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孤独


脇に抱えたリンドルの弦を弾く。


悲しげな旋律を爪弾くと、薄っすらと程よく欠けた月の姿に、宵の雲がすうっとかかっていき、その淡い光を遮った。


ああ、とため息を吐くと、ライアは空を見上げた。


「哀しみの曲なんて、やはり聞きたくはなかったか」


苦笑を浮かべる。


十歩先が見えないような、こうも暗がりだと、手元が狂ってリンドルは奏でられない。


ライアは諦めて、小屋へと戻った。


「ね、月明かりは必要でしょう」


ドアを開けて迎えたシマは人懐っこい笑顔をたたえながら、ライアに近づいていって、リンドルを貰い受けた。


長く細い指で受け取ったリンドルを棚の上へ立て掛ける。


その様子を横目で見ながら、ライアは大陸の絹で作られた、薄手で軽い上着を脱いで椅子の背へと掛けた。


そのまま上着ごと椅子の背に手を置いて、その布の手触りを感じる。


ダウナ産の布より、大陸産の布の方が何かにつけて、薄手で軽い。


荒く編んであるので、その分ざらついてはいる。


手触りとしては綿密に編んであるダウナの服の方が滑らかで艶がある。


ダウナとランタンは隣同士の街ということもあり、ダウナだけでなく、ランタンの服も同じような感触だ。


そこでライアは、思わずランタンに想いを馳せてしまったことを、小さく後悔した。


少しでも糸口のようなものに触れてしまうと、途端にランタン、いや、オリエのことに夢想が及んでしまう。


(……バカだな、俺も)


思い出さないようにすればするほど、その面影は脳裏に生き生きと浮かび上がる。


ライアが大陸に辿り着いたその道程も含めると、すでに半年が過ぎようとしていた。


オリエを考えたくなかった。オリエを想う時、それが抗えない運命だとでも言うかのように、彼女に近づいていって覆いかぶさろうとしている『死』という現実が常について回るからだ。


(セナが、何もせずに手をこまねいているわけがない。オリエは無事だ、無事なはずなんだ)


ダウナを出発してからこの半年、何度、自分にそう言い聞かせたか分からない。


ここ大陸ではすでに三月もの時間を費やしているにもかかわらず、何の手掛かりも掴めていない自分を思う時、情けなさと無力さが同時にライアを苛んで責め立てる。


狂いそうだった。


ざらりとする上着を掴む手に、いつの間にか力が入っていることに気がつかない程に。


そんなライアの様子を見て、シマが声をかける。


「ライア、食事して」


シマが心配そうな顔をライアに寄越す。


大陸人の中でも美人枠に入るだろう、切れ長の目を細めて眉根を寄せる。


癖のない真っ直ぐな黒髪を、少しだけ揺らして食事の支度の手を止めた。


その端正な顔に陰が差しているのを見て、これ以上は心配させまいとライアは笑った。


「ああ、ありがとう」


シマを気遣って笑ったつもりだったが、口の端でしかそれができずにいる自分を仕方なく認めてから、椅子に腰掛けた。


三月前、ライアが大陸の中央部に着いた時、これ程の広大な土地がこの世にあるのかと、地平線まで見渡せるような広さを小高い丘から見下ろして、驚愕したことを思い出す。


その中にぽつんぽつんとある家を見て、ランタンやダウナとの街並みの違いが心を刺す。


(……俺たちは、外の世界のことを何も知らなかったんだな)


大人のいない狭き街にて、『ダウナ歳時記』のみが生きる手本。


ランタンの学校の学識高い教師達でも、外の世界のことは何一つ教えてはくれなかったのだ。


今になっては、それが意図的になされていたような気がして、ライアは混乱した。


(鈴果を食べたダウナ人のほとんどが、ルキアに向かっていたなんて。ダウナ歳時記に書かれていたなんてことも、セナに言われるまで全然気がつかなかった)


勉強は苦手だった。


「苦手なんて言って、学年で十八番だなんて、何だかズルい」


口を尖らせて、本気で怒っているオリエの顔。


花のような笑顔とは程遠いけれど、怒った顔も愛嬌があって、オリエが怒っていてもライアはいつも心では喜んでいた。


「オリエは何番だったんだ?」


ライアがわざと問うと、オリエがむくれたまま、成績表をずいっと出す。


「……三十五番」


ライアが呆れたようにして、腰に手を当てる。


「今回だって、俺たちで教えてやっただろう。ランタンの象形文字なんて、形で覚えちまやあ、どうってことねえのになあ」


「だって、覚えられないんだもの! あんなもの、どうして覚えなきゃいけないのかしら。象形文字なんて、字が踊ってるようにしか見えないんだもん。歴史、歴史って、パキラ先生は頭が固いんだから。きっと、頭の中が石板と化石でできているんだわ。それであんなにもカチカチなのよ」


「……なあ、後ろに本人いるんだけど」


その時の、オリエの顔。


むっすりとした表情から、途端に苦い顔になり、振り返ってから先生に大目玉を食らったのを覚えている。


ライアは、腹を抱えて笑い、その後オリエに追いかけられた。


そんなやり取りが、幸せでたまらなかった。


セナはいつも学年でトップという、凄いけれど変わりばえのしない成績だったので、二人の間ではこういった勉学の話題には、あまり名前が出てこなかった。


セナはまた一番ね、くらいで終わってしまうからだ。


だから、勉学でセナには負けて悔しいのは悔しいのだが、オリエとこんな風にじゃれ合えるのが嬉しくて、この楽しみが味わえるなら負けてもいいやと、いつも簡単に兜を脱いでいた。


「……スープ、口に合わない?」


突然入り込んできたその声に、身体をびくりとさせる。


ライアは手元を見たが、手に持ったスプーンには、何ものってはいなかった。


顔を上げると、シマが苦笑まじりに視線を寄越してくる。


「まずかった?」


「いや、うまい、」


止まっていた手を動かして、スープを一口、口へと運ぶと、ライアは今度は意識を料理へと向けた。


「……うまいよ」


もう一度そう言うと、シマが嬉しそうに笑った。


ライアは食事を続けながら、オリエのことを考えないようにと、意識を集中していった。


オリエを考えないように。


それは、胸を短刀で突き刺すような、そんな痛みを連れてくる。


(オリエを失くすわけじゃない、考えないようにするだけだ)


けれど、永遠に続くのではないかと思われるような、この痛みを伴う堂々巡りの想いは、いつまで経っても頭のどこかにぼんやりとあり、その存在を大きくしていく。


会いたい。


会いたい、会いたい。


そう口にしそうになる言葉を、スープとともに流し込むと、ライアは手を伸ばして、パンを一つ取り上げた。


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