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それぞれの想い

父親の怒りも母親の嘆きもようやく収まり、オリエは家を抜け出して丘へとやってきた。


青々とした草の上へと、ごろりと仰向けになる。


所々、服から覗く肌に、草がチクチクと悪戯をして、こそばゆいがそれが心地よい。


草花の青臭い香りは心を落ち着けるものだし、見上げた空の蒼色は気持ちを清々しいものにしてくれる。


オリエは、大きく息を吸った。


肺に入ってくるのは、澄んだ美しい空気。


この世界の全てのものが浄化されるような気がして、安堵の息をつく。


二人の幼馴染が生き続ける。


それだけが望み。


オリエはしばしば考えてみた。


『運命』を。


すると、畏敬の念がつきまとってきて、オリエから離れようとしない。


それを考える時。


幼い頃は恐ろしくなって夜眠ることができなくなり、布団に潜り込んで朝まで震えていた。


けれど、いつ頃からか。


セナとライアを守るためにはこの方法しかないということに気がついてからは、ざわざわと騒いでいた心が不思議と落ち着いてきて、自分でも驚いた。


名案だ、そう思った。


これしかないと、強く思った。


何度も『死』が怖くないのかと、自問自答もした。


漠然としたイメージしかない『死』であっても、この方法でなら自分は受け入れられる、そうとしか思えなかった。


「良かったんだ。これで、良かった」


これで二人が傷ついたとしても、それでも二人には生きて欲しい。


自分勝手なエゴだけれど、『運命』は自分の手で変えられる。


オリエは目を瞑って、草花の香りをかいだ。


✳︎✳︎✳︎


「鈴果を口にした者は、街を出ていかねばならない。しかも、お前はっ‼︎」


サンダンに顔を向けられて、視線を外す。


ライアは居たたまれない気持ちでそこに立っていた。


サンダンが、少しの沈黙の間に、怒りを何とかして収めようとしていることが分かる。


そして、言葉を進めた。


「お前は、オリエのものを口にした」


グッと唇を噛むと、セナに殴られた傷が痛む。


隣に立つ、セナの身体が隣でぐらりと揺れたような気がして、握った拳に力を込めた。


「どちらにせよ、ここには居られまい」


オリエの父親は、フューズというランタンの最高職に就いている。


長きにわたってその職務を全うすることで築き上げてきた威厳は、非常に力強く決して揺るがないものだった。


そして、その威厳をもってランタンを治めてきたという経緯がある。


そのサンダンの言葉は、有無を言わせぬものがあった。


ライアとセナは、幼い頃からこのオリエの父親でありフューズであるサンダンを苦手としてきた。


それは娘を男に取られまいとする父親のヤキモチをぶつけられるのが恐いというような、そういった類のものではなく、サンダンという人間の圧倒的な存在を前にして怖気づいてしまうということが、一番の理由だった。


成長してからは随分とマシになってはいたが、ライアはやはり今回のこともあって、何も言うことはできなかった。


「どこへでも行けばいいが、これだけはお前たちに忘れてはもらいたくない」


普段仕事をする執務室で、サンダンは腰を浮かせて椅子に座り直す。


「お前たちの命は、オリエの命だ」


「…………」


言われるだろうことは分かっていたが、面と向かってこれが現実だと突きつけられると、グッと胸が絞り上げられるように息苦しくなる。


それは自分だけの苦しみではなく、親が娘を失うということの想像を絶する苦しみが、含まれているのだ。


ライアはこの時、自分の親が、息子である自分を置いて死んでいった苦しみや悲しみを知った。


「僕は、ルキアに行きます」


セナが落ち着いた口調で言った。


「そうか、それでライアはどうするのだ?」


唐突に聞かれて、答えに詰まった。


「……俺は、」


サンダンが鋭い視線を寄越してくる。


ライアは自分の心の内を見透かされたような気がして、動揺した。


それはセナが、今後の身の振り方を決めていたということにも少なからずの衝撃を受けた、という動揺もあった。


「まあ、いい。どこへ行こうが、私たち家族には関係のないことだ」


オリエには今後、関わらないようにと釘をさされて、ライアのその動揺が増した。


「さあ、荷物をまとめなさい」


追い出されるようにして、部屋を出る。


ライアは、セナに今後のことを聞いておきたかったが、その時はどうしてもセナに声をかけることができなかった。


そして、そのまま一言も会話を交わさずに、サンダンの屋敷を出た。


屋敷の中庭を横切る時、ライアはその屋敷の二階にあるオリエの部屋を見上げた。


大きな窓は、幼い頃オリエを誘いに来て声を掛けた時のままに、そこにある。


カーテンは閉められていた。


(オリエは泣いていないだろうか)


胸が潰れそうに痛む。


(俺を生かしたことを、後悔してはいないだろうか)


会いたくて仕方がなかった。


会って、話をしたかった。


そしてもう一度、窓を見上げてから、身を引きちぎられるような思いでその場を離れた。


✳︎✳︎✳︎


「ルキアに行くっていうのは、本当か?」


ライアの問いかけに素直に答える。


「ああ、そうだよ」


さっさと荷造りをしてから、友人にも簡単な挨拶を終わらせ、セナはライアの家を訪ねていた。


まだ行き先も決めず、もちろん荷物もまとめておらず、セナは散らかったライアの部屋を見回してから、呆れたように言った。


「ライアは、本当にオリエのこととなると、ダメになるな」


「……分かってるよ」


図星をつかれて、言い返す気力も残っていないライアの様子を見て、セナは苦笑した。


「殴って悪かった。あれはオリエの意思で、君は何も悪くない。僕が間違ってたんだ、許して欲しい」


「……お前もオリエも悪くねえ。悪いのは俺だ」


「ライア」


返事がないのを不服そうに、セナはもう一度声を掛けた。


「ライアっ‼︎」


少しだけ驚いて、ライアはうなだれていた顔を上げた。


「僕は、オリエを連れていく」


何を言っているのか分からないというように、ライアが眉根を寄せる。


「……どういうことだ」


「そのままの意味だよ」


その言葉を聞いた途端に、どす黒い感情がふつふつと湧き上がってくる。


その感情が今にも沸騰して溢れてしまいそうになり、ライアは握り拳を作ってそれに力を込めると、抑えた声で言った。


「……お前にはやらない」


「ライア。オリエと一緒に死ぬつもりなんだろ」


意表を突かれて、拳を握り直す。


思いを見透かされ、動揺もした。


「ライアが何を考えるかなんて、分かってるよ。でも、僕は生きる道を選ぶ。もちろん、オリエもだ」


「…………」


「ダウナ歳時記をもう一度読み返してみた。そこに気になる記述があってね。971年の次の年から鈴果を食べたダウナ人はみんな、ルキアに向かっている。誰一人として、他の地には行っていないようなんだ」


ライアが怪訝な顔をする。


「それが何だってんだ」


「ルキアに研究施設があると聞いた」


「何?」


セナは、そこら辺に散らばっている服や本を手で退けてから、ライアがいつも寝転がっているベッドの上へと腰掛けた。


ライアも近くにあった椅子を引き寄せて座る。


椅子の脚が何かに当ったようだったが、構わなかった。


「そこにオリエを連れて行く」


「研究って何だよ」


「それは分からないけれど、その研究施設にオリエを救う術があればと思っている」


「971年といえば、鈴果を食べたダウナ人が二人いた年だな。ランタンに鈴果を食べる直前になって亡くなった老人がいたとかで、もう一つがダウナに回ってきたんだろ」


「うん、一人はルキアに向かい、もう一人は大陸に向かったと記述がある」


ダウナ人は幼い頃から大人不在の環境で育っているため、どんな環境下でも生きていける。


その知恵を、『ダウナ歳時記』から学び、それを習得しているからだ。


それに加えて、ランタンの学校にも通って通常の勉強もするため、生活力は高い。


その一人が向かったという大陸が、例え未知なる土地であっても、生きていける要素は十分にある。


自信と勇気さえあれば、見も知らぬ土地へと旅立つことも可能だ。


「僕はルキアへ行くよ」


久しぶりに話が長くなり、喉も舌も渇いてくる。


ライアは隣の部屋から飲み物を持ってくると、一つをセナに渡してから、もう一つを飲み干した。


「カクアリか、オリエが好きなジュースだね」


セナが言って、ライアが頷く。


「じゃあ、お前はそこへオリエを連れて行くと言うんだな」


ライアは構わずに先を促した。


今、オリエのことを少しでも思い出してしまうと、胸が苦しくなる。


セナが、カクアリを飲み干すのを待たずに話し始める。


「それで、助ける方法が見つからなかったら?」


「その可能性もある。だから、君に第二の方法を探しに行ってもらいたいんだ」


「……俺はどこへ行って何をすればいいんだ」


「ルキア以外の、どこでもいい。鈴樹や鈴果に代わるような何かを見つけて欲しいんだ」


「…………」


「ライア、ここで待っていてもオリエは死んでしまう。だったら、少しでも生きられる可能性のある道を選んだほうがいいと思うんだ」


「探し出せなかったら?」


「……その時は、ライア、僕は今の君と同じ気持ちになるだろうね」


「…………」


お互いが無言のまま、時間が過ぎていった。


時を刻む時計の針が、カチカチと音をさせて、胸に迫ってくる。


「俺は大陸を目指す」


思い通りの返事で、セナは嘆息の息を吐いた。


「ライア、」


「もしかしたら、大陸へ向かったそいつが何か知っているかもしれない。何かオリエを生かせる術が見つかったら、すぐにルキアへと向かう。お前はお前で、ルキアにオリエを連れていって、その方法を見つけてくれ」


「でも、オリエの命は……」


今までの力強さがどこかへと去ってしまったかのような、セナの弱々しい声。


一年に一度の鈴果で、次の一年を生きるのだから、今回口にできなかったことを考えると、死期は直ぐにもやってくる。


その猶予が半年あれば良い方だろう。


ルキアへの道のりは、ロキロキという馬の脚でも半月はかかる。


そして、大陸と呼ばれる広大な土地の中心地には、辿り着くだけで三月はかかってしまう。


何らかの方法を手に入れたとしても、そこからルキアまでの道のりは、気が遠くなるほど遠い。


(……間に合わない)


二人の中にある共通の認識。


「だとしても、やるしかないだろ」


決まった。


二人の道に、光が差したような気がした。


けれど、その光が、その存在すら許されていない心もとないものであることは、ライアもセナも痛いほどに知っていた。


✳︎✳︎✳︎


「オリエを連れていくとは……無謀な話だが、」


前回と同じようにして、サンダンの前に立ったライアとセナは、今回二人で話し合った計画について、父親の了承を得ようと必死に説得していた。


「けれど、フューズ、これしか方法はありません」


ライアよりは分のあるセナが、一歩前に出て、更に続ける。


「希望があるかもしれないんです……少しでも、生きられる可能性があるなら」


セナの必死な姿を見て、ライアの頭の中は冷めていた。


普段から冷静で、自分の感情を隠したがるセナの、オリエへのなりふり構わない強い愛情が感じられて、逆にオリエと死を共にしようとした自分が情けなく思えてくる。


(本当の愛情というものは、こういうことなのかも知れないな)


『ダウナ歳時記』を読み返したと言っていた。


それは、数十センチもある分厚い本が、二十五巻まで揃う、圧巻の歴史資料だ。


ダウナとランタンを併せた学校で、主席を通した記憶力の良いセナだが、一度は通して読んだことのある本だとしても、その内容をいちいち覚えているだろうか。


さらっと流しただけだろうけれど、また一から『ダウナ歳時記』をこの数日で読破するとは、もうそれだけで頭が下がる思いだ。


そしてそれは、オリエへの深い愛情に繋がっている。


「ライアは、大陸に行くそうだな」


サンダンの厳しい声で、我を取り戻したライアは、慇懃いんぎんに返事を返した。


「はい、そう考えています」


「…………」


沈黙したサンダンを見て、すかさずセナが言葉を繋げた。


「フューズ、お願いです、オリエを助けたい! 万にひとつの可能性だとしても、その可能性にかけたいんです。オリエを連れていくことを、どうぞお許しください」


頭を下げるセナに合わせて、ライアもこうべを垂れる。


こんな風にサンダンに頭を下げるとしたら、それはオリエに結婚を申し込む時だと思っていた。


ライアの胸に、もやもやとしたものが去来した。


そうだ、認めよう。


本心は、自分だってオリエと一緒にいたい。


セナとともに行かせることで、二人がそのまま結ばれてしまう可能性もある。


それが、この胸のもやもやの原因の一つだと、認めよう。


けれど、樹木祭の日、いやそれ以前から、生き残った方がオリエを幸せにする、そう決めた時から、ただただオリエが幸せになればいい、そう自分に言い聞かせてきた。


(オリエが生き残る道を探すとするならば、これが可能性のある一番の方法だ)


「お願いします」


力強い声が出た。


そのライアの声を聞いて、サンダンはただ一言、分かったと言った。


こうべを垂れたまま、二人は身体の緊張を抜いて、心でほうっと息を吐いた。


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