第9話[凡人は超天才を連れ戻す]
昼休み。
授業をサボる度胸がなかったネアは、せめてこの時間だけでもグレイを探しに行こうと、外出許可をもらうべく職員室を訪ねた。
「失礼します」
まっすぐフレアのもとに向かう。
「どうした、リーグネス? 授業でわからないところでもあったか?」
「グレイちゃんのことです」
微笑だったフレアの表情が引き締まる。
「彼女は今どこにいるんですか?」
「それを知ってどうする?」
「連れ戻します」
「どうやって?」
「説得します」
「あのバーンアウトを?」
「グレイちゃんは優しい子です。今回の事件も、先に手を出したのは先輩方のほうだったって聞いてます。自分から進んで人を傷つけたことは一度ないのに、どうして彼女ばかり悪者にしようとするんですか」
確かにグレイの仕返しはやりすぎだ。
しかし、入学試験のときは試験官の言葉を真に受けただけだし、ネアのときはピンチから救ってくれた。
教室で男子に絡まれたときは最後に治療薬を渡してくれたし、今朝のは友達が血を流したのを見て激昂したらしいではないか。
グレイは優しく、根が真面目で、繊細で、不器用で、極端な性格をしているだけだ。
そうでなければ祖父の遺言のためにわざわざ故郷を離れるはずがない。
「リーグネス。君はまだ幼いからわからないがしれないが、力というものには常に責任が伴うのだよ。バーンアウトはあの『最も偉大な魔法使い』を超える超天才だ。その力は、然るべき方法で振るわれなければならない」
フレアの言い分に、
『普通の人たちは天才たちのことなんてちっとも理解してくれない。いつだって能力を評価するだけだ。人格なんて最初から求められてないんだよ』
というグレイの言葉が反芻される。
本当にその通りだ。
「……先生も、みんなも、グレイちゃんの才能ばかり見て肝心な気持ちを無視してます」
「何?」
毅然とした態度でフレアを見返す。
「グレイちゃんだって私たちと変わらない一人の人間です。なのに誰も彼もが"超天才"だと突き離すから──、グレイちゃんは暴力に頼ることでしか人と繋がれなかったんじゃないですか?」
「…………」
フレアはしばらく俯き、やがて公開の滲んだしかめっ面を見せた。
「……そうだな。君の言う通りかもしれん。私は教師でありながらバーンアウトに大人としての振る舞いを求めてしまった。これでは教育者失格だな」
そう言って彼女は引き出しから一枚のプリントを取り出し、ネアに渡した。
──グレイの退学届だ。
「これって……!」
「今ならまだ間に合うだろう。彼女を探しに行ってやってくれ。他の先生には私のほうから伝えておく」
「はい!」
ネアは職員室を飛び出した。
「うわぁ!?」
「きゃあっ!?」
その矢先、人とぶつかりそうになり、急ブレーキでかろうじて回避する。
だが、相手は驚いた拍子に尻餅をついていた。
丸眼鏡に三つ編みの女性──、フラウディア・フルクハウス。
本日の五時限目、魔法基礎理論の担当教師。
いつも猫背でちょっと頼りない。
有事の際、真っ先にパニックになりそうな人の筆頭でもある。
「いたた……」
「ご、ごめんなさい! 私急いでて!」
ネアはフラウディアが立ち上がるのを手助けする。
「ありがとう。でも廊下は走っちゃだめですよぉ?」
「はい、すみません……」
「あ、いえ、別に怒ってるわけじゃ……! ところで、そんなに慌ててどこに行こうとしてたんですか?」
「っ、そうでした! グレイちゃんがカルラ学園をやめちゃうかもしれないんです!」
「まあ、それは大変ですねぇ」
「私、探しに行って連れ戻してきます! だから次の授業出られません! 失礼します!」
「あらあら」
まずはアンナの家だ。
もしいなくても、アンナに訊けばきっとグレイの行方がわかる。
時間はあまり残されていない、とにかく急がねば。
「だめですよぉ」
「え?」
前に加速を始めた体が──、急に後ろに縫い止められる。
「授業はちゃんと受けないと……、ね?」
混乱する脳。
混濁する意識。
「《スリープ》」
眠りの呪文。
自己と世界が、遮断された。
*****
「う……、ここは……?」
目覚めると、透明な箱の中に閉じ込められていた。
どうやらここは体育館のステージらしい。
前方、やや下方にはクラスの面々。
黒を基調とした武装に身を包み、ヘルメットとバイザーで顔を隠した大人たちに囲まれていた。
「いったい何がどうなって……」
「おはようございます、リーグネスさん。授業の居眠りといい、実は夜遊びとかしちゃってるんですかぁ?」
「私はそんな不良娘じゃありません! ……って」
箱の外、深緑の髪にウェーブをかけた女が立っていた。
ボディラインがくっきり浮かび上がるスーツを着ており、ジッパーは胸元まで下げ、人差し指に引っかけた丸眼鏡を揺らす。
映画で見る女スパイのようだ。
しかし、彼女の顔にも声にも覚えがあった。
最新の記憶は、気を失う直前。
「フラウディア先生!? その格好は……?」
「よく似合ってるでしょう? 教師は副業だったんですよぉ」
にたりと笑うフラウディア・フルクハウス。
ネアは背筋が凍てつくのを感じた。
そして、この状況に対する一つの答えに行き着く。
「はっ……! まさかあなたが噂のテロリスト!?」
「ピンポーン。正解ですぅ。私が内部から手引きさせていただきましたぁ。ではこれから何が起こるかもわかりますねぇ?」
体育館に集められたクラスメイト。
武装したテロリスト集団。
教師陣の姿はなく、現れる気配もない。
クラス一つを丸ごと人質に取られ、学園側は打つ手なし、といったところか。
「す……、は……」
ひとまず深呼吸し、恐怖で泣き叫びそうになる自分を抑える。
心臓が今にも口から飛び出しそうだ。
「あなたたちの目的はなんですか?」
「あら、意外と気丈ですねぇ。いいでしょう。ちょうど交渉相手もきたようですしぃ」
フラウディアの視線がネアから体育館の入口に向いた。
廊下の暗がりから姿を現したのは、腰の二丁拳銃を武装解除したフレアだった。
「きたぞ! 学園長不在につき、私が代表だ!」
「さすがフレア先生、約束通り一人でいらしてくれましたねぇ」
「ああ。他の先生方は学園の外で待機している」
そのとき、一羽のカラスが窓から入り、フラウディアの腕に留まった。
それが使い魔だということは一目瞭然だ。
「ふぅん、どうやら本当みたいですねぇ。感心感心」
「茶番はいい。それより用件はなんだ? わざわざ危険性の高い傭兵育成機関を襲ったんだ、身代金が目的ではあるまい」
「はい。私たちの目的は──、この学園の解体です」
声色が明らかに変わった。
そして、ネアはようやく理解する。
ここにいるのは魔法基礎理論の担当教師、フラウディア・フルクハウスではない。
カルラ学園襲撃テロの首謀者、フラウディア・フルクハウスだ。
「カルラ学園を解体してどうするんだ?」
「どうもしません。強いて言うなら腹いせですね。この学園の卒業生に煮え湯を飲まされた人は大勢いるんですよ」
「なるほど……、貴様らは他国の傭兵で、ウチに仕事を奪われてご立腹というわけか」
「ええ。学園長とグレイ・バーンアウトがいなくなるこの時をずっと待っていました。あの二人がいるとどれだけ綿密に計画を立てても力技で崩されかねませんから」
「その判断は正しい。学園長は間違いなく天才魔法使いだからな。そしてバーンアウトは──」
「学園長を上回る超天才。あの『最も偉大な魔法使い』アデルソン・バーンアウトさえ敵わないほどの圧倒的な才能の持ち主。だがそれゆえに周囲と馴染めず、学園を去ることになった」
「……力とは罪だな。本人の意思とは無関係に災いを招く」
「その通りです。なので、この状況もカルラ学園が持つ"力"が呼んだ災いとして受け止めてください」
フラウディアの手のひらが箱に向けられた。
虚空に火花が散る。
電撃系の魔法が行われる予兆だ。
「待て!」
フレアが叫ぶ。
フラウディアは下衆な笑みを浮かべる。
「ご安心を。このケースはただの増幅器です。私程度の魔法でも、中にいる人を苦しむ間もなく一瞬で死に至らしめることができます」
「卑怯者め……!」
「私たちは傭兵ですよ? 戦場に卑怯もクソもないでしょう。甘いですね、フレア先生。では……」
「ひっ」
フラウディアの放つ悪意すべてを受けたネアは、震えることしかできなかった。
「とびきりの悲鳴でみんなを驚かせてくださいね? そうしたら余計な死人を出さずに済むと思いますから」
「やめろぉぉぉぉ!!」
「《ライトニング》」
白い稲妻が打ち出される。
フラウディアの手のひらから箱までの短い距離を光速で渡り、同じ速度で箱の外側全域を網羅し、そして──
「きゃああああああああ!」
おそらくは数倍の威力となって、箱の中にいるネアを貫いた。
倒れる、それだけはわかる。
しかし視界はあまりに不鮮明、五感のうち、かろうじて機能しているのは聴覚くらいのもの。
全身は、痛すぎて痛いのがわからなくなっている。
「リーグネスッッ!」
フレアの呼び声が夢のように遠く聞こえた。
夢ならばどれほどよかったことか……
「あはははは! 百点満点のいい声! 一撃で殺さないよう手加減しといて正解でした!」
「貴様ァ!」
「おっと、いいんですか? あなたの行動次第ではもっと多くの生徒が犠牲になってしまいますよ?」
「くっ……!」
「そうそう。そのまま大人しくこちらの要求を飲んでいただければこれ以上被害を出さずに済むんです。賢い選択をしてくださいね」
「……わ、わかった。生徒の命には代えられん。だからリーグネスの治療をさせてくれ」
「くくく……」
「何を笑っている?……! 貴様、やめろ!」
「やめろと言われて素直に聞くほど優秀じゃないんですよこっちはァ! 《ライトニング》!」
世界が、白滅する。
死の光が到達するまでの刹那、ネアは本当に走馬灯というものが存在するのだと知った。
閃光より速く駆け抜ける思い出の数々。
それは最後に、白いコートを着た赤い長髪の寂しげな後ろ姿に行き着く。
もっと仲良くしたかったな……、グレイちゃんと……
失われていく感覚の中、なぜか涙の熱さだけは感じることができた。
そのささやかな熱さが自身の命の灯火によるものだということは疑いようもない。
だが、それはさらなる光と熱に消され──
「……?」
なかった。
何かが稲妻を阻んでいた。
光だけだった世界が影を取り戻し、次に色彩を得る。
白いコート、赤い長髪、寂しげな後ろ姿。
「さっきから黙って聞いてりゃ……、無能どもが才能あるやつに逆恨みしてるだけじゃないか」
走馬灯の再現。
グレイ・バーンアウトがそこにいた。