夜話4(了)
若い噺家が、これでもかこれでもかと話を続け、根負けした客達は笑いだすが、真ん中に座った年寄りだけは、じっと難しい顔で目を瞑り、一向に表情を緩めない。
一つ、一つと話しが終わり、次第、次第に夜は更けていく。
最後の話が終わり、若い噺家が、はあはあと肩で息をして顔を上げるが、真ん中の年寄りは結局、クスリともしていない。
若い噺家は、遂には、おいおいと泣き出した。
「おい、爺い!これだけ話して少しも笑わねってのは、どういう事だ!本当に死んじまってるんじゃねえのか!少しは笑えよ!」
若い噺家がつっぷして大泣きしていると、真ん中の年寄りが、初めて、乾いた声でゲラゲラと笑いだした。
「大笑いさせてやるって、親戚一同集めさせて、意気込んで来た奴が、面白れえ話の一つもしねえで、泣くは脅すは、一体、てめえはどうなっちまってるんだよ、いい年しやがって、馬鹿野郎が。」
若い噺家はそれでも泣き止まず、大泣きして、顔も上げられない。
「まあ、いいや。そこが、てめえの一番面白れえところだからな。ガキの頃から面倒ばっかりかけやがって、せっかくいい所に奉公に出しゃあ、とんでもねえ偉れえ人を怒らせやがって。雇い主さんが上手くしてくれなかったら、てめえなんか、もうとっくに殺されちまって、あの世行きだぜ。」
若い噺家がつっぷしたまま呟く。
「うるせえ、臭せえ、面倒臭せえ、それよりもっと加齢臭臭せえ。」
「面白くねえよ、馬鹿野郎。大人になって、せっかく仕事を任せりゃあ、家を潰しやがって。どうやったらああなんだよ。火さえつかなきゃ、潰れねえ、百年はもつ設計だぜ。どう考えたって、ありえねえ。信じられねえよ、馬鹿野郎が。」
若い噺家が、真っ赤な顔を上げて大声を出す。
「だから、その火がついちまったんだよ!しかも、施主が勝手につけた焚火の火だぜ!俺たちの所為じゃねえんだからな!」
「何がしかもだ、馬鹿野郎。施主さんが気い使ってつけてくれた焚火だろうが!しかも、火がついたのはてめえ達が家を潰しちまった後だろうが!しかもって言うのは、こっちだ、馬鹿野郎!しかもだ、しかもついでに言わせて貰うがな、博打で勝った時も、そんなにかっこ良くなかっただろうが!馬鹿が乗り込んで来て、誰も相手にしてくれなかったもんだから、金を床にぶちまけて怒鳴ったって聞いてるぜ。」
「てめえの金で、カッコよく賭けて勝ったんだぜ。何の文句があるんだよ、爺い。」
「てめえの金なんて、ある訳ねえだろうが。お鶴の金だろ?あの子が何で遊女になったか知ってんのか?」
「聞いてねえよ。聞ける訳ねえだろ、そんな事ぁ。」
「親父が病気だったんだよ、その薬代だ。分かんだろ、それぐれえの事はよ。」
「親父って、あんたの事かい?」
「馬鹿野郎、てめえのじゃねえよ、お鶴の親父も病気だったんだよ。」
「えっ、そんじゃあ。」
「そうだよ、だから、てめえの下手なウソでも金出したんだよ。だから、俺も怒ったんだよ。確かに、てめえには酷い言い方をしたが、しょうがねえだろ?」
「分かったよ。それでも、勝つには勝ったんだ、丸く収まったんだから、結果オーライだろ?」
年寄りが若い噺家に手招きをする。
「ちょっと来い。」
「なんだよ、耳が遠い振りかよ?」
「馬鹿野郎、てめえの詰まらねえ話じゃねえ、真面目な話だ、早く来やがれ、馬鹿野郎。」
「話始めと話し終わりに馬鹿野郎って、俺の中にはどれだけ馬鹿野郎が詰まってんだよ?」
「うるせえな、知らねえよ、クスリとさせようとしてんじゃねえよ。早く来い。ははっとか言いやがったら殺すからな。」
若い噺家が、年寄りのすぐ近くに行って耳を寄せる。
「驚いて大声出すんじゃねえぞ。いいな。あれはな、実はお前の負けなんだよ。」
「えっ!」
「馬鹿野郎、大声出すんじゃねえ。こいつは、ここにいる親戚連中にも聞かれちゃいけねえ、ホントにここだけの話だからな、口を手で塞いでろ。」
「そんな事したら息ができなくて死んじまうよ。」
「この話がばれたらホントに殺されちまうぞ。」
若い噺家が片手で口を塞ぎ、もう片手で鼻をつまむ。
「馬鹿野郎、鼻はいいから、息はしろよ。ホントにどうなってんだよ。いいかい、あれは、お前の負けなんだよ。お前が賭けに行くか行かねえかで、賭場の奴らにかけさせたんだよ。お前が右か左の道に行けば逃げて、真ん中の道だったら賭場に行く前に神社で願掛けだ。そうだろ?そいつをお鶴に二階の窓から見させて、すぐに大黒屋に報告させて、賭場の奴らがてめえが逃げる方にかけるように、大黒屋が上手いこと騙したんだよ。」
「そう言えば、視線を感じたような。」
「嘘つけ、馬鹿野郎。で、お前が賭場に来たもんだから、大黒屋の大勝って訳だよ。だから、そこでてめえが少しくらい勝ったって、どうって事はねえんだよ。」
「へー。それで、あん時、勝って、しかも殺されなかったのか。」
「勝ったのも、大黒屋の何かの計算なんだろうよ。前もって知ってりゃあ、いくらでもインチキ仕込めるからな。お前も少しは不思議に思ってたのかい?馬鹿は馬鹿なりに。」
「もう、馬鹿は分かったからいいよ。それで、この話がなんでそんなにやべえんだよ。」
「こいつをお鶴に仕込んだのは俺だからよ。」
「あんた、もうすぐ死ぬんだろ?」
「うるせえな、大きなお世話だ、馬鹿野郎。危ねえのは、俺じゃねえ、お前だよ。」
「だから、何でだよ!分からねえよ!」
「大黒屋がただの悪だと思ってんかい?あいつは後世まで名前が残るような悪中の悪、サイコ野郎だ。金になると思ったら、途中で離したりはしねえよ。俺が死んだら、お前とお鶴がいい標的だろ。」
「後の世で、お前も悪よのう、とか言われる様になるのかい?」
「そうかもしれねえな。どうでもいいとこに食いつくんじゃねえよ。何の話だったか分からなくなんだろうが。何だっけ。ああ、そうだ、それで、あの賭けのからくりがバレれば、流石の大黒屋も賭場の連中に殺されちまう。インチキだからな。それで、何かあれば俺にばらされると思って、手が出せねえのさ。お鶴にもな。だけど、俺が死んじまえば、お鶴だけになっちまうから、お鶴を殺せば安泰になるだろ?お鶴も、そこらの誰かに話す訳にもいかねえ。絶対に裏切らない奴じゃねえと。」
「何!お鶴にそんないい男がいんのか!裏切りやがって!」
「お前の事だよ、馬鹿野郎!」
「ああ、そうか。そりゃ、そうだよな。」
「お前と話してると疲れてしょうがねえよ。」
「だから、薬代もやったじゃねえか。何で治ってねえんだよ。」
「薬代は、お亀にやっちまった。」
「えっ、お亀?何で、あんな性悪女に?ああ、そうか、おお、危ねえ。親子で兄弟になるとこだったぜ。」
「違うよ、馬鹿野郎。何でお亀が大黒屋にたかられたと思ってんだ?」
「知る訳ねえだろ?何であんたが知ってんだよ?まさかグル?」
「違うよ、大馬鹿野郎!お前がお鶴と懇ろになったのが大黒屋の耳に入って、お亀にたかれば、お前を通して、お鶴から金をふんだくれるって寸法だろ。」
「あんた、凄えな。それ、今、考えたのかい?」
「今じゃ、間に合う訳がねえだろうが!そん時だよ。それぐらいすぐに分かるだろ!お鶴が来て、話を聞いたんだよ!」
「そいつは参ったな。俺ときたら、そんな事には、今のいままで気づきもしなかった。」
「馬鹿野郎。願掛けばっかりしてっからだ。脳味噌だって神様からの贈り物だ。ちゃんと使わなきゃ神様だっていい顔はしねえ。まあ、気にするな。皆が皆、気づく訳じゃねえ。」
「それで俺はどうすればいいの?」
「えっ?ああ、そうだった。死なない事にだけは、凄え集中力だな。ええっと、だからよ、俺が死んだら、すぐに大黒屋に耳打ちしろよ。あの事は、親父に聞いたぜってな。分かったな。絶対に忘れるんじゃねえぞ。いいな。ちゃんと聞いてんのか?この」
年寄りが、言葉の途中でがっくりとうなだれる。若い噺家が悲鳴を上げる。
「おい!おい!大丈夫か、この爺い!具合の悪いふりしてんじゃねえぞ!」
「うるせえな、女みてえに悲鳴上げやがって。それに、何で俺の後を継いで大工をやらねえんだよ。噺家なんて、やわな仕事につきやがって。」
「人の家、潰しちまって、大工でございとは言えねえだろ。それに、こちとら、人を笑わすのはガキの頃から大の得意だ、知ってんだろ?」
「笑わしてんじゃねえよ、笑われてんだよ!笑わすんじゃねえよ!」
「今、笑わすんじゃねえって言ったじゃねえか!」
「うるせえな。言葉の綾だろうが、お前って野郎はホントにイライラさせやがるな!やっちゃいけねえ事しかしてねえぞ!」
「どこがやっちゃいけねえ事なんだよ!くたばり損ないを、死ぬ前に笑わせて安心させて旅立たせようってぇ、清い志だろうがよ!」
「病気の親にくたばり損ないって言う奴があんのか、馬鹿」
また、年寄りががっくりとなる。
「おい、おい、死ぬなよ!元気だせよ!」
年寄りは、うなだれたまま、ぴくりともしない。
「おい、おい、冗談だろ!まだ、死んだりしねえよな!おい、おい、元気出せ!元気に動けって!」
年寄りは、もう死んじまってる様にしか見えない。
若い噺家が悲鳴を上げる。
「おい、おい、起きろよ!元気、元気、元気ってそう言えば、お鶴が俺の子を孕んでんだよ、そのうち元気な孫が抱けるぜ!」
年寄りの目がかっと見開いて、若い噺家の顔をぐっと睨みつける。
「馬鹿野郎!何でそれをもっと早く言わねえんだ!お前、俺を、殺す・・、気・・、か・・。」
年寄りががっくりと大きくうなだれて、今度こそピクリともしなくなった。
若い噺家は大泣きして、すがりつく。
「親父!親父!何死んでんだよ!馬鹿野郎!馬鹿野郎はあんたの方じゃねえか!」
いい年をした大の大人の大泣きに、集まった親戚も掛ける声もなく、遠くに座ったまま、動きもしない。
いつの間にか、夜が明け始めて、部屋の中が明るくなる。
遠くでは鶏がコケッコウ、近くでは雀がちゅんちゅん鳴き始める。
若い噺家もいつの間にか泣き止んで、少し笑って顔を上げる。
「へっ、へへっ。笑わしに来たつもりが笑わせられちまった。辞世の句が、俺を殺す気かって、聞いた事がねえぜ。どんな死に方だよ。全く、親父にはかなわねえ。」