運命の樹
「樹木祭には、必ず来て」
ライアとセナの二人と丘の中腹で別れる際、そう言うのが精一杯だったオリエは、二人が言ったことを頭の中で反芻していた。
「ああ、もちろん」
ライアが力強く言う。
そして、普段から冷静なセナが、微笑を浮かべながら言った。
「少しでも生きる可能性があるのなら、その可能性を自分から捨てたりはしないよ」
「俺も行く。俺が生き残ったら、オリエをその分、幸せにする」
「僕が残ったら、僕がオリエを幸せにする」
それも二人の間ではすでに取り決められているようだった。
二人は目を見合わせて、強く頷いていた。
自分の知らないところで、二人だけで決めてしまったその行為に、オリエは憤りを感じざるを得なかった。
(どうして、どうして、そんな勝手なこと……)
オリエは目をぐっとつぶり、ベッドの上で枕を抱きかかえていた腕に力を込めた。
(どうして、)
その言葉が、オリエの中のあちこちに跡をつけながら跳ね回る。
悲しみや怒り。
『運命』には逆らえないという不条理な想い。
オリエは常に頭の中にある一本の大木の存在を思い浮かべた。
その大木は鮮明に、オリエの目の前へと完全なる姿を見せつける。
太く大きな幹。
それは数人の子供が手を繋いでやっと囲めるような、力強いものだ。
緑の葉はいつも青々と茂り、一年に一度だけ白く可憐な花を咲かせ、その後に花の数だけ実をつける。
不思議なことに、その実はランタンに住まう住人の数に等しいものだった。
そして、毎年それは実り、その実は一つずつ、ランタン人の口を通って、身体の奥深くへと潜り込んでいく。
それに添った伝説もあった。
ランタンの住人は年に一度、この樹木の実を食べなければ、その命が途切れるという。
不思議なことであるが、その樹木の生とランタンの住人の生は繋がっている。
そんな馬鹿なことがあるかと、一部の人々が実を食べることを拒否したことが、今までに何度もあった。
けれど、食べずにいた彼らはことごとく死に、その伝説が真実であることは裏付けられたのだ。
一年に一度、この実を食べなければ死ぬ。
ランタン人の中へ戦慄とともに植えつけていった、事実。
その大木は、ランタンの街の中心地に、その根を広げている。
「パパ、どうしてこんなにたくさんの男の人がいるの?」
幼い頃のオリエ。
子供心に不思議に思うのも無理はない、それ程の見張りの数が、その大木の周りには配置されていた。
「鈴樹の実が盗られないように、守っているんだよ。この木の実はランタンの命だからね」
「でも、鈴果はおいしくないから、わたしはあんまり好きじゃない」
遠慮がちに言えば、父親であるサンダンが苦く笑いながらも頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜながら撫ぜてくれるのを知っていて、オリエはよくその言葉を口にしていた。
けれどある日、いつものように鈴果を軽んじる言葉を口にした時、サンダンは酷く怒ってオリエの頭を手加減なしに叩いた。
「一体、誰のおかげで鈴果を口にできると思っているんだ‼︎ この実を食べなければ、お前たちは死んでしまうんだぞ‼︎」
父親のあまりの形相に驚いて、叩かれた頭を抱えて、家へと逃げ帰ることしかできなかった。
思いも寄らない父親の言葉と暴力に、打ちのめされて涙も出ない。
幼いオリエは頭を抱えたまま自室に戻り、布団の中へと潜り込んだ。
その日は一日中、ベッドの中で震えていた。
「ダウナの若いのが、鈴果を盗ろうとしたらしい。自分の妹に食べさせようとしたようだ」
翌日、オリエは父親の激怒の理由を、街のあちこちで耳に入れた。
そしてこの時、いつも一緒になって丘を転げ回ってじゃれ合う、二人の幼馴染が住むダウナという存在から、鈴樹を守っているのだという真実をようやく理解したのだ。
この騒動の後の噂話で、オリエは知った。
鈴樹はランタンの住人の数に、一つだけプラスした数の実をつける。
一つだけ余る、余分な実。
いや、たった一つしかない、貴重なもの。
樹木祭の最終日、その一つのみが、ダウナに差し出される。
オリエはもう一つ知った。
ランタンの住人だけでなく、二十年に満たないダウナの住人の寿命をも、鈴樹の実である鈴果が引き伸ばし、実はその命を長らえさせることが出来ることを。
そして、差し出された余分な一つの実を、ダウナの十八になった若者たちで、奪い合うことを。
鈴果を、ひとつでも口にできれば、彼らは一生死を免れることができるのだ。
そのたった一つの実を手に入れ、その命を長らえさせた者は、現在のダウナの街には存在していない。
実を勝ち取った者は、生き伸びることと引き換えに、故郷を追われる羽目になる。
「こんなのおかしいわ。こんなバカげたものが、運命だなんて」
涙が、ボロボロと零れ落ちていく。
ランタン人は一年に一度、鈴果を食べれば。
その生を次の年次の年へと繋げることができ、寿命を全うできる。
そして。
ダウナ人は二十歳になる前に鈴果を食べることができれば。
その寿命を延ばすことができ、運命の期限、二十歳という壁を超えることができる。
恐怖と隣り合わせの頭で考える。
「こ、今年のダウナの十八歳は……五人。ライアとセナ、どちらかが鈴果を口にできる確率は、」
言葉を続けようとして、オリエは苦笑した。
今までに何度も繰り返してきた、まるで意味の為さない考えのはずなのに、何度も何度も出てきては他のことなど考えられないくらいに頭を占領する。
「どちらかが鈴果を口にできたとしても……」
生き長らえた方がオリエを幸せにする、という。
どう考えてもそれは叶えられない夢だ。
鈴果を口にしたものは、ここランタン、ダウナの両方の土地から、出て行かねばならないのだから。
幼馴染の二人との別れが、すっとその距離を縮めて、近づいてくる。
強く言葉を紡いでくれた二人の面影と、今まで過ごしてきた幸せな時間を想う。
「……それでも、二人には生きて欲しい」
それが今のオリエの全てだった。