂しそうにしてたからですかね」
「ばっ……!? 誰が寂しそうにしてたって!?」
「ちょうどいい。リーグネス。バーンアウトの見張り役を頼まれてくれ。そうしたら今回の遅刻はなかったことにしてやる」
フレアが目を細めて笑う。
願ってもない好条件の申し出だ。
ビシッと敬礼し、承諾の意を示す。
「りょーかいですっ」
セリフもおまけしておく。
そうと決まれば──
「ねえ、勝手に決めないでよ」
「行きますよ、グレイちゃん!」
「うわつ! ひーきーずーるーなー!」
「やれやれ。いったいどうなることやら」
背後でフレアの愉快そうな独り言が聞こえた。