始まりの物語
初投稿です。
至らぬ点もあるかと思いますが読んで頂けると励みになります。
「君達は人間にとって大切なものとは何だと思うかな?」
男は一度全体を見る。
それからその男は俺たちに問う。優しげに。とても落ち着く声だ
何人かが答える。ある者は慈悲、またある者は赦しだとか。
「忠誠。」
そう答えたのは俺の隣にいる奴だった。顔は何となくだが俺に似ているそんな気がした。
「ほう。」
男が優しく目を細めた。興味深いそんな目をしていた。
「君は?」
今度はその答えたやつの隣にいた俺に視線が注がれる
「力。何者をも寄せ付けない圧倒的な力。」
「権力とか地位とかそういう力じゃなく破壊的な力?」
俺は黙って頷く。
「面白いね。」
男はもう一度全体を見回す。
「最後にもう一つ。君たちは愛のために狂えるか?」
意味の分からない問を残して音もなく男は消えた。跡形もなく。皆散り散りになっていく。初めてのことでもない。俺もそれに続いた
「やぁ」
草原で寝転がっていたらその声が聞こえ目を開ける
「寝ていましたか?」
頭がかゆい。ガリガリ掻き毟ってからそいつの顔を見る。さっきの奴だった。
何分か経った。でもいつまでもそうやって黙って見ている俺をこいつはどう思っているのだろうか
「無理に話せとはいいません。隣いいですか?」
無視しているとそいつは俺の隣に座った
「私はジダル。貴方は?」
分からない。自分の名前が。
「エタルドへは来たばかりですか?」
黙っている俺を何と解釈したのかは分からないがそんな事を聞いてきた
「エタルド?」
やっと声が出た。
知らない奴と話すと何故か最初は声が出にくい
「えぇ、はい。ここはエタルドと言います。『永園』そう呼ぶ者もいますね」
「ふーん」
「下界は見たことありますか?」
「ない」
下界と呼ばれる下々の生物が暮らす世界。そこには俺たちと同じ形をした生物がいるらしい。
「見てみたいとは思いませんか?」
「見ても何もないってあの人が」
そう。あの男から下界を観ると目が腐るそう伝えられているのだ
「俺たちのような高潔な生物の見るべきものじゃない。そう聞いてる」
だからこそ別に見たいとも思わない
「でも、自分たちの下にいる生物だ。見ておくのも悪くないと思いますけどね。立ってください」
そいつは立ち上がると俺の手を取り歩き始める。俺も引かれるように立ち上がりそれに続く。たどり着くはとある1室
「ここから下界が見えます。別に目も腐りませんから見てください」
男はそう言うと何かのスイッチを押した。途端先程まで確かにあった床がなくなる。いやなくなってはいない。透けているのだ。透けて下が見えるのだ
「わぁ…」
そこに広がっていたのは予想と反して悪くない景色。雲海が広がる。目を凝らすと雲間から小石程の大きさの人々が笑い、怒り、悲しみ。そんな日常が広がっていた。
「どうですか?存外悪くもないでしょう?」
俺はその言葉に意識せず返していた
「うん」
初めて見るものに興味が尽きない。あれはなんだこれはなんだ。俺は気付けばかなり長い時間ジダルにそれを訊ねていた。そのたびにそいつは嫌な顔一つせず真剣に答えを返してくれる
「こんなんなってたんだ」
それは未知の世界で、既知に溢れたこの世界とは根本からして違っていた。ここは延々と同じことを繰り返す世界。朝起きて夜寝る。それをそれだけを気が狂うほど繰り返す世界。そこには何もなくて虚しさすら感じられない。あるのは虚無だけ。
安全はこれでもかというほどあるが危険はない。それがこの世界。
俺は気付かぬ内に下界に憧憬を抱いていた。憧れていた。喜び悲しみ時には怒り憎しみ、そんな歌劇を俺も演じたかった
「行ってみたいと思いませんか?」
そんな俺を見てか見ていないのか分からないがそんなことを聞いてきた。答えは勿論決まっている。
「行ってみたい。」
「なら行きましょうか」
ジダルが手を差し出してくる。俺はとても無邪気にその手を取ったことを覚えている。そして最後の記憶がそれだった。
「彼らが下界へ行ったみたいですね。主」
黒い髪を腰まで伸ばした長髪の男が玉座に座る王へと声をかける。
「人の好奇心は止められぬよ。これでよい。むしろこうでなくてはならない。親は愛する子供に旅をさせるものだ。」
「まるで彼らが人であるような言い草ですね」
「事実人であろう。私は人として作ったのだから。畜生を産んだ訳では無い。」
「それは失礼いたしました。」
男は慇懃に頭を下げる
「構わぬよ。よい。よい。間違えるのもそれはまた人である証拠だ。人は間違い続ける。間違わぬものは人間ではないのだよ。そして間違いを正し答えを得る。初めから完璧な人間など存在しない。」
対する王は親友にでも接するかのような態度で不敬を許す。だが、気付いているのだろうかこれでは王は人ではなくなってしまうということに。
そこで
「王よ。貴方は人かそうではないのか」
ただ男は訊ねる単純に。どちらなのかを
「さぁな。私には分からぬよ。だが人でありたいと願って日々生きている。」
「王よ。貴方は何を目指しますか」
「この世界が平和であるように。」
「その先には何がありますか」
「何もなくていい。」
男は数瞬考える様子を見せると直ぐに頷き姿を消す。
一人残された王は目を閉じる。その瞳は今何を捉えているのか。ただの暗闇なのか、何かが見えているのか。それは誰にもわからない
「さて…」
男は絶壁から下界を見下ろす
その瞳にはあらゆる感情が見受けられる。
が、彼が何を抱き何を考えているのかは分からない。喜びなのだろうか。悲しみなのだろうか。
「現王は愛故に狂された。その愛は既に黒く塗り潰され、元の瑞々しさを保ってなどいない。だが支配者としてはそれで正しい。彼は最早人間ではないのだから。人間でないものは人間を愛してはならぬ。人間を愛して良いのは人間のみ。」
やがて男は先程までは何かしら感情のようなものが見えていた目を完全に瞑る。
もう彼からは何も感じられない。やがて開いた目は何処までも無感動
「愚弟よ。お前は何処まで私に迷惑をかけるつもりなのだろうか。現王を見て何も学ばなかった愚弟。奴もまた人を愛してしまった。人に魅せられてしまった。そして狂してしまった。やはり私も動くしかないか。
…とおや?」
男は何かに気付いたようだ。
「これは…」
男は顔を歪めた。また彼の目は喜悦に染まる。そして何かを見るように目を細める。
「ほう。中々に面白そうだ。私の胸が踊るのもいつぶりだろうか。そして君たちは愛のために狂えるか。愛するもののために狂えるか。此度は退屈せずとも済みそうだ。いい加減同じ体験ばかり飽きていたところ。」
男はにやりと笑って崖から落ちる。深い深い奈落へと飲み込まれるように。下界へと彼もまた誘われたのだ。
やり直し。
それは誰もが1度は抱いたことがある絵空事。
あの時こうしていればなぁ。あの時はこうしていた方が良かったのかもしれない。
誰もがやり直せたらどれだけ良いのだろうかと考えたことがあるだろう。
だが人々は現実の前にやがてその夢を忘れ、希望も捨ててしまう。何故か。やり直しなどというものはやはり絵空事に過ぎず、実現などしないのだ。そんな無駄なことを思考するくらいなら他の事を考えた方がいい。失った過去は戻らない。人間は虹の上を歩けない。所詮夢は夢で実現はしない。
蘇生もまた同じ。大切な何かの死によって欠けた胸の隙間は埋められぬ。そして欠けた胸の隙間を埋めようと誰もが願っただろう、彼を返して彼女を返して。生き返らせてくれ。
だがやはりこちらもまた絵空事だ。叶うはずのない幻想。人が人でいる以上成し遂げられぬ大事。成し遂げられぬ筈の幻想。幻想は幻想だ。現実では無い。そうして人々はこの幻想を諦めてしまう。
だが…これは大多数の人間の話。もし、呪われたように、何かに憑かれたようにこの幻想を追い続けた者がいるなら…




